「 2017年06月07日 」一覧

第1416話 2017/06/07

天草と草津(滋賀県)の地名由来新考

 昨晩は鹿児島市のホテルに宿泊し、今朝は鹿児島空港行きの高速バスの車中で執筆しています。今日のスケジュールは超ハードで、宮崎・熊本・鹿児島の三県を巡回し、夜は天草のホテルで宿泊です。

 「洛中洛外日記」425話(2012/06/12)で「天草」の語源について考察したことがあります(下記に転載)。それは「あまくさ」の意味を、海(あま)の日(くさ)とする新説です。今でも有効な仮説と考えています。同様に滋賀県の「草津」の地名も、日(くさ)の津(つ)、すなわち「太陽の港」「朝日で照り輝く港」を意味するのではないかという作業仮説(思いつき)に至りました。
 この場合、この地名は草津側で命名されたものではないと考えられます。なぜなら、草津の住民にとって太陽は更に東側の山々から昇るものであり、自らの居住地(草津)を「太陽の港」などとは受け止められないからです。従って、もしこの作業仮説(思いつき)が正しければ、「日津(くさつ)」と命名したのは琵琶湖の対岸(西岸)の人々ではないかと思われます。その地域の人々であれば、朝日が琵琶湖の対岸(東岸)の草津方面から昇ることになり、草津を日(くさ)に照り輝く津(つ)と表現したとしても一応の理屈が通るからです。
 しかし、地名というものは誰かがそう呼んだからそう決まるというものではなく、周囲の誰もが納得できる理由や動機が必要です。そこでわたしは草津の琵琶湖対岸に、「くさつ」と命名した権力者が居たのであれば、その地名を周囲や当地の住民も納得せざるを得ないのではないかと考えました。
 それでは草津の琵琶湖対岸には何があるでしょうか。そうです。錦織遺跡(近江大津宮)です。ここにいた天子あるいは天皇が、自らの宮殿から見て東対岸の港方向から昇る朝日にちなんで、その港(津)を日(くさ)津(つ)と命名したのではないかと考えました。
 この草津の地名由来を「日津(くさつ)」とする作業仮説(思いつき)を学問的仮説として成立させるためには、少なくとも次の手続きが必要です。それは近江大津宮から朝日を見たとき、草津方面が日(くさ)の津、すなわち朝日に照り輝く港と呼ぶにふさわしいかどうかを実地検証する必要があります。
 そのことが確認できれば仮説として成立するのではないでしょうか。もちろんその場合でも一つの「仮説」ですから、検証や論争を経て、他の仮説よりも有力と認証されれば「有力仮説」となり、その考えが多くの人々に支持されたときに「定説」の地位を得ます。さて、今回のわたしの作業仮説(思いつき)はどのような運命をたどるのでしょうか。皆さんのご批判を心待ちにしています。

【転載】洛中洛外日記
第425話 2012/06/12
「天草」の語源

 第422話で紹介しましたように、先週、出張で天草に行ったとき、ふと考えたのが「天草」の意味でした。もちろん漢字は当て字で、「天にはえている植物」の意味ではないと思います。
 この疑問はわりと簡単に「解決」しました。「天(あま)」は「海」のことで、「草(くさ)」は太陽のことです。すなわち「あまくさ」とは「海の太陽」のことではないでしょうか。天草島の地理関係から考えると、「海に沈む夕日」が適切かもしれません。
 ちなみに、現在では上天草島や下天草島など全体を「天草」と称していますが、もともとは下天草島の西海岸側の一部の地名だったようです。ですから、そこは海に沈む夕日がきれいな絶景の観光スポットだと思いますし、「あまくさ」=「海の太陽」(が美しく見える地)という地名にぴったりです。ホテルでもらった観光案内パンフレットにも天草の紹介文として「東シナ海に沈む夕日が日本一きれいなところ」とありました。偶然とは思えない表現の一致です。
 「あま」が「海」というのはよく知られていますし、今も「海」を「あま」と読む地名は少なくありません。しかし、「くさ」が何故「太陽」なのか疑問に思われる方もおられると思います。
 実は昔、古田先生から教えていただいたことなのですが、「日下」を「くさか」、「日下部」を「くさかべ」と訓むように、「日」のことを古代日本では「くさ」と訓んでいたのです。すなわち、太陽のことを「くさ」」と訓んだ時代や人々が日本列島にあったのです。
 「あまくさ」の語源に対応した正確な漢字を当てるとすれば、「海日」ではないでしょうか。「海に沈む夕日が美しい島」、天草は古代史研究(装飾壁画古墳)でも重要な島なのですが、そのことは別の機会にふれたいと思います。