「 2017年06月06日 」一覧

第1415話 2017/06/06

原稿採否基準、新規性と進歩性

 福岡県での仕事を終え、鹿児島中央駅に向かう九州新幹線の車中で書いています。車窓からの景色はずいぶん薄暗くなりました。今日、九州南部が梅雨入りしたとのことです。

 先月の関西例会後の懇親会で、常連の会員さんから『古田史学会報』に掲載された某論文について、「古田史学の会」としてその論文の説に賛成しているのかという趣旨のご質問をいただきました。その質問をされた方は『古田史学会報』に採用されたということは編集部から承認されたのだから、その論文の説を編集部は賛成したものと理解されていたようです。こうした誤解は他の会員の皆様にもあるかもしれません。
 よい機会ですので、学術誌などの採用基準と学問研究のあり方について、わたしの考えを説明させていただきたいと思います。『古田史学会報』に採用する論稿の評価基準については、「洛中洛外日記」1327話(2017/01/23)「研究論文の進歩性と新規性」でも説明してきたところです。学術論文の基本的な条件としては、史料根拠が明確なこと、論証が成立していること、先行説をふまえていること、引用元の出典が明示されていることなどがありますが、もっと重要な視点は新規性と進歩性がその論文にあるのかということです。
 新規性とは今までにない新しい説であること、あるいは新しい視点が含まれていることなどです。これは簡単ですからご理解いただけるでしょう。次に進歩性の有無が問われます。その新説により学問研究が進展するのかという視点です。たとえば、その新説により従来説では説明できなかった問題や矛盾していた課題がうまく説明できる、あるいはそこで提起された仮説や方法論が他の問題解決に役立つ、または他の研究者に大きな刺激を与える可能性があるという視点です。
 こうした新規性と進歩性が優れている、画期的であると認められれば、仮に論証や史料根拠が不十分であっても採用されるケースがあります。結果的にその新説が間違いであったとしても、広く紹介した方が学問の発展に寄与すると考えるからです。
 『古田史学会報』ではそれほど厳しい査読はしませんが、『古代に真実を求めて』では採用のハードルが高く、編集部でも激論が交わされることがあります。しかし、その採否検討にあたり、わたしや編集委員の意見や説に対して反対か賛成、あるいは不利・有利といった判断で採否が決まることはありません。ですから、採用されたからといって、編集部や「古田史学の会」がその説を支持していることを意味しません。しかし、掲載に値する新規性や進歩性を有していると評価されていることは当然です。
 以上のように、わたしは考えていますが、抽象論でわかりにくい説明かもしれません。「洛中洛外日記」1327話ではもう少し具体的に解説していますので、その部分を転載します。ご参考まで。

【転載】
 (前略)「2016年の回顧『研究』編」で紹介した論文①の正木稿を例に、具体的に解説します。正木さんの「『近江朝年号』の実在について」は、それまでの九州年号研究において、後代における誤記誤伝として研究の対象とされることがほとんどなかった「中元」「果安」という年号を真正面から取り上げられ、「九州王朝系近江朝」という新概念を提起されたものでした。従って、「新規性」については問題ありません。
 また「近江朝」や「壬申の乱」、「不改の常典」など古代史研究に於いて多くの謎に包まれていたテーマについて、解決のための新たな視点を提起するという「進歩性」も有していました。史料根拠も明白ですし、論証過程に極端な恣意性や無理もなく、一応論証は成立しています。
 もちろん、わたしが発表していた「九州王朝の近江遷都」説とも異なっていたのですが、わたしの仮説よりも有力と思い、その理由を解説した拙稿「九州王朝を継承した近江朝廷 -正木新説の展開と考察-」を執筆したほどです。〔番外〕として拙稿を併記したのも、それほど正木稿のインパクトが強かったからに他なりません。
 正木説の当否はこれからの論争により検証されることと思いますが、7〜8世紀における九州王朝から大和朝廷への王朝交代時期の歴史の真相に迫る上で、この正木説の進歩性と新規性は2016年に発表された論文の中でも際だったものと、わたしは考えています。(後略)


第1414話 2017/06/06

「太宰府」と「大宰府」の書き分け

 今朝は博多に向かう新幹線の車中で書いています。今週は仕事で九州5県(福岡・熊本・鹿児島・宮崎・長崎)を廻ります。若い頃とは違って、ハードな出張へのモチベーションを上げるのに時間がかかるようになりました。五十代の頃は海外出張で中国大陸をクルマに乗って1日に10時間移動できる体力と精神力があったのですが。

 「洛中洛外日記」1413話で紹介した、「文書化」の7つの基本原則の“継続性の原則:同じ言葉を同じ意味で揺るがせずに使う”に関して、最近の失敗談をご紹介します。それは「太宰府」と「大宰府」の書き分けについての失敗です。
 友好団体「九州古代史の会」の機関紙『九州倭国通信』に投稿した論文中に、「太宰府」と「大宰府」の書き分けにミスがあり、編集担当の方から拙宅までお電話をいただきました。わたし自身、かなり厳密に意識的に書き分けていたのですが、うっかり一カ所だけ変換ミスをしていたところを編集担当の方から指摘され、どのように対応すべきか問い合わせをいただいたのです。通常であれば見過ごしてしまうような箇所だったのですが、その方は的確に発見され、ご丁寧にお問い合わせの電話までくださったのです。さすがは九州王朝地元の研究会だと恐れ入りました。
 ご参考までに、わたしの「太宰府」と「大宰府」の書き分けの基準について紹介します。もちろん、わたしの考えに基づくものですから、他の基準とは異なるケースもありますので、この点、ご了解ください。

「太宰府」と表記するケース
○引用元の文章が「太宰府」となっている。
○地名の「太宰府市」や神社名「太宰府天満宮」の表記。
○九州王朝の官職名や役所名としての「太宰府」「太宰」。
○九州王朝説に基づく文脈での使用。

「大宰府」と表記するケース
○引用元の文章が「大宰府」となっている。
○考古学表記・用語として定着してる「大宰府政庁」など。
○一元史観の論稿や見解を要約するケース。

 他にもありますが、おおよそ上記の点に留意して書き分けています。中でも難しいのが「一元史観の論稿や見解を要約するケース」です。ここらへんになると、要約引用された側(人)への配慮と、九州王朝説を支持する読者への配慮とが矛盾することもあり、悩ましいところです。
 ちなみに、この「洛中洛外日記」の文章は複数の方のチェック(誤字・脱字・文章表現・論文慣習・事実関係・論理性等の当否)を受けた後にHPと「洛洛メール便」担当者に送るのですが、その際、「古田史学の会」役員へもccで送信しています。ですから、みなさんの目に留まる前に多数の関係者のチェックを受けているのですが、それでも文字や文章、論旨の誤りを完全には無くせません。中でも、今回の「太宰府」と「大宰府」の書き分けに至っては、チェック担当者から“当否を判断できない”と言われるほどの「難関」の一つなのです。「太」と「大」に、これだけこだわらなければならないのは、九州王朝説・古田学派の宿命ですね。
 なお付言しますと、「洛中洛外日記」の内容や仮説が学問的に誤りであったことが後に判明することがあります。その場合は、誤りであったことが判明した時点で、あるいは誤りとまでは言えないが他の有力説が登場したときに、あらためて「洛中洛外日記」で訂正記事を書いたり紹介することにしています。そうすることが学問的に真摯な対応であり、仮説の淘汰・発展を読者もリアルタイムで見ることができ、読んでいても面白いと思うからです。学問とはそうして発展するものだとわたしは考えています。