第2934話 2023/02/02

富雄丸山古墳出土「盾形銅鏡」の用途

先日、竹村順弘さん(古田史学の会・事務局次長)から奈良新聞(1月26日付)をいただきました。一面には、富雄丸山古墳出土の「盾形銅鏡」のカラー写真が大見出し「類例のない盾形銅鏡」「蛇行剣は国内最大」とともに掲載されていました。関連記事は2面、3面、そして8面(全面カラー写真)にもあり、さすがは地元紙。奈良県民をはじめ、古代史ファンや研究者には貴重な記事と写真が満載でした。
この大ニュースを「洛中洛外日記」で紹介したいと思いましたが、あまりに類例のない出土であり、それを古田史学・多元史観によりどのように解説してよいのかもわかりませんでした。そのため困惑してきたのですが、触れないわけにもいかず、わたしなりに感じている疑問点についてだけでも紹介することにします。
記事によれば、盾形銅鏡や蛇行剣の埋納を〝「辟邪」を期待か〟(同紙3面)との見出しで、和田晴吾さん(兵庫県立考古博物館長)や福永伸哉さん(大阪大学教授)の「辟邪」思想の現れとするコメントを掲載しています。このような捉え方も理解できますが、この「類例のない盾形銅鏡」の本来の用途は「辟邪」だったのでしょうか。橿原考古学研究所の調査によれば、「極めて細かいミクロレベルの研磨痕跡が確認され、鏡と同じ鏡面を作っていることがわかった」とあり、同品を〝鏡〟としてよいようです。しかし、わたしが知りたいのは、この鏡面が通常の銅鏡と同様の凸面なのか、それとも凹面や平面なのかという点です。もし、盾形銅鏡が埋納を前提とした「辟邪」用の特注品であれば、太陽光を拡散反射できる凸面鏡に作ると思うのですが、この大きさ(高さ64㎝、最大幅31㎝、重さ約5.7kg)ですから、日常的実用品として作ったのであれば、被葬者が生前に愛用した〝姿見〟だったととらえることもできそうです。その場合、鏡面は平面か凹面になっていると思われます。ですから、この鏡面の形式を知りたいのです。引き続き、報告書や報道に注視します。(つづく)

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