「 古田史学会報 」一覧

第2064話 2020/01/15

『九州倭国通信』No.197のご紹介

 先日参加した「九州古代史の会」新春例会で、会報『九州倭国通信』No.197を頂きましたので紹介します。
 同号には拙稿「『古田武彦記念古代史セミナー』の情景」を掲載していただきました。昨年11月に開催された「八王子セミナー」の雰囲気を紹介し、九州の古代史ファンに参加を呼びかけました。
 同号の表紙には筑前国分寺(太宰府市国分)の塔礎石跡の写真が掲載され、最終ページに「筑前国分寺の不思議」という説明文が付されていました。その説明によれば、同遺跡からは古式の老司系瓦が出土しており、創建年は天平三年(七四一)の聖武天皇による国分寺創建の詔勅よりも早い可能性が示唆されていました。わたしも九州王朝による多元的国分寺(国府寺)創建という仮説を提起してきましたので、とても興味深い記事と思いました。


第2058話 2019/12/29

『多元』No.155のご紹介

 友好団体の「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.155が届きました。拙稿「七世紀の『天皇』号 -新・旧古田説の比較検証-」を掲載していただきました。
 九州王朝と近畿天皇家との関係について、当初、古田先生は七〇一年の王朝交替より前は、倭国の臣下筆頭の近畿天皇家は七世紀初頭頃からナンバーツーとしての「天皇」号を許されていたとされていましたが、晩年には、七世紀の金石文などに残る「天皇」を九州王朝の天子の別称であり、近畿天皇家が天皇を名乗るのは文武からとする新説を発表されていました。
 わたしは旧説を支持していましたので、拙稿ではその理由と史料根拠を明示しました。古田先生が著作などで触れられなかった近畿の金石文(長谷寺千仏多宝塔銅板、釆女氏榮域碑)や飛鳥池出土木簡(「天皇」「舎人皇子」「穂積皇子」「大伯皇子」「大津皇」)などを紹介しました。古田学派内でも七世紀の「天皇」号などを論じる際は、こうした史料にも目を向けていただければと願っています。
 同号掲載の西坂久和さん(昭島市)の論稿「呉老師ら来日 -その後」には九州王朝系図と見られている「松野連系図」が紹介されており、興味深く拝読しました。同系図には倭の五王らの名前が見え、以前から注目されてきたのですが、どの程度歴史の真実を反映しているのかという史料批判が難しく、学術論文の史料(エビデンス)として使いにくいという問題があります。珍しい史料だけに、九州王朝説にとって今後の検討課題です。


第2055話 2019/12/12

『古田史学会報』155号のご紹介

 『古田史学会報』155号が発行されましたので、ご紹介します。今号はバラエティーに富んだ、読んで面白い会報になりました。中でも、一面に掲載された岡下稿は関西例会で発表されたもので、『隋書』イ妥国伝の「イ妥国」は倭国のこととする骨太な論証による好論です。札幌市の阿部さんの論稿も、前期難波宮(京)は鞠智城の持つ「山城」と「都城」という性格を受け継いだとするもので、とても面白い視点だと思いました。
 155号に掲載された論稿は次の通りです。この他にも優れた投稿がありましたが、次号以降での掲載となりますので、ご了解下さい。また、投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

『古田史学会報』155号の内容
○『隋書』イ妥国伝を考える 京都市 岡下英男
○1月19日(日)「新春古代史講演会2020」のお知らせ
○「鞠智城」と「難波京」 札幌市 阿部周一
○三種の神器をヤマト王権は何時手に入れたのか 八尾市 服部静尚
○難波の都市化と九州王朝 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・二十一
 磐井没後の九州王朝1 古田史学の会事務局長 正木 裕
○なぜ蛇は神なのか? どうしてヤマタノオロチは切られるのか? 京都府大山崎町 大原重雄
○会費納入のお願い
○古田史学の会・関西 史跡めぐりハイキング
○古田史学の会・関西例会のご案内
○各種講演会のお知らせ
○『古田史学会報』原稿募集
○編集後記 西村秀己


