第2612話 2021/11/11

鬼ノ城礎石建物造営尺の不思議

 向井一雄さんの著書『よみがえる古代山城』(注①)に、鬼ノ城の礎石建物の造営尺を1尺29.2cmとする記事があることを「洛中洛外日記」などで紹介しました(注②)。そこで、同遺跡発掘調査報告書を探したところ、『史跡鬼城山2』(注③)に詳述されており、鬼ノ城の建造物には複数の造営尺が使用されているようです。
 鬼ノ城内からは古代の礎石建物跡が7棟発見されています。何れも計画的に配置されており、同時期の造営と見られ、報告書では次のように説明されています。

〝鬼城山で検出した礎石建物群は、総柱建物の高床倉庫と側柱建物の管理棟で構成されていた。建物群は7世紀末の飛鳥時代に整備され、8世紀前半を中心に機能し、8世紀後半まで存続していたと考えられる。建物の規模はいずれも大きく、規格性や配置に計画性が認められるほか、高床倉庫と考えられる総柱建物は、郡衙正倉に共通した特徴があり、単に軍事施設の倉庫としてだけではなく、備蓄施設としての役割も担っていたと考えられる。〟145頁

 「規格性や配置に計画性が認められる」とあるように、礎石建物1~7の使用された基準尺は次の通りです。

 建物名 桁基準尺 梁基準尺 面積  機能(推定)
 建物1 31.0㎝ 32.2㎝ 43㎡  高床倉庫
 建物2 29.2㎝ 29.2㎝ 27.5㎡ 高床倉庫
 建物3 29.6㎝ 29.0㎝  44㎡  高床倉庫
 建物4 31.8㎝ 31.4㎝ 51㎡  高床倉庫
 建物5 29.3㎝ 29.5㎝ 114㎡  管理棟
 建物6 29.2㎝ 29.2㎝ 112㎡  管理棟
 建物7 29.5㎝ 29.2㎝ 38㎡  高床倉庫
  ※「表3 城内礎石建物一覧」(143頁)より抜粋。

 この基準尺について、次のような説明がなされています。

〝建物の上屋部分の構造について検討する材料として、建物6で2か所、建物7で2か所の礎石確認柱痕跡がある。総柱建物、側柱建物の両方で丸柱を利用しており、直径は45~50㎝程度と大きなものである。建物造営時の基準尺については、表3に示した。数値にばらつきがあるが、今回の調査で全容が判明した建物で、なおかつ柱痕跡から柱間寸法を計測できる建物については、29.2~29.5㎝の範囲でそろっている。〟143頁

 このように前期難波宮の基準尺29.2㎝と近似の尺で造営されていることは、鬼ノ城の築城年代や築城勢力を推定するうえで重要です。他方、31㎝以上の基準尺が併用されている可能性もあり、そうであれば、前期難波宮でも宮と条坊で異なった基準尺が採用されていることとの類似も注目すべきと思われます。前期難波宮の場合、宮(1尺29.2㎝)と条坊(1尺29.49㎝)が異なる尺により同時期に造営されており(注④)、この点も鬼ノ城礎石建物と同様の現象といえそうです。同じ遺構の造営に、異なる基準尺が併用されているという現象は、異なる基準尺を採用する複数の技術者集団により、その遺構が造営されたと考えざるを得ませんが、それにしても不思議な現象ではないでしょうか。
 なお、鬼ノ城礎石建物の造営尺に前期難波宮と同じ29.2㎝が採用されていることは、築城時期についても7世紀中葉の可能性を示唆するものと注目しています。調査報告書にも次のような指摘があり、このことも注目されます。

〝出土した土器の様相から礎石建物群が機能していた時期の中心は8世紀前半と考えられるが、今回の調査で柱痕跡から柱間を計測した建物6や建物7は、造営尺が29.2~29.5㎝付近と古い傾向を示しており、礎石建物群の建設は7世紀後半代にさかのぼる可能性も十分ある。〟144頁

(注)
①向井一雄『よみがえる古代山城 国際戦争と防衛ライン』吉川弘文館、2017年。
②古賀達也「洛中洛外日記」2589話(2021/10/11)〝鬼ノ城と前期難波宮の使用尺が合致〟
 古賀達也「古代山城研究の最前線 ―前期難波宮と鬼ノ城の設計尺―」(未発表)
③『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告書236 史跡鬼城山2』岡山県教育委員会、2013年。
④古賀達也「都城造営尺の論理と編年 ―二つの難波京造営尺―」『古田史学会報』158号、2020年6月。

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