2019年02月一覧

第1834話 2019/02/09

『古田史学会報』150号のご案内

 『古田史学会報』150号が発行されました。冒頭の服部論稿を筆頭に谷本稿など注目すべき仮説が掲載されています。
 服部さんは、太宰府条坊都市の規模が平城京などの律令官僚九千人以上とその家族が居住できる首都レベルであることを明らかにされ、太宰府が首都であった証拠とされました。この論理性は骨太でシンプルであり強固なものです。管見では古田学派による太宰府都城研究において五指に入る優れた論稿と思います。
 谷本さんの論稿は、『後漢書』に見える「倭国之極南界也」の古田説に対する疑義を提起されたもので、これからの論議が期待されます。わたしは「『論語』二倍年暦説の史料根拠」と「〈年頭のご挨拶に代えて〉二〇一九年の読書」の二編を発表しました。後者は古田先生の学問の方法にもかかわるソクラテス・プラトンの学問についての考察です。これもご批判をいただければ幸いです。
 今号に掲載された論稿は次の通りです。

『古田史学会報』150号の内容
○太宰府条坊の存在はそこが都だったことを証明する 八尾市 服部静尚
○『後漢書』「倭国之極南界也」の再検討 神戸市 谷本 茂
○『論語』二倍年暦説の史料根拠 京都市 古賀達也
○新・万葉の覚醒(Ⅱ)
 -万葉集と現地伝承に見る「猟に斃れた大王」- 川西市 正木 裕
○稲荷山鉄剣象嵌の金純度-蛍光X線分析で二成分発見- 東村山市 肥沼孝治
○〈年頭のご挨拶に代えて〉二〇一九年の読書 古田史学の会・代表 古賀達也
○各種講演会のお知らせ
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第1833話 2019/02/03

「実証主義」から「論理実証主義」へ(2)

 今朝は大阪へ向かう京阪特急の車内で書いています。本日、大阪市のドーンセンターで開催する「古田史学の会」新春古代史講演会の講師、山田春廣さんを宿泊ホテルまでお迎えに行きます。山田さんは昨日のうちに千葉県鴨川市から来阪されています。『日本書紀』景行紀の謎の記事「東山道十五国都督」について解明された山田さんの新説を講演していただくことになっており、わたしも楽しみにしています。

 今回、「洛中洛外日記」で新たに取り上げようとしている、〝学問は実証よりも論証を重んずる〟という村岡先生の言葉や思想の由来についてですが、20世紀前半にヨーロッパ(ウィーン学団など)で行われた哲学における「実証主義」批判と「実証主義」の対案として出された「論理実証主義」の影響を村岡先生は受けられたのではないかと、わたしは推察しています。というのも、村岡先生は早稲田大学で波多野精一教授の下で西洋哲学を専攻されており、当時のヨーロッパでのこうした哲学論争のことをご存じなかったとは考えられないからです。
 ウィキペディアなどによると、19世紀フランスの思想家オーギュスト・コントが提唱したとされる「実証主義」に対して、その限界が問題視された1920年頃から新たに「論理実証主義」(論理経験主義)が「ウィーン学団」と称される研究者たちから論議・提案されてきました。瞬く間に「論理実証主義」は西洋の哲学界や科学界に広まりました。その最中に村岡先生は欧州遊学されているのです。村岡典嗣著「日本學者としての故チャンブレン教授」(昭和10年。『続日本思想史学』〔昭和14年、1939年〕所収)によれば、次のようにスイス・ジュネーブでのチャンブレン教授との出会いが記されており、村岡先生がヨーロッパを訪問されていたことがわかります。

 「二月十五日、瑞西のジュネエヴで、八十五歳の高齢で永眠したチャンブレン教授については、我國でも十七日の諸新聞に訃が報ぜられて、すでに紙上に、ゆかりある追悼者によっての傳記、閲歴の紹介などを見た。吾人も亦、一九二三年の五月、獨逸遊學中伊太利に旅した途次ジュネエヴを訪うた時、恰かも教授の住まへるレエマン湖畔のホテル・リッチモンドに宿り合せ、二十一日の午後、日本風にいはば三階の、第三十六號の教授の居室を訪ねて、面談する幸ひを得た些かの機縁を有する。」(『続日本思想史学』357頁、岩波書店)

 この翌年の大正13年(1924)には、村岡先生は広島高等師範から東北帝国大学(法文学部教授、日本思想史科を開設)に移られるのですが、この「獨逸遊學」中に「論理実証主義」に触れられたのではないでしょうか。むしろ、ヨーロッパを席巻し始めた新たな思想潮流を学ぶために「獨逸遊學」されたのではないかとさえ思われるのです。そして、この「論理実証主義」との出会いが刺激となって、〝学問は実証よりも論証を重んずる〟という言葉が生まれたのではないかと、わたしは推定しています。(つづく)

《ウィキペディアでの解説(抜粋)》
○「実証主義」(じっしょうしゅぎ、英: positivism、仏: positivisme、独: Positivismus)は、狭い意味では実証主義を初めて標榜したコント自身の哲学を指し、広い意味では、経験的事実に基づいて理論や仮説、命題を検証し、超越的なものの存在を否定しようとする立場である。

