第2936話 2023/02/04

富雄丸山古墳被葬者の出身地

富雄丸山古墳は、中央の主槨と盾形銅鏡などが出土した造出部の副槨からなる〝主従形古墳〟です。この被葬者たちについて、多元史観・九州王朝説の視点で考察します。
「洛中洛外日記」2995話(2023/02/03)〝富雄丸山古墳出土「蛇行剣」の発祥地〟で「富雄丸山古墳出土の盾形銅鏡と大型(2.37m)蛇行剣(注①)を九州王朝系勢力によるものとする視点での研究が必要」としたように、南九州出自の有力豪族の可能性が高いように思われます。しかも同古墳が円墳としては日本最大(直径109m)ですし、出土した蛇行剣も最大(2.37m)のものですから、南九州地方トップクラスの有力家系の出身と見ることができます。
こうした南九州の豪族が畿内へ進出(恐らく銅鐸圏への侵攻)は九州王朝の指示によるものと思われますから、その侵攻ルートは瀬戸内海経由ではなく、黒潮に乗って四国南方から紀伊半島方面へと進んだ海上武装軍団だったのではないでしょうか。というのも、難所が多い豊後水道や多島海の瀬戸内を通るよりも、黒潮に乗りストレートに紀伊半島方面に進む方が圧倒的に早くて安全だと思うからです。
この理解が当たっていれば、宮崎県南部や鹿児島県志布志地方の大型古墳群(西都原古墳群、生目古墳群、唐仁古墳群など。注②)が注目されます。この地域であれば宮崎県北部地域よりも、黒潮に乗り紀伊半島方面に進出するのは容易です。
以上の考察に基づけば、富雄丸山古墳出土の「隼人の盾」に似た盾形銅鏡や南九州発祥とされる蛇行剣が出土したことを説明できるのではないでしょうか。更にこの進行方向の矢印(南九州から畿内へ)を重視すれば、従来言われてきたような西都原古墳群中の「畿内型前方後円墳」という呼称は不適切であり、逆に奈良県・大阪府の「南九州型前方後円墳」とするのが穏当となります。

(注)
①主に宮崎県と大隅地方の古墳・地下式横穴墓から出土している。
「日本の歴史」(https://xn--u9j228h2jmngbv0k.com/2017/11/%e8%9b%87%e8%a1%8c%e5%89%a3/)には、韓国での1例を除いては同時代の海外での出土例は報告されていないとあり、この見解に従った。
②吉村靖徳『九州の古墳』(海鳥社、2015年)による。

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