古田史学の会一覧

第643話 2014/01/12

賀詞交換会の御報告

 昨日、I-siteなんばで「古田史学の会」賀詞交換会を開催し、古田先生に講演していただきました。講演要旨は『古田史学会報』に掲載しますが、項目と内容について一部御報告します。
 冒頭、「古田史学の会」水野代表よりあいさつがなされ、「古田史学の会・東海」の竹内会長、「古田史学の会・四国」の合田さんからもごあいさつをいただきました。わたしからは、今年の「古田史学の会」出版事業計画の報告をしました。
 古田先生の講演は次のような内容でした(文責・古賀達也)。

○靖国参拝問題について
 『祝詞』「六月の晦(つごもり)の大祓」に「安国」が見える。そこにある「天つ罪」「国つ罪」は具体的で、その「罪」を明確にしている。
 「戦争犯罪」を犯した人物も祀る靖国神社には、こうした「罪」の記述がない。「罪」を具体的に記した『祝詞』とは異なる。
 同時に、中国や朝鮮も日本人虐殺の歴史(元寇など)があるが、「記述」されていない。
 アメリカ軍も日本占領時に日本人婦女子を陵辱したが、このことも伏せられている。GHQが報道させなかった。古今未曾有の戦争犯罪は広島・長崎の原爆投下である。このような戦争犯罪は歴史上なかった。
 自国の悪いことも、相手国の悪いことも共に明らかにし、「罪」として述べることが大切である。これが『祝詞』の精神である。これが「安国」の本来の姿である。

○「言素論」について
 中国語の中にある「日本語」の研究は重要テーマである。たとえば、「崩」(ほう)の字は「葬(ほうむ)る」という日本語からきているのではないか。『礼 記』に見える「昧(まい)は東夷の楽なり」の「昧」は日本語の「舞(まい)」のことではないかとする結論に達していたが、最高人物に対する用語である 「崩」まで日本語であったとすれば、まだ断言はしないが、わたしとしては驚いている。

○『東日流外三郡誌』について
 日本国家が『東日流外三郡誌』記念館・秋田孝季記念館を作ることを提案する。「和田家文書」と言っているが、本来は「秋田家文書」であり、更に遡れば 「安倍家文書」である。この安倍家は安倍首相の先祖である。寛政原本だけでなく、安本美典氏らの偽作説の文献も全て記念館に保存し、将来の「証拠」として 残しておくべき。いずれ真実は明らかとなる。

○アメリカは何故東京に原爆を落とさなかったか
 アメリカ軍は皇居に爆弾を落とさなかった。うっかりミスではない。毎回の爆撃で一回も皇居を意図的には爆撃しなかった。勝った後に天皇家を利用するために、皇居を爆撃しなかった。だから原爆を東京に落とさなかった。
 アメリカ軍はあらかじめ広島の地形を航空写真で完全に調べてから、人体実験として広島に原爆を落としたのである。同様にアメリカは皇居の航空写真を撮っ ていたはずである。その写真に基づいて、爆撃から皇居を外したのである。アメリカにとって、「万世一系」の天皇家は戦後統治のために必要だったのである。 九州王朝はなかったとする大嘘に基づいて、現在も「万世一系」の歴史観が利用されているのである。
 権力を握ったら自分の歴史を飾り、嘘を本当の歴史であるかのように作り直している、と秋田孝季は言っている。秋田孝季の思想からみれば、人類の歴史の中 で国家は発生し、なくなっていくものである。宗教も同様で、宗教がある時代から無い時代へと変わっていく。歴史学とはいかなる権力・宗教にも迎合すること なく、真実を明らかにする学問である。

○井上章一さんの『真実に悔いなし』書評紹介
 ロシアに「ヤナ川」がある。これは日本語であるとの指摘がロシア側の学者からも出されている。方向としてはロシアから日本へ伝播した可能性が高い。
 沿海州の「オロチ族」の「おろち」は「やまたのおろち」の「おろち」と同源である。

