第3231話 2024/02/19

難波京条坊研究の論理 (6)

難波京の活動期間を初期(孝徳朝)、前期(天武朝)、後期(聖武朝)の三段階に分ける積山説に対して、わたしは、前期難波宮(京)は孝徳没後も列島内最大規模の王都であり、ここをおいて全国の評制統治が可能な規模の王都はないことから、前期難波宮は王都王宮として、朱鳥元年(686年)に焼失するまで、斉明期・天智期も機能していたはずと考えていました。たとえば670年(白鳳十年)に造籍された全国的戸籍「庚午年籍」も前期難波宮の九州王朝(倭国)の中央官僚がその作業に携わったと思われます。

積山説に考古学の分野から疑義を呈したのが佐藤隆さんでした。佐藤さんの論文「難波と飛鳥、ふたつの都は土器からどう見えるか」(注①)によれば、孝徳天皇が没した後も『日本書紀』の飛鳥中心の記述とは異なり、考古学的(出土土器)には難波地域の活動は活発であり、難波宮や難波京は整地拡大されています。

同じく大阪の考古学者、高橋工さん(大阪市文化財協会調査課長・当時)も「新春古代史講演会2020」(古田史学の会・共催。注②)で「難波宮・難波京の最新発掘成果」について講演し、難波京条坊と朱雀大路の発掘調査による最新の報告がなされました。特に難波京の条坊の有無についての論争にふれられ、「前期難波宮を造営し、その地を宮都とするのだから、宮都にふさわしい条坊都市が当初から存在したと考えるのが当たり前」という指摘は素晴らしく論理的でした。考古学者からこれほどロジカルな発言を聞くのは初めてのことで、わたしは深く感動しました。

今回、紹介した佐藤さん高橋さんは、難波京発掘調査において日本を代表する考古学者であり、そのようなお二人による最新の見解は重要です。(つづく)

(注)
①佐藤隆「難波と飛鳥、ふたつの都は土器からどう見えるか」『大阪歴史博物館 研究紀要』第15号、平成29年(2017)3月。
②古賀達也「洛中洛外日記」2066話(2020/01/21)〝難波京朱雀大路の造営年代(1)〟

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