「 古代に真実を求めて 」一覧

古田史学の会が年に一度発行している雑誌本です。

第2171話 2020/06/21

『古代に真実を求めて』24集の特集決定

 昨日の関西例会終了後、服部編集長はじめ編集部員の方と『古代に真実を求めて』24集(2021年春発行)の特集を何にするのかについて意見交換を行いました。8月に編集会議を開催しますが、服部編集長から提案されている〝『「邪馬台国」はなかった』発刊50周年記念〟を特集テーマにすることで参加者の意見がまとまりました。
 50年前、古田武彦古代史の処女著作『「邪馬台国」はなかった』が学界や古代史ファンに与えた衝撃ははかりしれません。朝日新聞社から出版された同書は版を重ね、まさに洛陽の紙価を高からしめた名著です。古田ファンはもとより、わたしたち古田学派の研究者は、同書を読んで古田史学の下に結集したと言っても過言ではありません。
 『古代に真実を求めて』24集は同書刊行50周年を記念し、これからの50年を展望できるような特集を組みたいと願っています。同書に関することであれば、研究論文にかかわらず採用検討対象となります。歴史を繋ぐ一冊の上梓にご協力をお願いし、会員の皆様の投稿をお待ちしています。投稿規定は『古代に真実を求めて』末尾の「募集要項」をご参照下さい。


第2161話 2020/05/28

『万葉集』巻五の清濁音書き分け

 先日、40年来の古田ファンの西村幸三郎さん(伊丹市)から初めてのお便りと電話をいただきました。西村さんは二十代の頃から古田先生のファンで、著作はほとんどすべて購入され読まれているとのこと。ありがたいことに『古代に真実を求めて』も23集まで全て持っておられるそうです。いただいたお便りには、『古代に真実を求めて』について次のような好意的で鋭い感想が記されていました。

 「日本古代史(周辺・周縁も含めて)探求の広がり・深さ・奥行、それに学問的探求が、どんどん精密・精緻になってきているなあと、毎年読ませていただくたびにこういう感想をもちます。」

 お便りには、寺田透著『万葉の女流歌人』(岩波新書、1975年)のコピーが添えられており、それには『万葉集』巻五の清濁音書き分けについて触れられていました。わたしはこの寺田さんの著書を読んだことがなかったのですが、万葉仮名における清濁音の書き分けの状況や変遷からみて、「『万葉集』巻五風の『万葉仮名』の選定をその頃(奈良朝末期:古賀注)とみる限り、それは天皇家と無関係に行われたものということになる。」とする指摘に驚きました。すなわち、万葉仮名成立の主体が天皇家ではないという主張ですから、多元史観に通じる考え方ではないでしょうか。
 わたしも、「洛中洛外日記」2118話(2020/03/23)〝映画「ちはやふる」での「難波津の歌」〟において、『万葉集』では「ちはやぶる」、『古今和歌集』では「ちはやふる」と詠まれていることにふれました。また、190話(2008/09/28)〝「古賀」と「古閑」〟では万葉仮名の多元的な成立の可能性についてふれました。よい機会ですので、この清濁音問題を本格的に勉強してみようと思います。まずは寺田さんの『万葉の女流歌人』を読んでみます。同著のことをお知らせいただいた西村さんに御礼申し上げます。
 西村さんとお電話でお話したときも、寺田さんについて多くのことを教えていただきました。「古田史学の会」に入会していただきたいとお願いしたところ、ご承諾いただきました。関西例会でお会いできることを楽しみにしています。


第2141話 2020/04/24

竹田侑子さんからのお礼状

 わたしたち「古田史学の会」では、会員論集『古代に真実を求めて』を友好団体などに贈呈させていただいています。この度上梓した『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』(『古代に真実を求めて』23集)を贈呈した竹田侑子さん(秋田孝季集史研究会・会長、弘前市)からお礼状が届きましたので紹介します。

【お礼状から一部転載】
(前略)
 それにしても魅力的なタイトルです。
 頂戴していつも、タイトル選びが上手だな、と思うのですが、今回は執筆者の皆様が、九州王朝が失われてからの日本の歴史にどんな孤独を抱いたのだろうか、などと連想させるような、余韻を漂わせていました。
 これから、じっくりと心して読ませていただきます。
 楽しみです。本当にありがとうございました。

