第602話 2013/09/30

文字史料による「評」論(4)

 現存する唯一の全国的評制施行時期が記された史料として『皇太神宮儀式帳』を紹介しましたが、実はもう一つ全国的評制施行時期を記した史料が存在することを最近知りました。それは『粟鹿大神元記』(あわがおおかみげんき)という史料で、現在は宮内庁書陵部にあるそうです。それには「難波長柄豊前宮御宇天万豊日天皇御世。天下郡領并国造県領定賜。」という記事があり、この記事を含む系譜部分の成立は和銅元年(708)とされ ており、『古事記』『日本書紀』よりも古いのです。
 この記事の意味するところは『皇太神宮儀式帳』とほぼ同じで、孝徳天皇の時代に「郡領」や「国造」「県領」が定められたというものです。「郡領」とあり 「郡」表記ではありますが、孝徳天皇の時代ですから、その実体は「評」であり、「天下」という表記ですから、7世紀中頃に評制が全国的に施行されたという 記事なのです。
 『日本書紀』成立(720年)よりも早い段階で、すでに「評」を「郡」に書き換えていることも興味深い現象ですが、『皇太神宮儀式帳』成立の9世紀初頭よりも百年も早く成立した史料ですので、とても貴重です。なぜなら『日本書紀』の影響を受けていないことにもなるからです。
 『粟鹿大神元記』をまだわたしは見ておらず、その全体像や史料状況を知りませんので、現時点では用心深く取り扱いたいと思いますが、このような史料が現存していたことにとても驚いています。同史料あるいは活字本を実見したうえで、改めて詳述したいと思いますが、取り急ぎご報告しておきます。(つづく)

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