第241話 2010/01/23

謡曲と九州王朝

 新年最初の関西例会では、正木さんから能楽・謡曲の中に九州王朝の痕跡が見えることなどが報告されました。謡曲と九州王朝の関係については、新庄智恵子さんによる先駆的な研究(『謡曲のなかの九州王朝』新泉社刊、2004年)がありますが、新庄さん同様に能楽・謡曲に詳しい正木さんから、より周密な研究報告が関西例会でなされてきました。
 特に今回の発表で驚いたのが、謡曲「白楽天」に見える国名表記で、「日本」と「和国」が混在しており、「和国」の部分が見事な七五調となっており、明らかに別史料からの転用と思われることでした。おそらく「和国」とは九州王朝「倭国」が原形で、この部分は九州王朝歌謡に淵源するものではないでしょうか。
 謡曲と九州王朝、あるいは古典文学と九州王朝の研究は、九州王朝歌謡・九州王朝文学の復原という可能性をうかがわせ、楽しみな研究分野です。正木さんの今後の研究成果に期待したいところです。

 1月関西例会の発表テーマは次の通りでした。

〔古田史学の会・1月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 伊予水軍・他(豊中市・木村賢司)

2). 県・県主について(豊中市・木村賢司)

3). 謡曲と九州王朝2(川西市・正木裕)
 謡曲「白楽天」中の「住吉(の神)」について、本来は摂津住吉(の神)ではなく筑紫博多湾岸の「住吉(の神)」である事、また、謡曲「岩船」中の「如意宝珠」伝来の伝承は九州王朝のもので、舞台の「住吉」も博多湾岸である事を示した。
1.「白楽天」は、唐太子の賓客とされる白楽天が日本に渡るが、住吉神に唐土に吹き戻される能。渡った先は「筑紫の海」で、舞台は「松浦潟」の海上。そこに「西の海、檍が原の波間より、住吉の神」が現われ出るのであり、これは一義的に筑紫の事と考えるべき。この点、福岡には住吉神社が多数存在し、中でも姪浜住吉神社は、古田氏が伊邪那岐の禊場所とされる「筑紫の日向の橘の小戸の檍原」の「小戸」付近にあった(現在は少し内陸部に移転)もので、「檍が原の波間より」の句に一致する。
 また「高砂」では住吉神を神松とし、「生の松」を名所と謡うが、姪浜住吉神社は「生の松原」に隣接し、神功皇后の植えたという「逆松(生松)」も同松原に存在した。博多区の住吉神社や福岡城にも神松の伝承があり、大宰府が舞台の謡曲「老松」も神松が主役等、博多湾岸には神松伝承が集中する。
 「白楽天」の住吉神は筑紫住吉の神で、曲の句(檍が原)と国産み神話が一致する事や神松伝承から、その由来は摂津住吉より遥かに古く、本来の住吉の神は筑紫の神だったと考える。

2.「岩船」の舞台は「摂津国住吉の浦」。しかし曲中天の探女が「如意宝珠」を帝に捧げる為に来たとあるが、如意宝珠は『隋書イ妥国伝』に「如意宝珠有り。其の色青く、大なること鶏卵の如し。夜則ち光有り、魚の眼精也と云ふ。」と阿蘇山と並び記される通りイ妥国=九州王朝の象徴である。
 また、帝は住吉に高麗・唐土と貿易を始める為市を設けると言い、曲中に「運ぶ宝や高麗百済。唐土舟も西の海」とあるが、『隋書』で「新羅、百濟皆イ妥を大国で珍物多しとし、敬仰し常に通使往来す」とされ、『魏志倭人伝』で、対海国(対馬)では「船に乗り南北の市に糴(交易)す」と、九州北岸と半島の「市」間の活発な交易を記す通り、高麗百済との交易拠点も「イ妥国=九州」だった。
 また、「西の海。檍が原の波間より。現はれ出でし住吉の。」と住吉神が謡われ、住吉の松も「宮柱」と讃えられるのは「白楽天」同様である事からも、この住吉も筑紫と考えられる。
 なお宇佐八幡宮文書中に、「筑紫の教到四年(五三四)」に天竺摩訶陀国より如意珠が渡来したとあり(古賀氏の発見・洛中洛外日記第一七四話)、これも岩船の原典が筑紫で、相当古い事を示すものだ。
 また、現在姪浜住吉神社に、豊漁や航海安全を祈願し、木製の玉を激しく奪い合う「玉競(たませせり)祭」が伝わるが、これは住吉の如意宝珠伝承とも関連するものではないか。

4). 「薬猟」の虚構(川西市・正木裕)
 『書紀』推古紀等には「五月五日の薬猟」が五回記述される。この内、推古十九年記事の薬猟における額田部比羅夫連等の先導や装束の記述部分は、その直前の推古十八年の新羅・任那使人の歓送迎記事からの盗用である事、薬猟は『書紀』の記述の様な煌びやかなものでも、重要な行事でもなかったことを「万葉三千八百八十五番歌」や、隋使歓迎記事等での額田部比羅夫の役割から明らかにした。
また薬猟記事に日の干支が無いのは、推古十八年十月の記事を盗用すれば推古十九年五月五日の干支と合わないことが主たる原因であり、この記事が『書紀』編纂において、干支の調整を済ませてからの盗用であることを示すものと考えられる。盗用の動機について、古田氏が指摘する「白村江直前の猟における九州王朝の大王の不慮の死」を隠すためではないか、との仮説を提示した。

4). 倭人伝の地名比定とその領域(豊中市・大下隆司)

5). 魏志は「漢音」で読むべきだ(富田林市・内倉武久)

5). 巨大古墳の環境破壊に伴う九州王朝の関西進出(木津川市・竹村順弘)

○水野代表報告
  古田氏近況・会務報告・初詣、矢田坐久志玉比古神社・他(奈良市・水野孝夫)

試みに、連携として正木氏の例会報告を掲載致します。通常は4).のように四〇〇字以内で収録の予定。

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