『令集解』引用「古記」を読む
札幌市の阿部周一さん(古田史学の会・会員)からお知らせいただいた『令集解』引用「古記」に見える「造難波宮司」記事に触発され、大阪梅田阪急の古書店で国史大系『令集解』全四冊を購入し、二日間でざっと目を通しました。古代史料をこれほど集中して読破したのは久しぶりです。
9世紀前半に編纂された『令集解』は『養老律令』の注釈書ですが、その中に引用されている「古記」には『大宝律令』の注釈があり、現存しない『大宝律令』の復元に利用されています。また、九州王朝から大和朝廷への王朝交代直後における大和朝廷側の認識を示す貴重な史料でもあります。ですから、今回の『令集解』読破では、この「古記」部分を特に丹念に読みました。当時の用語による難解な漢文ですので、残念ながら正確に読みとることはできませんでした。それでも、読み進むうちに少しずつ用語や文法に慣れて、興味深い記事をいくつも見つけました。
たとえば、『養老律令』「儀制令」に公文書には年号を使用するよう定めた次の条項があります。
「凡公文応記年。皆用年号」『律令』(日本思想大系)350頁
そして、『令集解』の同条項の解説に次の引用文が記されています。
「釋云、大寶慶雲之類。謂之年號。古記云、用年號。謂大寶記而辛丑不注之類也。穴云、用年號。謂延暦是。問。近江大津宮庚午年籍者。未知。依何法所云哉。答。未制此文以前云耳。」『令集解』(国史大系)第三 733頁
律令の注釈書「令釋」「古記」「穴記」が引用されているのですが、意訳すると次のようです。
「釋にいう。大寶・慶雲の類を年号という。古記に云う。年号を用いよ。大寶と記し、辛丑(干支)は注記しない類をいう。穴(記)にいう。年号を用いよ。これを延暦という。答う。近江大津宮の庚午年籍は何の法に依ったのか。答える。この文以前は未だ制度がなかったというのみ。」
「令釋」では年号の説明として大寶(701〜704)・慶雲(704〜708年)を例示していることから、慶雲年間に成立した記事と考えられます。
「古記」では大寶を例示していますから、大寶年間に記されたと考えられます。更に「辛丑」(干支)は注記しないと説明していますから、出土木簡が700年以前は干支表記で、701年以後は年号表記になっていることと対応しています。従って、この「古記」の記事が『大寶律令』の注釈記事であると判断できます。
「穴記」では延暦(782〜806年)を例示していますから、延暦年間の成立記事と考えられます。
末尾に『令集解』編者による問答が記され、近江大津宮の庚午年籍の時代には年号使用の制度がまだなかったと解説しています。
このように『令集解』の「古記」の史料批判と分析により『大寶律令』の内容や、出土木簡の紀年表記が701年以降は干支から年号使用に全国一斉に変化していることが、大和朝廷の『大寶律令』に依っていることがわかります。ということは、九州王朝律令では木簡に年号使用することを規定していなかったことになります。このように、『令集解』の「古記」が九州王朝研究に役立ちます。