『二中歴』国会図書館本の書写者と「影写」
『二中歴』国会図書館本が明治時代の国文学者・日本史学者の小杉榲邨(こすぎおんそん、こすぎすぎむら。1835-1910年)氏の蔵書であったらしいことをつきとめたのですが、その書写も小杉榲邨氏によるものであることがわかりました。
「洛中洛外日記」第1242話「『二中歴』年代歴の虫喰部分の新史料」を読まれた齋藤政利さん(古田史学の会・会員、多摩市)から、「国会図書館本の書写は収蔵している古典籍資料室に尋ねたところ、第1冊の最後に書かれている明治10年に東京の小杉さんが書写したと思うと言っていました」とのご連絡をいただきました。わたしは問題の「年代歴」が収録されている第2冊ばかりを集中して読んでいましたので、第1冊末尾に書かれた小杉氏自らによる書写の経緯を記した「奥書」を、迂闊にも見落としていました。
その「奥書」の冒頭には次のように、小杉氏が前田尊経閣本を書写したことが明記されていました。
「二中歴十三帖 従四位菅原利嗣君〔舊加賀候前田家〕曽ノ秘蔵シ給フ所ノ古寫本ナリ 今茲明治十年六七月間タマタマ被閲スルコトヲ得テ頓ニ筆ヲ起シテ影寫神速ニ功成了」(後略)
※〔〕内は二行細注。一部現代字に改めました。
そして最後に「九月廿?五日」「於東京駿臺僑居小杉榲邨 識」と、日付と所在地が記されています(?の部分の字は「又」のようにも見えます)。「僑居」とは「仮住まい」のことですので、明治10年に東京の駿河台に小杉氏は住んでいたことがわかります。
以上から、国会図書館本の書写者が小杉榲邨氏であることが判明したのですが、わたしはこの「奥書」に見える「影寫」という表記に注目しました。「影写」とは、書写するときに底本の上に薄く丈夫な紙を置き、下の字を透かし写す書写方法のことで、「透写」とも呼ばれています。国会図書館本は「影写」技法を用いて前田尊経閣本を書写していたのです。
このことを知り、わたしはずっと疑問に思っていた謎がようやく解けました。というのも、国会図書館本を初めて見たとき、わたしは前田尊経閣本と思ったのです。特に「年代歴」部分は幾度となく精査しましたから、その筆跡や文字の配置が前田尊経閣本にそっくりだったからです。しかし、全体の雰囲気や細部が異なり、やはり別物だと気づいたのですが、それにしてもなぜこんなにそっくりなのだろうかと不思議に思っていたのです。
通常、写本は原本の内容を写すのですから、筆跡は書写者のものであり、原本とは異なるのが当然と考えていましたし、実際、これまでの古文書研究に於いて、原本と写本とでは筆跡や文字配置が異なるものばかり目にしてきたからです。
小杉氏による「奥書」の「影寫」の二字を見て、この疑問が氷解しました。文献史学の醍醐味の一つは原本や写本調査にあります。活字本による研究とは異なり、その時代の筆者の息づかいまでが感じられるのですから。「奥書」の存在を教えていただいた齋藤さんに心より御礼申し上げます。なお、わたしのFacebookに同「奥書」を掲載していますので、ご覧ください。