九州王朝の都、太宰府の温泉 (3)
太宰府条坊都市の近傍(南端)にある二日市温泉の存在が古代に遡り(注①)、九州王朝の天子や太宰府の官僚、庶民にとって貴重な温泉(次田温泉・すいたのゆ)であり、いうならば九州王朝が管理した王朝御用達の温泉だったと考えました。そのことを示す史料として、平安時代末期、後白河法皇が編纂した歌謡集『梁塵秘抄』に収録された、二日市温泉(すいたの湯)での入浴の順番を示した歌を紹介しました。
「次田(すいた)の御湯の次第は、一官二丁三安楽寺、四には四王寺五侍、六膳夫、七九八丈九傔仗、十には國分の武蔵寺、夜は過去の諸衆生」 日本古典文学大系『和漢朗詠集 梁塵秘抄』「梁塵秘抄」383番歌、岩波書店。
次いで検討したのが、太宰府(倭京)をこの地に造営した理由です。九州王朝の多利思北孤がこの地に都を造営し、遷都(遷宮)した理由は次の点ではないかと考えています。
(1) 新羅や高句麗による北(博多湾)からの侵攻と、隋による南(有明海)からの侵攻に対して、防衛に有利な地である。水城と筑後川が防衛ラインとなる。
(2) 北に大野城(列島最大の山城)、南に基山(城山)があり、緊急避難が可能。
(3) 筑後・豊前・豊後・肥前・肥後へと向かう官道があり、交通の要所に位置する。
(4) 福岡平野や筑紫平野という九州最大の穀倉地帯がある。
(5) 南の朝倉方面には最古の須恵器窯跡があり、西には三大須恵器窯跡群(注②)の一つ、牛頸(うしくび)窯跡群が有り、太宰府条坊都市へ土器や瓦を供給できる。
(6) 近隣に次田温泉(二日市温泉)があり、王家の人々や官僚、武人の湯治に便利である。
以上のように、太宰府(倭京)は実に優れた地に造られた都と言えます。特に、古代に於いて京内に温泉を持つことは、難波京・近江京・藤原京・平城京・平安京にはない一大利点です。(つづく)
(注)
①『万葉集』巻六 961番歌の大伴旅人の歌に「次田(すいた)温泉」とあり、二日市温泉のこととされる。
作者 大伴旅人
題詞 帥大伴卿宿次田温泉聞鶴喧作歌一首
原文 湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓戀哉 時不定鳴
訓読 湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く
②堺市の陶邑、名古屋市の猿投山(さなげやま)と牛頸(うしくび)の須恵器窯跡群は三大須恵器窯跡群遺跡と称される。