 日々ご多忙と拝察しておりますが、ご自愛くださり、「古田会」を引っ張っていってくださることを願っております。
                        草々

                    2020年4月15日
                       竹田侑子
(後略)
【転載おわり】

 同書のタイトルをお褒めいただき、安心しました。というのも、今回のタイトルは敢えて文学的表現にしたのですが、読者から評価していただけるものか、正直不安だったのです。
 もっとよいタイトルがあるのではないかと悩み続けて、最終的には正木裕さんの「〝日本書紀〟だけではなく、〝古事記〟もタイトルにいれるべき」というご意見を採用し、さらに当初案はメインタイトルが「消えた古代王朝」、サブタイトルが「『古事記』『日本書紀』千三百年の孤独」だったのですが、服部編集長のご意見により、メインタイトルとサブタイトルを入れ替えることになったものです。
 その後も、久冨直子さん(編集部員)から別のタイトル案も出され、最終的には明石書店の編集会議で『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』が採用されました。明石書店内でもかなり議論になったとうかがっています。タイトルの善し悪しが、本の売れ行きに大きく影響しますから、竹田さんからのお褒めの言葉は大変励みになりました。
 なお、『古代に真実を求めて』は18集から特集テーマを前面に出して、タイトルも新たに付けることにしました。おかげさまで、それ以来、販売部数が伸びて、再版されるようにもなりました。竹田さんからお褒めいただいた各号のタイトルは次のようなものです。

18集 盗まれた「聖徳太子」伝承
19集 追悼特集 古田武彦は死なず
20集 失われた倭国年号《大和朝廷以前》
21集 発見された倭京 太宰府都城と官道
22集 倭国古伝 姫と英雄(ヒーロー)と神々の古代史
23集 「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝


第2133話 2020/04/12

野田利郎稿「伊都国の代々の王とは

     ―『世有王』の新解釈―」への批評

本日、『古代に真実を求めて』編集長の服部静尚さんから頂いたメールによれば、『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』(『古代に真実を求めて』23集)に一般論文として掲載された野田利郎さんの論稿「伊都国の代々の王とは ―『世有王』の新解釈―」に対する批評が「古代史の散歩道など」というブログ(主宰者不詳)に掲載されているとのこと。
 早速、ブログを拝見したところ、同批評は『季刊邪馬台国』131号に掲載されている塩田泰弘稿「魏志が辿った邪馬台国への径と国々」の書評中にありました。真摯で学問的な好意的批評でした。野田稿を採用したわたしたち編集部にとっても、喜ばしいことです。一部を転載し、紹介します。

【以下、転載】
「古代史の散歩道など」
https://toyourday.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-345ed0.html
2020年4月 8日 (水)
新・私の本棚 季刊邪馬台国 131号 塩田泰弘「魏志が辿った..」3/5
「魏志が辿った邪馬台国への径と国々」2016/12刊行
(前略)
 ところが、近刊の古田史学論集第23集掲載の野田利郎氏の「伊都国の代々の王とは~世有王の新解釈~」は、豊富な古典用例に基づき後出倭人伝伊都条の「丗有王皆統屬女王國」を「世に有る王は、皆女王国に統属する」と読み、倭人伝列国に皆王があり女王に属したとしています。
 定説が「丗有王」を「世世有王」と改竄して、「伊都には歴代王がいる(が、他国は特記しない限り、王がいない)」と伊都特定記事と見たのが早計としているのです。いや、さすがの古田氏も、この原本改定は見逃していたようです。(中略)
 野田氏は、范曄が、倭人伝の紙背を読んで明解に書き立てたと見て、素人目には倭人伝界で不評の笵曄株を上げる、一聴に値する論考としていて、小なりと言えども首尾が整っています。(中略)
 古田史学会誌は、ことのほか厳しい論文査読で定評があり、ここでも精妙で画期的な論考を査読、提供しています。
 今後、当論文に関し、広く追試や批判が出て来るものと期待しています。


