第2515話 2021/07/09

九州王朝(倭国)の仏典受容史 (11)

 ―九州年号「僧聴」の出典は『五分律』か―

 『大正新脩大蔵経』を対象とした九州年号出典調査は、「僧要」(635~639年)、「蔵和」(559~563年)に続いて、「僧聴」(536~540年)へと入りました。「僧聴」使用例の検索では、『佛説長阿含經』を始め、多くの経典がヒットしましたので、普通に使用されている仏教用語と思われます。ですから、九州王朝がどの経典から「僧聴」を年号として採用したのかは判断し難いのですが、それでも興味深い史料状況がありました。
 それは、『彌沙塞部和醯五分律』(『五分律』とも呼ばれる)に「大徳僧聽」という用例で繰り返し使用されていることです。「巻三」だけでも下記の通りです。当該部分を抜粋します。

○『五分律卷第三』
 「差一比丘白言。大徳僧聽。今此陀婆比丘欲爲僧作差會及分臥具人。若僧時到僧忍聽。白如是。大徳僧聽。此陀婆比丘欲爲僧作差會及分臥具人。」
 「一比丘唱言。大徳僧聽。此彌多羅比丘尼自言陀婆汚我。僧今與自言滅擯。若僧時到僧忍聽。白如是。大徳僧聽。此彌多羅比丘尼自言陀婆汚我。」
 「一比丘唱言。大徳僧聽。今差舍利弗往調達衆中。作是言。若受調
達五法教者。彼爲不見佛法僧。若僧時到僧忍聽。白如是。大徳僧聽。今差舍利弗往調達衆中。」
 「一比丘唱言。大徳僧聽。此某甲比丘爲破和合僧勤方便。」
 「若不捨復應唱言。大徳僧聽。此某甲比丘爲破和合僧勤方便。」
 「一比丘唱言。大徳僧聽。此某甲比丘行惡行汚他家。行惡行皆見聞知。汚他家亦見聞知。僧今驅出此邑。若僧時到僧忍聽。白如是。大徳僧聽。此某甲比丘。」

 『五分律』三十巻全体では、検索でヒットした「僧聽」(「大徳僧聽」の他に「阿夷僧聴」等も含む)は168件に及びました。先に「僧要」の出典と推定した『四分律』と共に、仏典の中でも九州年号は「律」からの採用が多いのかもしれません。この点、何か理由があるはずですので、留意したいと思います。
 なお、ウィキペディアなどによれば、「五分律」とは、仏教における上座部の一派である化地部によって伝承された律のことで、十誦律、四分律、摩訶僧祇律と共に、「四大広律」と呼ばれるとのこと。『彌沙塞部和醯五分律』は佛陀什と竺道生(355?~434年)らにより漢訳されたものです。竺道生は、東晋末期から劉宋期において中心的役割を果たした仏教哲学者とされています。(つづく)

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