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第1293話 2016/10/30

『続日本紀』の年号認識(3)

 『続日本紀』の中で最も注目されてきた年号記事が次の「聖武天皇の詔報」です。

 「詔し報へて曰く、『白鳳より以来、朱雀より以前、年代玄遠にして、尋問明め難し。亦所司の記注、多く粗略有り。一たび見名を定め、仍て公験を給へ』とのたまふ」『続日本紀』神亀元年冬十月条(724)

 聖武天皇が治部省からの問い合わせに対して応えた詔勅に九州年号(倭国年号)の「白鳳」「朱雀」が現れており、古田先生はこの記事を九州年号実在の史料根拠の一つとされたことは有名です(古田武彦『失われた九州王朝』参照)。
 この詔報には二つの重要なテーマが含まれています。一つは、神亀元年(724)当時の聖武天皇の「発言」に前王朝の九州年号(倭国年号)がなぜ使用されているのかということ。二つ目は『続日本紀』編纂時(797年成立)において、『日本書紀』では存在を隠している前王朝(倭国)の年号が用いられている聖武天皇の詔報を、なぜ『続日本紀』に収録したのかというテーマです。
 一つ目の疑問については次のように考えることができます。すなわち大和朝廷の聖武天皇にとって、自らの王朝の最初の年号「大宝」以後の年次特定については自らの年号を用いて著すことが可能ですが、700年以前の九州王朝の時代の年次特定の方法は干支を用いるか、九州年号(倭国年号)を用いるか、『日本書紀』の紀年(○○天皇の即位何年)を用いるしかありません。
 本件のように白鳳時代(661〜685年)は神亀元年(724)よりも干支一巡以前の白鳳元年等も含まれており、干支で表記した場合、一巡前と同じ干支が神亀元年の直前にも存在することとなり、干支表記だとどちらの年かが判断できません。ですから干支表記は不都合となります。
 次に『日本書紀』紀年の使用も本件のような僧侶の「名簿」のような行政記録文書に関する場合は適切ではありません。というのも、700年以前の戸籍や「名簿」のような行政記録文書は九州王朝の時代ですから九州年号で記録されていたはずです。従って、本件の詔報のように行政記録の不備欠損に対する治部省の資料も700年以前は九州年号表記となっていたと考えられますから、聖武天皇の返答も九州年号を使用せざるを得ないのです。そもそも、治部省からの質問に「白鳳以来朱雀以前」の資料が不備欠損しているのでいかがしましょうかと、九州年号を使用して問い合わせていたと考えられます。そうでなければ、聖武天皇が「白鳳以来朱雀以前」とわざわざ九州年号により年代を限定して返答する必要がないからです。
 このように、聖武天皇の詔報に見える九州年号「白鳳」「朱雀」は、大和朝廷が700年以前の年次特定を行う際に九州年号を使用していたという理解が可能となるのです。なお、二つ目の疑問についてはまだよくわかりません。何が何でも『続日本紀』に収録しなければならないような重要な記事とも思われないからです。引き続き検討します。(つづく)