第2128話 2020/04/07

奈良新聞に

『古代に真実を求めて』23集プレゼントの案内

 奈良新聞(2020.04.04)に、古代大和史研究会(原幸子代表)からの『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝』(『古代に真実を求めて』23集)読者プレゼントの案内が掲載されました。
 記事には次のように同書が紹介されています。

 〝古代史研究家の故古田武彦氏は、大和朝廷に先立って九州王朝が存在し、中国史書に見える「倭国」とは九州王朝とする多元的歴史観・九州王朝説を提唱した。同書は古田氏の多元的歴史観に基づく史料批判により、「古事記」「日本書紀」の中に失われた九州王朝「倭国」の痕跡を探り出し、「真実の古代史像」を明らかにする。〟

 奈良新聞の読者に古田史学・古田武彦ファンが増えることが期待されます。古代大和史研究会の取り組みと、掲載していただいた奈良新聞に感謝いたします。


第2116話 2020/03/21

『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独

       — 消えた古代王朝』刊行

 できたばかりの『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 消えた古代王朝』が明石書店から送られてきました。「古田史学の会」2019年度賛助会員(年会費5000円)にはこれから順次送付されます。配送作業に日数がかかりますので、しばらくお待ちいただくことになります。一般会員(年会費3000円)やその他の方は、書店やアマゾンでご注文ください。価格は2,600円+税です。
 多元史観・九州王朝説に基づいた『日本書紀』の解説書という性格も持つ一冊で、「古田史学の会」ならではの従来の解説書とは全く異なる出来映えとなっています。「古田史学の会」では全国各地で出版記念講演会を開催し、本書を世に広めていきます。ご期待下さい。
 同書「巻頭言 『日本書紀』に息づく九州王朝」の末尾に、わたしは次のように記しました。

 〝読者が本書を手に取り、新たなページを開くとき、それは令和の世に「新・日本紀講筵」が開講されたことを意味する。千三百年後のその日のために、わたしたちは本書を上梓したのである。〟

 願わくは、本書がこれから千年の命を保ち、千年後のその日、「令和の日本紀講筵」テキストとして『日本書紀』と共に古典となっていますように。


第2110話 2020/03/14

『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独
   ―消えた古代王朝―』の目次
(『古代に真実を求めて』23集)

『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』(『古代に真実を求めて』23集)の目次を紹介します。既に印刷製本の最中と思われますが、今月末か四月初旬には発刊となる予定です。「古田史学の会」2019年度賛助会員(年会費5,000円)には明石書店から順次配送されます。配送作業に日数がかかりますので、しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。一般会員や非会員の方は書店かアマゾンでご注文下さい。「古田史学の会」が全国の古代史ファンに贈る珠玉の論稿を収録した一冊です。

『「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―』
(『古代に真実を求めて』第23集 古田史学の会編・明石書店)

【目次】
◆巻頭言 「日本書紀」に息づく九州王朝 古賀達也

◆特集 「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―

『日本書紀』をわれわれはどう読めばいいのか 茂山憲史
『記・紀』の「天」地名 新保高之
「海幸・山幸神話」と「隼人」の反乱 正木 裕
神武東征譚に転用された天孫降臨神話 古賀達也
神功皇后・俾弥呼と四人の筑紫の女王 正木 裕
継体と「磐井の乱」の真実 正木 裕  
聖徳太子は九州王朝に実在した ―十七条憲法の分析より― 服部静尚
天文記事から見える倭の天群の人々・地群の人々―七世紀の二つの権力― 谷川清隆
「大化」「白雉」「朱鳥」を改元した王朝 古賀達也
白村江を戦った倭人 ―『日本書紀』の天群・地群と新羅外交― 谷川清隆
『旧唐書』と『日本書紀』 ―封禅の儀に参列した「筑紫君薩野馬」― 正木 裕
壬申の乱と倭京 服部静尚
 コラム①『古事記』千三百年の孤独 古賀達也
 コラム②『古事記』『日本書紀』の「倭国」と「日本国」 古賀達也
 コラム③二つの漢風諡号「皇極」「斉明」 古賀達也
 コラム④『日本書紀』は隠していない 岡下英男

