第1242話 2016/07/31

『二中歴』年代歴の虫喰部分の新史料

 6月の「古田史学の会」関西例会にて、わたしは『二中歴』年代歴の九州年号記事末尾の「不記年号」問題を報告しました。この「不記年号」問題とは、『二中歴』の九州年号を列記した最後にある文章中の「不記年号」とされてきた部分が虫喰により「不記」の二字部分が読めないため、「不記」とする説と「記」とする説とで論争が続けられている問題です。
 『二中歴』の古写本は前田尊経閣文庫本があるだけで、他はその再写本という「天下の孤本」です。従って、虫喰などで不明な部分を他の写本で確認することができません。問題の記事は次のようなものです。

「已上百八十四年々号丗一代〔虫食いによる欠字〕年号只有人傳言自大寶始立年号而巳」

 わたしは虫喰の部分は「不記」とあったと考えており、「以上百八十四年、年号三十一代、年号は記さず。只、人の伝えて言う有り『大宝より始めて年号を立つのみ』」と訓んでいます。詳細は拙稿「『二中歴』の史料批判 — 人代歴と年代歴が示す『九州年号』」(『古田史学会報』No.30、1999年2月)をご覧いただきたいのですが、「不記」と理解した根拠は次の点です。

1.八木書店版『二中歴』の写真本を熟視したところ、やはり下半分は「記」と読める。ただし、前後の文字よりも小さな文字であり、従って上半分にも一字あったと見るべき。
2.同古写本は弘治三年(一五五七)興福寺の実暁により書写されており、更に元禄時代にそれを清写した新写本、いわゆる「実暁本」が現存しており、その「実暁本」には、問題の欠字部分が「不記」と記されているので、虫喰前の姿を表していると考えざるを得ない。
3,文章の意味からすれば「丗一代」の九州年号を記した後の文なので、「不記年号」では意味不明。本来「記年号」とあったのなら、わざわざ意味不明となる「不記年号」と書き換えたり、誤写することは考えにくい。従って、元々「不記年号」とあったと考える方が論理的である。

 以上のように尊経閣本の観察と「実暁本」の「不記年号」を重視した結果、わたしは虫喰部分を「不記」と理解したのですが、今回この理解を決定的に証明する新史料の存在を知りましたので、ご紹介します。
 その新史料とは国立国会図書館デジタルコレクションに収録されている『二中歴』写本です(以下、国会図書館本と記す)。インターネットで閲覧可能ですので確認したところ、同写本は尊経閣本の虫喰の形まで書き込んであり、かなり正確に書写されたもので、まるでコピーのような写本なのです。虫喰の形まで書き込んだ写本など、わたしは初めて見ました。その国会図書館本の当該部分は「不記」とありました。そして、尊経閣本の当該部分と比較したところ、虫喰の形も正確に一致しており、かつ国会図書館本では明確に「不記」と読めるのです。すなわち、国会図書館本はまだ虫喰がそれほど進行していない時点の尊経閣本を書写したものだったのです。
 虫喰以前の姿を書写した国会図書館本の証明力は決定的です。こうして、『二中歴』年代歴の「不記年号」問題は最終的に完全に決着したと思います。なお、国会図書館本について国立国会図書館デジタルコレクションでは解題が付けられていないようですので、誰によるいつ頃の再写本か調査中です。ご存じの方がおられたらご教示ください。

申し訳ありません。初めに閲覧された方のみ、誤字がございます。
 
「不記年号」とされてきた部分が虫喰により   →  「不記年号」とされてきた部分が虫喰により
デジタルコレクションでは題が   →   デジタルコレクションでは解題が
 

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