2021年06月29日一覧

第2505話 2021/06/29

九州王朝(倭国)の仏典受容史 (2)

    法華経「薬王菩薩本事品」の阿弥陀浄土思想

 近年の「古田史学の会」関西例会では、九州王朝仏教についての研究発表があり、論議検討がなされています。『古田史学会報』164号(2021年6月)に掲載された服部静尚さんの論稿「女帝と法華経と無量寿経」もその一つで、「女人往生」の視点から、六~七世紀における仏典受容に着目され、釈迦信仰(法華経)から阿弥陀信仰(無量寿経)への流れを説明されています。同研究は会報発表に先だって本年四月の関西例会で口頭発表されました。浄土信仰の痕跡はわが国には古くからあったとする論文を読んだ記憶があったのですが、そのときには出典を思い出せませんでした。その後、九州王朝における仏典受容史の勉強をしていて、ようやく出典の一つを思い出しました。東野治之さんの『日本古代史料学』(注①)に収録されている「太子信仰の系譜」という論文で、次のように記されています。

〝太子の作とされる三経義疏の一つは『勝鬘経義疏』であるが、勝鬘経では勝鬘夫人という女性が主役になっている。こういう経典が注釈の対象にされたのは推古女帝の存在と無関係ではなく、逆に太子が勝鬘経を講義したという伝えも認めていいであろう。もう一つの注釈『法華義疏』は、いうまでもなく法華経の注であるが、法華経の「薬王菩薩本事品」という章には、女性の阿弥陀浄土への往生が述べられていて、これも女性に縁がある。太子は日本人として最初に法華経を将来、流布した人とみられていた(『延暦僧録』上宮皇太子菩薩伝)。
 光明皇后のころになると、女性救済を説く「題婆達多品」を加えた法華経が普及しており、太子忌日の法華経講讃が企画されたのも、女性としての関心から出ているのではないだろうか。〟同書、39頁

 ここにあるように、法華経「薬王菩薩本事品」に女性の阿弥陀浄土への往生が述べられているという指摘は興味深いものです。もちろん、九州王朝説に立てば、近畿天皇家の聖徳太子伝承は九州王朝の多利思北孤や利歌彌多弗利の事績を転用したとする視点での史料批判が必要です。
 なお、「薬王菩薩本事品」には次の説話が見えます。

『妙法蓮華経』「薬王菩薩本事品二十三」
(前略)
 宿王華、若し人あって是の薬王菩薩本事品を聞かん者は、亦無量無辺の功徳を得ん。若し女人にあって、是の薬王菩薩本事品を聞いて能く受持せん者は、是の女身を尽くして後に復受けじ。若し如来の滅後後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん。復貪欲に悩されじ。亦復瞋恚・愚痴に悩されじ。亦復・慢・嫉妬・諸垢に悩されじ。菩薩の神通・無生法忍を得ん。是の忍を得已って眼根清浄ならん。是の清浄の眼根を以て、七百万二千億那由他恒河沙等の諸仏如来を見たてまつらん。(後略)

 当時、「成仏」できないとされた「女人」でも、薬王菩薩本事品を聞いて説の如く修行すれば、死後に「安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん」と阿弥陀浄土への往生ができると説いています。
 拙稿「九州王朝仏教史の研究 ―経典受容記事の史料批判―」(注②)で紹介したように、九州年号の「端政」年間(589~594年)での法華経伝来記事「自唐法華経始渡」が『二中歴』「年代歴」にあり、これは多利思北孤の時代に相当します。ですから法華経の受容により、同「薬王菩薩本事品」に基づく女人往生を可能とする阿弥陀浄土信仰が六世紀末頃の九州王朝宮廷内の女性達にもたらされたのではないでしょうか。(つづく)

(注)
①東野治之『日本古代史料学』岩波書店、2005年。
②古賀達也「九州王朝仏教史の研究 ―経典受容記事の史料批判―」『「九州年号」の研究』ミネルヴァ書房、2012年。