◆一般論文
なぜ蛇は神なのか?どうしてヤマタノオロチは切られるのか? 大原重雄
伊都国の代々の王とは ―「世有王」の新解釈― 野田利郎
対馬「天道法師」伝承の復元 ―改変型九州年号の史料批判― 古賀達也
『日本書紀』十二年後差と大化の改新 日野智貴
 コラム⑤ 鬯(暢)草とは何か 高橋剛治

●付録
古田史学の会・会則
「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
編集後記


第2109話 2020/03/13

「鬼室集斯の娘」逸話(2)

 安田陽介さんやわたしが「鬼室集斯の娘の石碑」なるものの存在を知ったのは、『市民の古代研究』(21号、1987年5月)に掲載された平野雅※廣さん(熊本市、故人)の論稿「鬼室集斯の墓」で紹介された次の記事でした。

【以下、転載】
 今は廃刊になっているが、『日本のなかの朝鮮文化』一九七〇年第八号に、「日野の小野」と題する鄭貴文氏の随筆が出ている。
 (抜粋)
 ……ところで、綿向山であるが、その境の山深くに鬼室集斯の娘の石碑があった。「墳墓考」に、「蒲生郡日野より東の方三里ばかりの山中に、古びた石碑あり、正面に鬼室王女、その下に施主国房敬白、右の傍らに朱鳥三年戊子三月十七日と彫りたるがあり。」とある。
【転載おわり】

 この記事によれば、鬼室集斯の娘(鬼室王女)の石碑が蒲生郡の山中にあり、九州年号の「朱鳥三年戊子三月十七日」と刻されているとのこと。これが同時代(七世紀末)の金石文であれば九州年号史料として貴重ですし、後代に造立されたものであっても、「朱鳥三年戊子三月十七日」に「鬼室王女」が没したと思われる伝承が当地に残っていたこととなります。(おわり)
※廣:日偏に「廣」


第2098話 2020/03/02

沖ノ島出土の

カットグラス碗片(国宝)はペルシャ製

 ウェブニュース(本稿末に転載)によれば、沖ノ島(福岡県宗像市)から出土していたカットグラス碗片(国宝)が5~7世紀の古代イラク(ペルシャ)製であることが判明したとのことです。沖ノ島は九州王朝の海上祭祀の聖地と考えられ、出土したカットグラス片は遙々ペルシャから九州王朝にもたらされたものと思われます。
 このニュースに接して、わたしの脳裏をよぎったのが、『倭国古伝 姫と英雄と神々の古代史』(『古代に真実を求めて』22集、古田史学の会編・明石書店、2019年)に掲載された正木裕さん(古田史学の会・事務局長、大阪府立大学講師)の論稿「太宰府に来たペルシアの姫」でした。同論稿によれば、『日本書紀』孝徳紀・斉明紀・天武紀に記された「舎衛女」はペルシアの姫であり、九州王朝の都、太宰府に来たとされています。今回、明らかにされたペルシャ製のカットグラス碗片こそ、このときの九州王朝とペルシャとの交流を示す物証ではないでしょうか。
 正木説と沖ノ島のカットグラス碗片が結びつき、古代のロマンが歴史の真実として蘇ってきたようです。

【共同通信社 2020/03/01 19:42】
ガラス製品、出自は古代イラク 福岡・沖ノ島の出土品
福岡県宗像市の宗像大社は1日、世界文化遺産に登録されている沖ノ島から出土した国宝のガラス製品について、調査の結果、5~7世紀のメソポタミア(現在のイラク)由来と分かったと発表した。ササン朝ペルシャからシルクロードを通って運ばれ、大規模な祭祀の際にささげられたとみられる。今秋に大社で一般公開される予定。
 沖ノ島は玄界灘に浮かぶ孤島で、大社が所有し神職以外の上陸が禁じられている。ガラス製品は、淡い緑色の「カットグラス碗片」(直径5.6センチ、厚さ3~5ミリ)と、深緑色の「切子玉」(長さ3.1~3.7センチ)で、1954~55年に見つかった。

