第3398話 2024/12/20

九州王朝の都、太宰府の温泉 (2)

 「温泉」という切り口と多元史観・九州王朝説に基づき研究を始めたのですが、太宰府条坊都市の近傍(南端)にある二日市温泉の存在が古代に遡ることがわかり、九州王朝の天子や太宰府の官僚、庶民にとって貴重な温泉(次田温泉・すいたのゆ)であることに気づきました。いうならばそれは九州王朝が管理した王朝御用達の温泉だったと思われるのです。

 ちなみに筑紫野市観光協会のHPによれば、二日市温泉の泉温は55.6度、泉質はアルカリ性単純温泉(低張性アルカリ性高温泉)で、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔症、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進に効果があるとされています。
古代に於いて都の近くの温泉であれば、王朝にとっても貴重な施設であったはずです。そのことを示す史料がありました。平安時代末期、後白河法皇が編纂した歌謡集『梁塵秘抄』です。同書には、二日市温泉(すいたの湯)での入浴の序列を示した次の歌があります。

 「すいたのみゆのしたいは、一官二丁三安楽寺 四には四王寺五さふらひ、六せんふ 七九八丈九けむ丈 十にはこくふんのむさしてら よるは過去の諸衆生」

 岩波の日本古典文学大系『和漢朗詠集 梁塵秘抄』には次のように表記されています。

 「次田(すいた)の御湯の次第は、一官二丁三安楽寺、四には四王寺五侍、六膳夫、七九八丈九傔仗、十には國分の武蔵寺、夜は過去の諸衆生」 383番歌

 この歌によれば、最初に入浴するのは太宰府の高官、次に丁(観世音寺の僧侶と理解されているが未詳)、安楽寺の僧侶、四王寺の僧侶、太宰府勤務の武士、太宰府勤務の料理人が続き、「七九八丈」の意味も不明。「けむ丈」は傔仗で護衛の武士。そして最後に入浴するのは武蔵寺の僧侶、そのあと(夜)は過去の諸衆生(先祖の霊か)とされています。

 これは平安時代の序列ですが、七世紀の九州王朝時代であれば、太宰府の高官の前に、天子やその家族が入浴したのではないでしょうか。昼間の最後に武蔵寺の僧侶とされていますが、同温泉の所在地が旧・武蔵寺村ですから、地元の寺の僧侶が後片付けや掃除の担当だったのかもしれません。しかし、この歌には庶民の入浴が記されていませんので、古代でも「川湯」だったのであれば、庶民は下流で入浴していたのかもしれません。(つづく)

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