九州王朝の国号(3)
「倭」「倭国」の国号表記は、『三国志』以降『旧唐書』までの歴代中国史書にも受け継がれます。岩波文庫『魏志倭人伝』の解説によれば、次の通りです。
書名 編者(生没年、編纂王朝) 九州王朝の国号
『後漢書』 范曄(398-445、南朝宋) 倭
『三国志』 陳寿(233-297、西晋) 倭
『晋書』 房玄齢(578-648、唐) 倭
『宋書』 沈約(441-513、南朝梁) 倭
『南斉書』 蕭子顕(489-537、南朝梁) 倭
『梁書』 姚思廉(?-637、唐) 倭
『南史』 李延寿(?、唐) 倭
『北史』 李延寿(?、唐) 俀
『隋書』 魏徴(580-643、唐) 俀・倭
『旧唐書』 劉呴(887-946、五代晋) 倭
以上のように、歴代中国正史の成立年代時の九州王朝の国号は、『三国志』以来『旧唐書』成立の十世紀まで「倭」とされており、例外的に『北史』『隋書』の夷蛮伝に「俀」表記が見られます。この「俀」表記を巡って古田学派内では永く論争が続いています。
ちなみに、古田説では夷蛮伝に見える「俀」を九州王朝、帝紀に見える「倭」を近畿天皇家のこととされています。他方、近年の古田学派内では、『隋書』の「俀」も「倭」も共に九州王朝のこととする説が多く発表されています。(つづく)