【西日本新聞 2020/3/2 6:00】
国宝の切子玉 メソポタミア伝来 福岡・沖ノ島出土
 福岡県宗像市の宗像大社は1日、同市の世界文化遺産「沖ノ島」から出土した国宝のガラス製品についてササン朝(226~651年)のメソポタミア(現在のイラク)伝来とする化学組成の分析結果を発表した。これまで産地、制作時期ともに推測の域を出なかったが、初めて科学的に裏付けられた。
 東京理科大、岡山市立オリエント美術館との共同研究。組成元素を調べる蛍光エックス線分析で、円形の突起が切り出された容器片「カットグラス碗(わん)片」と細長い形状で中心に糸を通す穴が開く「ガラス製切子玉」を調査した。古代ガラスはローマ帝国でも作られたが、結果はササン朝の「ササンガラス」と組成が類似。碗片は5~7世紀、切子玉は3~7世紀製であるとした。
 碗片と切子玉は沖ノ島8号遺跡(5世紀後半~7世紀)から出土。碗片は類似品などからササン朝由来とされてきたが、切子玉は一切不明だった。宗像大社の福嶋真貴子学芸員は「8号遺跡の年代と大差ない。できあがって間もなく運ばれた」とみる。今後は伝来ルート、祭祀(さいし)上の意味などの研究につながることを期待する。早稲田大の田中史生教授(日本古代史)は「ユーラシアのガラス交易の始点、終点がくっきりしてきた。日本も含めたシルクロードの実態を考える上でも重要な結果だ」と評価する。(小川祥平))


第2087話 2020/02/20

『古代に真実を求めて』23集の巻頭言

 『古代に真実を求めて』23集の「巻頭言」全文を転載します。本書は「古田史学の会」ならではの、多元史観・九州王朝説に基づく『古事記』『日本書紀』研究の新次元の論稿が収録された一冊です。わたしたち編集部の熱意を感じ取っていただければ幸いです。

【巻頭言】
「日本書紀」に息づく九州王朝
     古田史学の会 代表 古賀達也

 養老四年(七二〇)に『日本書紀』が編纂され、令和二年(二〇二〇)で千三百年を迎える。それに先立つ和銅五年(七一二)に成立した『古事記』とともに、わが国において『日本書紀』は最も多くの読者を得た歴史書と言ってもよいであろう。早くは大和朝廷が養老五年に「日本紀講筵(にほんぎこうえん)」と呼ばれる『日本書紀』の講義を催し、平安時代前期にはほぼ三十年毎六度に及ぶ講義が行われたことが諸史料(『釈日本紀』『本朝書籍目録』)に見える。「日本紀私記」と呼ばれるその講義〝テキスト〟も四編ほど現存しており、その一端をうかがい知ることができる。
 他方、江戸時代後期に至り、本居宣長が名著『古事記伝』を著し、一躍『古事記』が脚光を浴びる。こうして、『古事記』『日本書紀』は史書という史料性格を超え、日本の国柄(国体)や日本人の思想(国学)を形作る原典とされるに至った。戦後実証史学でも、『日本書紀』の基本的歴史観である近畿天皇家一元史観、すなわち神代の昔から近畿天皇家が日本列島で唯一の卓越した権力者であったとする歴史認識の大枠が揺らぐことはなかった。
 考古学においても、『日本書紀』の記述を根拠とした歴史編年を「是(ぜ)」として、出土土器などの相対編年をその暦年記事にリンクさせてきた。さらには、多くの文化・文物が「大和朝廷」で最も早く受容され、あるいは発生し、その後、日本列島各地に伝播したとする文化観・編年観が日本古代史学の主流を占めたのである。
 このように『古事記』『日本書紀』は編纂以来千三百年の永きにわたり、篤く遇されてきた。しかしその果てに形作られた古代史像は、古田武彦氏(一九二六〜二〇一五)が提唱された多元史観・九州王朝説から見える景色とは大きく異なる。
 両書は、それまでの日本列島の代表王朝であった九州王朝(倭国)に替わり、八世紀初頭(七〇一年)の王朝交替により第一権力者となった大和朝廷(日本国)による自らの正統性宣揚のための史書である以上、その主張の真偽は学問的検証の対象であること、論を待たない。ところが、この史書編纂の動機や記述内容そのもの全てをまずは疑うという学問上の基本手続きがこの千三百年間、必要にして充分に行われてきたとは言い難い。とりわけ、大和朝廷が自らと共通の祖先(天照大神ら)を持つ前王朝(九州王朝)の存在を秘しているという疑いなど微塵も抱くことなく、わが国の古代史学は真面目かつ無意識に『古事記』『日本書紀』の基本フレーム(近畿天皇家一元史観)を採用し、今日に至っている。
 古田武彦氏は『失われた九州王朝』(朝日新聞社、一九七三年刊。ミネルヴァ書房より復刻)において、大和朝廷に先だって九州王朝が日本列島の代表王朝として存在し、中国史書に見える「倭国」とは大和朝廷ではなく九州王朝のこととする多元的歴史観(多元史観)・九州王朝説を提唱された。たとえばその史料根拠として、『旧唐書』に別国として表記された「倭国伝」(九州王朝)「日本国伝」(大和朝廷)を提示された。

