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第1974話 2019/08/27

大和「飛鳥」と筑紫「飛鳥」の検証(8)

 飛鳥の石神遺跡から出土した木簡の「大学官(だいがくのつかさ)」「勢岐官(せきのつかさ)」「道官(みちのつかさ)」と同類の「舎人官(とねりのつかさ)上毛野阿曽美□」「陶官(すえのつかさ)」と記された木簡が藤原宮遺跡(大極殿北方大溝下層)からも出土しています。いずれも藤原宮完成前の「飛鳥浄御原令」に基づくものと解説されています(『藤原宮出土木簡(二)』昭和52年)。更に同木簡出土地点からは「進大肆」という、『日本書紀』によれば天武14年(685)に制定された位階が記された木簡(削りくず)や、「宍粟評(播磨国)」「海評佐々里(隠岐国)」木簡も出土していることから、それらは七世紀末頃のものと見て問題ありません。
 このように石神遺跡や藤原宮下層遺跡から出土した木簡の史料事実により、天武天皇や持統天皇らは九州王朝系の官職名「○○官」を採用し、それら官僚群により東国から西日本にかけての広域統治を飛鳥宮で行っていたことがわかります。藤原宮時代になると出土した荷札木簡から判断できる統治領域は更に広がります。
 以上のように出土木簡や『日本書紀』の記事というエビデンスに基づいて、一元史観の大和「飛鳥宮」説が強固に成立しています。(つづく)

《奈良文化財研究所「木簡データベース」》から転載

【木簡番号】524
【本文】□□〔且ヵ〕□舎人官上毛野阿曽美□□〔荒ヵ〕□○右五→
【寸法(mm)】縦(257) 横(13) 厚さ6
【型式番号】081
【出典】藤原宮2-524(飛3-5下(33))
【文字説明】「曽」は異体字「曾」。
【形状】上欠(折れ)、下欠(折れ)、左欠(割れ)、右欠(割れ)。
【樹種】ヒノキ科♯
【木取り】追柾目
【遺跡名】藤原宮跡大極殿院北方
【所在地】奈良県橿原市醍醐町
【調査主体】奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
【発掘次数】藤原宮第20次
【遺構番号】SD1901A
【地区名】6AJFKQ33
【内容分類】文書
【国郡郷里】
【人名】上毛野阿曽美□(荒)□
【和暦】
【西暦】
【木簡説明】上下折れ、両側面割れ。文書木簡の断片。舎人官は大宝・養老令官制の左右大舎人寮か東宮舎人監の前身官司と考えられる。舎人官の上にある文字は、大・左・右のいずれでもない。人名中にみえる阿曽美は朝臣の古い表記法と思われ、『続日本紀』宝亀四年五月辛巴条にみえる。

【木簡番号】523
【本文】陶官召人
【寸法(mm)】縦(127) 横 32 厚さ 3
【型式番号】019
【出典】藤原宮2-523(飛3-5下(34))
【文字説明】
【形状】下欠(折れ)。
【樹種】ヒノキ科♯
【木取り】板目
【遺跡名】藤原宮跡大極殿院北方
【所在地】奈良県橿原市醍醐町
【調査主体】奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
【発掘次数】藤原宮第20次
【遺構番号】SD1901A
【地区名】6AJFKQ33
【内容分類】文書
【国郡郷里】
【人名】
【和暦】
【西暦】
【木簡説明】下端折れ。陶官が人を召喚した文書の冒頭部分にあたる。陶官は『令義解』にみえる養老令官制の宮内省管下の筥陶司の前身となるものであろう。大宝令施行期間中に筥陶司が存在したことは天平一七年(七四五)の筥陶司解(『大日本古文書』二-四〇八)の存在から確認できる。したがって、陶官という官名は飛鳥浄御原令制下にあったものと思われるが、さらにこの海から出土した他の木簡の例からみて浄御原令施行以前にも存在していた可能性がある(総説参照)。官司名+召という書きだしをもつ召喚文は藤原宮木簡四九五、平城宮木簡五四・二〇九四などにもみえるが、この木簡の例などからみて、かなり古くから行われたものらしい。