第2049話 2019/12/03

『東京古田会ニュース』189号の紹介

 『東京古田会ニュース』189号が届きました。今号には拙稿「即位礼正殿の儀の光景 -『黄櫨染御袍』考-」を掲載していただきました。本稿は、天皇しか着ることが許されていないという「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」の染色に使用された天然染料(櫨、蘇芳)とその染色技術(金属媒染)について考察したものです。国内に自生していない蘇芳の入手や九州王朝(倭国)海軍についても触れました。
 今号で改めて注目したのが橘高修さん(東京古田会・事務局長、日野市)の論稿「古田武彦の『八面大王論』(幷私論)」でした。信州に遺る古代伝承「八面大王」は九州王朝滅亡期に信州に逃げた筑紫君薩野馬のこととする古田説を解説し、『日本書紀』に見える「鼠」が登場する記事の分析から、この「鼠」とは九州王朝勢力のことであり、「八面大王」の勢力を現地史料では「鼠族」と呼ばれていることを古田説の傍証として紹介されました。
 橘高さんは、『日本書紀』に見える「鼠」を九州王朝のこととする論稿「鼠についての考察」を『東京古田会ニュース』152号(2013年9月)に発表されていたのですが、当時は「このような捉え方もあるのか」と思った程度で、わたしはあまり関心を払いませんでした。論証成立の当否も半信半疑だったと思います。ところが今回改めて拝読しますと、『日本書紀』の「鼠」記事全てとは言えないまでも、仮説としては成立するのではないかと考えるようになりました。
 橘高稿にもあげられていますが、『日本書紀』には、鼠が集団で移動すると、それは遷都の兆しとする記事が散見されます。たとえば、大化元年(645)十二月条には鼠が難波に向かったことを難波遷都の兆しとする記事があり、「前期難波宮九州王朝複都」説に対応していそうです。天智五年(666)是冬条には、京都の鼠が近江に移るという記事があり、これも「九州王朝の近江遷都」説に対応していると捉えることもできます。このように、十数年来、わたしが提起してきた仮説と橘高説は対応していることに、遅まきながら気づいた次第です。なお、橘高さんによる八面大王伝承の紹介論稿「安曇野に伝わる八面大王説話」が『倭国古伝』(古田史学の会編、明石書店)に収録されていますので、ぜひご参照下さい。


第2032話 2019/11/02

『多元』No.154のご紹介

 友好団体の「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.154が届きました。拙稿「古田学派の目標と未来 ー小笹豊さん『九州見聞考』の警鐘ー」を掲載していただきました。同号には吉村八洲男さん(上田市)の「『曹操』墓と『蕨手文様』」や竹田侑子さん(弘前市)の「縄文時代、シュメール人は渡来したかー 発掘遺物にみるシュメール【1】」など、初めて知るような先駆的論稿が注目されました。
 また、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)の論稿「金石文に九州年号が少ない理由」が冒頭に掲載されており、そこで紹介された阿部周一さん(古田史学の会・会員、札幌市)の見解にわたしは触発されました。とても興味深い見解でしたので、別途、論じたいと思います。


第2023話 2019/10/27

『九州倭国通信』No.196のご紹介

 友好団体「九州古代史の会」の会報『九州倭国通信』No.196が届きましたので紹介します。
 同号には拙稿「九州王朝説で読む『大宰府の研究』〝凍りついた発想〟大和朝廷一元史観の『宿痾』〈後編〉」を掲載していただきました。本稿は『大宰府の研究』(大宰府史跡発掘五〇周年記念論文集刊行会編)に掲載された注目すべき論文をピックアップして、九州王朝説の視点で解説したものです。
 今回の後編には次の収録論文を取り上げ、高倉論文の先進性を評価し、他方、森論文と井形論文が大和朝廷一元史観の『宿痾』に冒されていることを指摘し、批判的に解説しました。

○高倉彰洋「観世音寺伽藍朱鳥元年完成説の提唱」
○森弘子「筑紫万葉の風土」
○井形進「大宰府式鬼瓦考」


第2015話 2019/10/14

被災者へのお見舞い
『古田史学会報』154号のご案内

 このたびの台風19号により被災された皆様へお見舞い申し上げ、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、「古田史学の会」を代表しまして、被災地の会員の皆様のご無事と一日も早い復興をお祈り申し上げます。
                 古田史学の会・代表 古賀達也