○「論理実証主義」(ろんりじっしょうしゅぎ、英: Logical positivism)とは、20世紀前半の哲学史の中で、特に科学哲学、言語哲学において重要な役割を果たした思想ないし運動。論理経験主義(英: Logical Empiricism)、科学経験主義とも言う。
 1920年代後半のウィーンでエルンスト・マッハの経験主義哲学の薫陶を受けたモーリッツ・シュリックを中心に結成したウィーン学団が提唱した。経験論の手法を現代に適合させ、形而上学を否定し、諸科学の統一を目的に、オットー・ノイラート、ルドルフ・カルナップなどのメンバーで活動したウィーンを中心とした運動である。その特徴は、哲学を数学、論理学を基礎とした確固たる方法論を基盤に実験や言語分析に科学的な厳正さを求める点にあり、その後の認識論及び科学論に重大な影響を与えた。


第1832話 2019/02/01

「実証主義」から「論理実証主義」へ(1)

 先月、多元的古代研究会の安藤哲朗会長と電話でお話しする機会がありました。年始のご挨拶を兼ねて、多くの意見交換を行うことができました。その中で〝学問は実証よりも論証を重んずる〟という村岡典嗣先生の言葉も話題となりました。安藤さんのお話によれば、〝このような言葉は古田先生の著書にも書かれておらず、古田先生から聞いたというのは古賀の嘘だ〟と信じておられる方がいるとのこと。このような虚偽情報を真に受けている方が未だにおられることに驚きました。と同時に、わたしの説明(反論)が不十分だったことを反省しました。
 今から三十数年前に古田先生の門を叩いて以来、わたしはこの〝学問は実証よりも論証を重んずる〟という村岡先生の言葉を古田先生から何度もお聞きしましたし、古くからの古田ファンや支持者(不二井伸平さん、西村秀己さん他)も聞いておられますから、まさか〝古賀の嘘〟と言われるとは夢にも思いませんでした。また、この言葉は古田先生の著作にも記されており、〝古田先生の著作に書かれていない〟と言われる方は、古田先生の著作を全て読んでおられないようです。多元的古代研究会の機関紙『多元』142号(2017年11月)の一面に掲載された拙稿「論証は学問の命(古田武彦)」でも次の古田先生の著書にこの言葉が記されていることを紹介しています。

○「魏・西晋朝短里の方法 中国古典と日本古代史」1982年(昭和57年)、東北大学文学部『文芸研究』100〜101号所収。
 同論文はこの翌年『多元的古代の成立・上』(駸々堂出版)に収録。
【以下、当該部分を引用】わたしはかって次のような学問上の金言を聞いたことがある。曰く『学問には「実証」より論証を要する。(村岡典嗣)』と。
○『よみがえる九州王朝 幻の筑紫舞』(ミネルヴァ書房)巻末の「日本の生きた歴史(十八)」2013年。
【以下、当該部分を引用】わたしの恩師、村岡典嗣先生の言葉があります。「実証より論証の方が重要です。」と。

 このように、先生は著作中でも30年の永きにわたり、この言葉を綴っておられるのです。古くからの古田先生の支持者や近年の「日本の生きた歴史」の読者であればこの事実を知らないはずはありません。
 しかし、今回「洛中洛外日記」で新たに取り上げたいのは、〝学問は実証よりも論証を重んずる〟という村岡先生の言葉や思想の由来についてです。安藤さんとの会話の中で、「この言葉の意味について関西ではどのような検討や論議が行われているのか知りたい」とのご要望をいただき、わたしは「今年になって面白い問題に気づきましたので、もう少し勉強してからご説明することにします」と返答しました。その面白い問題とは20世紀前半にヨーロッパ(ウィーン学団など)で行われた「実証主義」批判と「実証主義」の対案として出された「論理実証主義」の研究経緯についてでした。(つづく)


第1831話 2019/02/01

1月に配信した「洛中洛外日記【号外】」

 1月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。1月はインフルエンザに感染し、会社を一週間も休んでしまいましたが、症状が軽かったおかげで難波宮出土須恵器の調査やカール・ポパーの反証主義について勉強することができました。しかもそれぞれのテーマで研究成果を得ることができました。
 たとえば、前期難波宮天武朝造営説の根拠とされてきた「前期」難波宮整地層出土とされた須恵器坏Bが実は「後期」難波宮整地層出土であったことが判明し、前期難波宮天武朝造営説が発掘報告書の誤読による誤論であったことを突き止めることができました。
 また、反証主義が発表されたヨーロッパの論理哲学の歴史的経緯(19世紀後半〜20世紀前半)を少しだけ勉強したのですが、ちょうどそのころヨーロッパに行かれた村岡典嗣先生が当時の論理哲学の趨勢(ウィーン学団の論争)に触れられたことが、「学問は実証よりも論証を重んずる」という言葉に繋がった可能性に気づくことができました。このテーマは未発表ですので、これからもっと勉強してから紹介したいと考えています。

 「洛中洛外日記【号外】」配信を希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記」「同【号外】」のメール配信は「古田史学の会」会員限定サービスです。

《1月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル》
2019/01/04 新年のご挨拶と熊本地震のお見舞い
2019/01/16 『九州倭国通信』No.193のご紹介
2019/01/28 正木事務局長との新春京都懇談
2019/01/31 『東京古田会ニュース』184号のご紹介