2017年06月15日一覧

第1423話 2017/06/15

『令集解』引用「古記」の「水海」

 9世紀前半に編纂された『養老律令』の注釈書『令集解』に引用されている「古記」には『大宝律令』の注釈があり、九州王朝から大和朝廷への王朝交代直後における大和朝廷側の認識を示す貴重な史料です。たとえば、『養老律令』「戸令」には「庚午年籍」(670年造籍)の永久保存を定めた次の有名な条項があります。

 「凡戸籍。恒留五比。其遠年者。依次除。近江大津宮庚午年籍。不除。」『律令』(日本思想大系)232頁

 そして、『令集解』の同条項「近江大津宮庚午年籍不除。」の部分の解説として次の「古記」引用文が記されています。

 「古記云、水海大津大宮庚午年籍莫除。(後略)」『令集解』(国史大系)第二 287頁

 訳すと次のようです。
 「古記に云う。水海大津大宮の庚午年籍は除くなかれ。」
 『養老律令』や『日本書紀』天智紀では天智天皇の宮殿を「近江大津宮」と表記されていますが、それらよりも成立が早い『大寶律令』には「水海大津大宮」と記されていたことがうかがえます。
 「近江」とは琵琶湖のことで、「近つ淡海(あはうみ)」の二文字表記です。すなわち、大和朝廷にとって近くにある「近つ淡海」を「近江」と表記し、「おうみ」と訓んでいます。遠くにある「淡海」(浜名湖)は「遠つ淡海(あはうみ)」で「遠江(とおとうみ)」と表記されています。ところが、より成立が早い『大寶律令』では、この「古記」の記事により、琵琶湖のことを「近江」や「淡海」ではなく「水海」と表記されていたことがわかります。すなわち、九州王朝の時代である7世紀には、琵琶湖は「水海」と表記されていたと考えられるのです。
 「古田史学の会」関西例会では、『万葉集』に見える「淡海」は琵琶湖ではなく、たとえば淡水(河口の伏流水)と海水が混じり合い、文字通り「淡い海」である八代海球磨川河口とする説が発表されてきました(西村秀己さん、水野孝夫さんの研究による)。すなわち、琵琶湖は真水であり、「淡海」という表記は不適切という指摘でした。
 この他にも、『万葉集』の歌には「淡海」での「いさなとり」を歌ったものがあり、琵琶湖に鯨(いさな)はいないので、「淡海」は琵琶湖ではないとする論稿も発表されています(木村賢司さん「夕波千鳥」『古田史学会報』38号、2000年6月)。
 このような研究経緯がありましたので、琵琶湖の表記として「淡海」は不適切であり、「古記」のように「水海」のほうが妥当です。この「水海」を当時何と訓んでいたのかは不明ですが、九州王朝の時代には「近い」「遠い」を表す表記(近江・遠江)ではなかったことになります。九州王朝の都、太宰府から見れば琵琶湖も浜名湖もはるか遠方であり、琵琶湖を「近つ水海」とは表記できなかったのではないでしょうか。あるいは、わたしが考えているように「九州王朝の近江遷都」説が正しければ、すぐとなりの琵琶湖は近すぎて、逆に「近つ水海」と呼べなかったのかもしれません。
 なお、ご参考までに「洛中洛外日記」17話「淡海は琵琶湖ではなかった」を転載します。

【転載】洛中洛外日記
第17話 2005/08/05
「淡海は琵琶湖ではなかった」

 古田史学の会内部でしばしば研究テーマとなっているものに、「淡海」はどこかという問題があります。口火を切られたのが木村賢司さん(会員・豊中市)で、『万葉集』に見える「淡海の海」を全て抜き出され、その歌の内容から通説の琵琶湖ではありえないとされました(「夕波千鳥」、『古田史学会報』38号)。そして、淡海の海を博多湾近辺の海ではないかとされました。
 古田先生は現在の鳥取県にあたる『和名抄』の邑美を候補とされ、後に阿波(徳島県)近海と考察されるに至っています。
 西村秀己さん(本会全国世話人・向日市)は『倭姫命世記』に見える「淡海浦」の地勢記事から熊本県八代市の球磨川河口付近とする説を関西例会で口頭発表されました。
いずれの説も一理あるものの決め手に欠けていました。そんな中で発表されたのが、水野孝夫さん(本会代表・奈良市)の「阿漕的仮説-さまよえる倭姫-」(『古田史学会報』69号)でした。その結論は西村説を裏づけるものですが、『倭姫命世記』に記された淡海浦の記事、すなわち西に七つの島があり、南には海水に淡水が混じって淡くなるという海域が八代市球磨川河口(球磨川の伏流水が水島付近で湧き出している)に存在することを見つけられたのでした。しかも、対岸の天草には放浪するお姫様の伝承を持つ姫戸などの地域があったのです。すなわち、倭姫伝承も九州王朝の伝承からの盗用だったのでした。
 これらの発見には、当地や有明海などに詳しい古川清久さん(会員・武雄市)の協力があったそうですが、こうした共同作業などは古田史学の会の持つ特長です。プロの学者でもできないような新発見が古田学派内では次々と行われています。あなたも古田史学の会に入って、一緒に研究しませんか。