 「倭国は古の倭奴国なり。京師を去ること一万四千里。新羅東南の大海の中にあり。山島に依って居る。東西は五月行、南北は三月行。世々、中国と通ず。その国、居るに城郭なく、木を以て柵を為(つく)り、草を以て屋を為る。四面に小島、五十余国あり、皆これに附属す。
 その王、姓は阿毎氏なり。一大率を置きて諸国を検察し、皆これに畏附す。(後略)」〔『旧唐書』倭国伝〕

 「日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。あるいはいう、倭国自らその名を雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと。その人、入朝する者、多くは自ら矜大、実を以て対(こた)えず。故に中国これを疑う。またいう、その国の界、東西南北、各数千里あり、西界南界はみな大海に至り、東界北界は大山ありて限りをなし、山外は即ち毛人の国なりと。(中略)
 貞元二十年(八〇四)、使を遣わして来朝す。学生橘逸勢、学問僧空海を留む。(後略)」〔『旧唐書』日本国伝〕

 わたしたちは古田説に基づき、『古事記』『日本書紀』の中に九州王朝(倭国)の痕跡が残されているはずと考え、九州王朝説の視点から両書の史料批判を進め、多元的な古代史像復元を試みてきた。その現在の到達点を書き留めたものが本書である。千三百年続いた近畿天皇家一元史観を超え、多元史観の頂上(いただき)から見える景色を読者と語り合い、日本古代史の奥底(おうてい)を学問の光で照らしたいと願っている。
 それとともに、『古事記』『日本書紀』の編纂に携わった大和朝廷の史官たちに、わたしは畏敬と感謝の念を捧げたいと思う。彼らが両書を遺し、その中に九州王朝の痕跡を留めおいてくれなかったら、九州王朝研究は今日見るような成果を得ることは望むべくもなかったであろう。
 たとえば『日本書紀』中の三つの九州年号「大化」「白雉」「朱鳥」をそれぞれ「改元」と記していることなども、『続日本紀』に見える大和朝廷最初の年号「大宝」(七〇一年建元)とは別王朝の年号であることを示唆しており、そのことを隠してもいない。見る人が見れば、『日本書紀』中の最初の年号「大化」が王朝最初の年号制定を意味する「建元」ではなく、別王朝による「改元」記事であるとわかるように記しているからだ。おそらくは、滅亡した九州王朝官僚の幾人かが大和朝廷内で史官の地位を得て、『日本書紀』編纂に加わったのではないか。わたしはそのように考えている。失われた九州王朝の痕跡を彼らは『日本書紀』の記事中に配し、その〝再発見〟を後世の歴史家に託したのではあるまいか。
 その願いは古田武彦氏により叶えられ、『古事記』『日本書紀』は千三百年の孤独の日々を終えた。本書のタイトル〝「古事記」「日本書紀」千三百年の孤独 ―消えた古代王朝―〟は、前王朝を秘したことを誰からも気づかれることなく千三百年の歳月を経た両書の運命と、九州王朝の存在を世に出された古田武彦氏の偉業を表現したものである(南米チリのノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの名作『百年の孤独』に発想を得た)。
 読者が本書を手に取り、新たなページを開くとき、それは令和の世に「新・日本紀講筵」が開講されたことを意味する。千三百年後のその日のために、わたしたちは本書を上梓したのである。
 令和元年十二月一日、筆了