 『古田史学会報』154号が発行されました。一面には大原さんの論稿「箸墓古墳の本当の姿について」が掲載されました。箸墓古墳は元来は円墳だったとする見解(方部付加説)とその根拠について肯定的に紹介されたもので、わたしは説得力を感じました。
 満田さんは会報初登場です。持統紀に頻出する〝吉野詣で〟の理由について、古田説とは異なる視点(持統の乗馬趣味)で新仮説を発表されました。
 わたしは、曹操墓から出土した鉄鏡と日田市ダンワラ古墳出土の鉄鏡が類似しているという問題に関連して、ダンワラ古墳から出土したとした梅原末治氏の研究が〝「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に――。研究者らは首をかしげる。〟と否定的に学者やマスコミから取り上げられている現状を問題とする論稿「曹操墓と日田市から出土した鉄鏡」を発表しました。
 154号に掲載された論稿は次の通りです。この他にも優れた投稿がありましたが、次号以降での掲載となりますので、ご了解下さい。また、投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

『古田史学会報』154号の内容
○箸墓古墳の本当の姿について 京都府大山崎町 大原重雄
○持統の吉野行幸について 茨木市 満田正賢
○飛ぶ鳥のアスカは「安宿」 京都市 岡下英男
○壬申の乱 八尾市 服部静尚
○曹操墓と日田市から出土した鉄鏡 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・二十
 磐井の事績 古田史学の会事務局長 正木 裕
○『古田史学会報』原稿募集
○古田史学の会・関西 史跡めぐりハイキング
○古田史学の会・関西例会のご案内
○各種講演会のお知らせ
○編集後記 西村秀己


第1976話 2019/08/30

『多元』No.153のご紹介

 友好団体の「多元的古代研究会」の会紙『多元』No.153が届きました。同号には拙稿「難波から出土した筑紫の土器 -文献史学と考古学の整合-」を掲載していただきました。同稿において、前期難波宮九州王朝複都説に対して、当地から九州との関係を示すものは出土していないという批判への反論として、上町台地から出土した北部九州の須恵器などを紹介しました。末尾には次の一文を加えました。

【以下、転載】
《補記2》「副都」と「複都」
 本稿では前期難波宮を「九州王朝複都」と表記しましたが、当初わたしは「九州王朝副都」と理解していました。その後、複数の研究者からのご意見もいただき、「副都(secondary capital city)」とするよりも、「複都(multi-capital city)」(太宰府倭京と難波京の両京制:dual capital system)とするのが妥当との理解に至りました。
【転載おわり】

 服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)の論稿「二つの古田説 天皇称号のはじめ」も掲載されており、近畿天皇家の天皇称号の始まりを7世紀初頭からとする古田旧説と「船王後墓誌」に見える「天皇」を九州王朝の天子の別称とする古田新説を紹介され、古田旧説を支持する古賀論稿への批判を展開されました。当テーマは「古田史学の会」関西例会でも続けられている論争テーマでもあり、興味深く拝読しました。わたしは、〝学問は批判を歓迎し、真摯な論争は研究を深化させる〟と考えていますので、服部さんからのハイレベルな批判は大歓迎です。重要かつ難しいテーマですので、時間をかけて検討していきたいと考えています。
 この他に内倉武久さん(富田林市)の「継体紀のなぞと福岡・巨大前方後円墳」では、福岡県田川郡赤村で「発見」された「巨大前方後円墳」を「ほぼ間違いなく安閑天皇の陵墓」と紹介されていました。同テーマについては「洛中洛外日記【号外】」で触れたことがありますので、ご参考までに転載します。

【以下、転載】
古賀達也の洛中洛外日記【号外】
2018/07/21
『九州倭国通信』No.191のご紹介
 (前略)
 同紙には松中祐二さんの秀逸の論稿「『赤村古墳』を検証する」が掲載されていました。本年三月、西日本新聞で報道された「卑弥呼の墓」「巨大前方後円墳」発見かとされたニュースに対して、松中さんは現地(福岡県田川郡赤村)調査や国土地理院の地形データを丹念に検証され、結論として前方後円墳とは認め難く、自然丘陵であるとの合理的な結論を導き出されました。
 松中さんは北九州市で医師をされており、古くからの古田ファンです。その研究スタイルは理系らしく、エビデンスに基づかれた論理的で合理的なもので、以前から注目されていた研究者のお一人です。今回の論稿でも国土地理院の等高線からその地形が前方後円墳の形状をなしておらず、上空からみたときの道路が「前方後円」形状となっているに過ぎないことを見事に説明されました。
 当地の自治体の文化財担当者の見解も、新聞報道によれば「丘陵を『自然地形』として、前方後円墳の見方を否定している」とのことで、そもそもこの丘陵を前方後円墳とか卑弥呼の墓とか言っている時点で“まゆつばもの”だったようです。松中さんは論稿を次の言葉で締めくくっておられますが、深く同意できるところです。
 「なお、赤村丘陵の後円部だけを取り出し、『卑弥呼の墓』だとする意見もあるようだが、本会会員にとっては、この説は長里に基づく謬説である、という見解に異論はないところであろう。」


