2022年06月16日一覧

第2764話 2022/06/16

「トマスによる福音書」と

   仏典の「変成男子」思想 (2)

 発見された「トマスの福音書」(ナグ・ハマディ文書)の最終節(114)に次の記事があります。いわゆる「変成男子」思想に相当するものです。

〝シモン・ペトロが彼らに言った。「マリハムは私たちのもとから去った方がよい。女たちは命に値しないからである」。イエスが言った。「見よ、私は彼女を(天の王国へ)導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る活ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから」。〟『ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書』(注①)

 ここに見えるマリハムとはマグダラのマリアのことで、イエスの〝妻〟ではないかとする見解や小説(注②)もある女性です。なお、イエスの周囲にはマリハム(マリア)という名前を持つ女性が数名おり、これは偶然のことではないとする西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)の論文があります(注③)。わたしは高く評価しているのですが(注④)、古田先生からは厳しいご批判があった思い出深い論文でした。
 対して、仏典中の「変成男子」説話として著名な『法華経』題婆達多品(だいばだった・ぼん)に見える「龍女の成仏」説話は次のようです。主に仏弟子の舎利弗と龍女との対話になります。

〝その時、舎利弗は、竜女に語りて言わく「汝は、久しからずして、無上道を得たりと謂えるも、この事は信じ難し。所以はいかん。女身は垢穢にして、これ法器に非ず。云何(いか)んぞ能く、無上菩提を得ん。仏道は懸曠(はるか)にして、無量劫を経て、勤苦して行を積み、具さに諸度を修して、然して後、乃ち成ずるなり。又、女人の身には、猶、五つの障(さわり)あり。一には梵天王と作ることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何ぞ、女身、速かに成仏することを得ん」と。
 その時、竜女に、一つの宝珠あり、価直は三千大千世界なり。持って以って仏に上(たてま)つるに、仏は即ち之を受けたもう。竜女は、智積菩薩と尊者舎利弗に謂いて言わく「われ、宝珠を献(たてま)つるに、世尊は納受したもう。この事、疾(すみやか)なるや、不(いな)や」と。答えて言わく「甚だ疾なり」と。女の言わく「汝の神力をもって、わが成仏を観よ。またこれよりも速(すみやか)ならん」と。当時の衆会は、皆、竜女の、忽然の間に変じて男子と成り、菩薩の行を具して、すなわち南方の無垢世界に往き、宝蓮華に坐して、等正覚を成じ、三十二相・八十種好ありて、普(あまね)く十方の一切衆生のために、妙法を演説するを見たり。その時、娑婆世界の菩薩と声聞と天・竜の八部と人と非人とは、皆、遥かに彼の竜女の、成仏して普く時の会の人・天のために法を説くを見、心、大に歓喜して悉く遥かに敬礼せり。無量の衆生は、法を聞いて解悟(さと)り、不退転を得、無量の衆生は、道の記を受くることを得たり。無垢世界は、六反に震動し、娑婆世界の三千の衆生は、不退の地に住し、三千の衆生は菩提心を発して、記を受くることを得たり。智積菩薩と及び舎利弗と一切の衆会とは、黙然として信受せり。〟『法華経』(注⑤)

 現代人の人権感覚からすると、女性が救済(福音書:天国に入る。仏典:成仏する。)されるためには男性にならなければならないという、なんとも屈折した方法であり、これは女性蔑視が前提となった思想です。キリスト教学では、このことをどのように説明しているのかは、不勉強のため知りませんが、仏教研究においては中村元氏が原始経典を根拠に、釈迦の言動を次のように説明をしています。

〝このように婦人蔑視の観念に、真正面から反対していることもあるが、或る場合には一応それに妥協して実質的に婦人にも男子と同様に救いが授けられるということを明らかにしている。そのために成立したのが「男子に生まれかわる」(変成男子)という思想である。この思想はすでに原始仏教時代からあらわれている。〟『原始仏教 その思想と生活』(注⑥)

 おそらく、キリスト教も仏教も女性蔑視の時代や社会の中で生まれた宗教ですから、このような「変成男子」思想が必然的に発生したのではないでしょうか。そうであれば、その当時の女性たちは「変成男子」思想を現代人の人権感覚のように女性差別思想(宗教)として退けるのではなく、自らを救済する思想(宗教)として、すがるような気持ちで受容したのではないかとする視点での検証も必要です。その時代の人々の認識を再認識するというのが、古田先生が採用したフィロロギーという学問なのですから。(つづく)

(注)
①『ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書』岩波書店、1998年。
②木村賢司「『ダ・ヴィンチ・コード』を読んで」『古田史学会報』72号、2006年。
③西村秀己「マリアの史料批判」『古田史学会報』62号、2004年。
④古賀達也「洛中洛外日記」361話(2011/12/13)〝「論証」スタイル(1)〟
⑤『法華経(中)』岩波文庫、1988年版。
⑥中村元『原始仏教 その思想と生活』NHKブックス、1970年、177頁。