第1962話 2019/08/13

『古田史学会報』153号のご案内

 『古田史学会報』153号が発行されました。一面には関西例会で発表された谷本さんの論稿が掲載されました。誉田山古墳を応神天皇陵とすることへの批判で、その方法論や史料根拠に疑義を呈されました。古田学派の重鎮らしく、説得力のある論稿でした。
 日野さんは会報初登場です。奈良大学で国史を専攻されているだけあって、その理詰めの推論展開や文章力は流石です。論稿では河内の巨大古墳の造営者をどの勢力とするのかについて、古田学派内の研究動向を踏まえた上で、論点整理をされました。古田学派の将来を担う期待の青年です。
 わたしからは、大阪歴博の考古学者たちの、考古学的出土事実に基づき、『日本書紀』の記事を絶対視しないという研究姿勢を紹介し、「ついに日本の考古学界に〝『日本書紀』の記事を絶対視しない〟と公言する考古学者が現れた」と評価しました。
 153号に掲載された論稿は次の通りです。この他にも優れた投稿がありましたが、次号以降での掲載となりますので、ご了解下さい。また、投稿される方は字数制限(400字詰め原稿用紙15枚程度)に配慮され、テーマを絞り込んだ簡潔な原稿とされるようお願いします。

『古田史学会報』153号の内容
○誉田山古墳の史料批判 神戸市 谷本 茂
○-河内巨大古墳造営者の論点整理-
 倭国時代の近畿天皇家の地位を巡って たつの市 日野智貴
○『日本書紀』への挑戦〈大阪歴博編〉 京都市 古賀達也
○「壹」から始める古田史学・十九
 「磐井の乱」とは何か(3) 古田史学の会事務局長 正木 裕
○古田史学の会 第25回会員総会の報告
○古田史学の会 2018年度会計報告
○『古代に真実を求めて』バックナンバー 廉価販売のお知らせ
○各種講演会のお知らせ
○『古田史学会報』原稿募集
○古田史学の会・関西 史跡めぐりハイキング
○古田史学の会・関西例会のご案内
○『古代に真実を求めて』第23集 原稿募集
○「古田史学の会」会員募集
○割付担当の穴埋めヨタ話 玉依姫・考 高松市 西村秀己
○編集後記 西村秀己


第1950話 2019/07/27

『古田史学会報』採用審査の困難さと対策(5)

 投稿論文審査で困難な作業に、異分野や一元史観での既存研究の確認があります。古田史学関係の研究であれば、これまでの経験により、何とか新規性の確認はできるのですが、一元史観の最先端研究動向の把握はとても困難です。プロの学者なら同業者の研究動向の調査は仕事の一環として日常的にできるでしょう。わたしの場合も本業の化学分野における調査などは勤務時間中に仕事として行えますし、特許担当部署からは定期的に関連特許の最新リストが提供されてもきます。しかし、一元史観の古代史論文・著書や各大学・研究機関が発行する紀要などはその一部にたまに図書館で目を通すくらいで、『古田史学会報』の論文審査のためにそれらを毎日のように読むと言うことは時間的に不可能です。
 しかし、投稿原稿に一元史観の学説との対比などが記されている場合は、その一元史観の論文が最新学説なのか、最有力学説かなどはわたしには判断できません。一元史観での古い研究が、同じ一元史観の新研究により既に否定されているケースもありますので、投稿論文中に引用され、それを批判していても、その批判に新規性があるのかどうかの調査は必要となります。そのため、わたしが勉強していない分野や、一元史観の最新研究動向が不明な場合は、その分野に詳しい会員や知人に教えていただくこともあります。このような課題も残されていますので、将来的には大学で国史(一元史観)を専攻した古田学派の若者に『古田史学会報』編集部に加わっていただきたいと願っています。(つづく)