 ※「シベリア物語」の歌(古田先生が歌われる)
 「荒れ果てて けわしきところ イルトゥーイシの不毛の岸辺に エルマルクは座して 思いにふける」

 「イルトゥーイシ」は「イルトゥー」までがロシア語で、「イシ」は日本語ではないか。「イ」は神聖なという意味、「シ」は生き死にする場所の「シ」である。「君が代」にも「イシ」がある。「さざれいし」の「いし」とは、神聖な生き死にする場所という意味ではないか。
 日本の地名に「いし」がやたらとでてくるので、石の「いし」なのか、神聖な場所の「いし」なのかを調べてみればよい。自分で調べてから発表すればよいと 言われるかもしれないが、わたしは明日死ぬかもしれないので、今のうちに言っておきます。わたしは早晩死んでいきますが、皆さんにあとをついでほしい。

(古田先生の詩)
 偶詠(ぐうえい) 古田武彦 八十七歳
竹林の道 死の迫り来る音を聞く (12/24)
天 日本を滅ぼすべし 虚偽の歴史を公とし通すとき (12/23)


第640話 2014/01/01

古田先生を迎えて新年賀詞交換会のご案内済み

 新年あけましておめでとうございます。
 わたしは久留米の実家で新年を迎えています。「古田史学の会」では今年も様々な事業を計画しています。新年最初の行事として、1月11日(土)には恒例の新年賀詞交換会を大阪市のI-siteなんば(大阪府立大学なんばキャンパス)にて、古田先生をお迎えして開催します。皆様のご参加をお待ちしています。

第643話 2014/01/12 賀詞交換会の御報告

 当日の午前中には「古田史学の会」全国世話人会を開催します。1月18日(土)には新年最初の関西例会を開催します。今年も素晴らしい研究発表が続出することと思います。
 『古代に真実を求めて』17集の編集会議も開催しますが、17集からは大幅なリニューアルを検討しています。そして米寿を迎えられた古田先生のお祝いの特集も予定しています。
 『古代に真実を求めて』とは別に「古田史学の会」で編集を進めていた、古田史学による遺跡ガイド(九州編)も年内にもミネルヴァ書房より発行されるはこびです。
 3月には筑紫舞の宮地嶽神社奉納30周年を記念して、福岡市で古田先生の講演会が開催されるとのこと。詳細が決定されましたら、ご案内します。
 「洛中洛外日記」も皆様の期待に応えられるよう、内容を広く深く充実させたいと願っています。本年も皆様のアクセスとご教導のほど、よろしくお願い申しあげます。


第637話 2013/12/22

平成25年の回顧

 平成25年ももうすぐ終わります。この一年間、古田史学や「古田史学の会」では様々な出来事がありました。個人的な感想となりますが、特に印象深かったことを並べてみます。

1.古田先生の研究自伝『真実に悔いなし』発刊
 ミネルヴァ書房より発刊された同書は古田先生自らにより研究活動やその生い立ちが記されたもので、先生や先生の学問を学ぶ上で、わたしたち古田学派の学徒にとって宝物ともいえる貴重な一冊です。

2.「I-siteなんば」に古田武彦コーナー開設
 大阪府立大学のご協力と正木裕さんのご尽力により、大阪府立大学なんばキャンパス「I-siteなんば」に古田武彦コーナーが開設されました。古田先生や会員のご協力により、古田先生の著作や古代史関連の貴重な書籍を「I-siteなんば」図書館に寄贈しました。「古田史学会報」や『古代に真実を求めて』も全冊並んでおり、古代史や古田史学を学ぶ人々にとって貴重な研究拠点となりました。また、併設された研究ルームや会場を「古田史学の会」としても利用させていただくことにしました。これにより関西例会などの会場確保も便利になりました。近くに飲食街もできましたので、関西例会後の懇親会も便利になり ました。

3.正木裕さんの研究「倭人伝官職名と青銅器」
 本年も会員による優れた研究が数多く発表されましたが、中でも衝撃的だったのが正木裕さんが発表された、倭人伝の官職名と青銅器の関連についての研究でした。倭人伝研究における新たな分野を切り開いた研究として、大変優れていました。

4.「赤渕神社縁起」の九州年号
 森茂夫さん(「古田史学の会」会員、京丹後市在住)から、『赤渕神社縁起』をはじめとする「赤渕神社文書」の釈文(当地の研究者により活字化されたも の)の写真ファイルが送られてきました。それには九州年号の「常色」「朱雀」などが見え、しかも天長五年(828)の成立という平安時代にまで遡る九州年号史料でした。今後これら赤渕神社史料(兵庫県朝来市)により九州年号・九州王朝の研究が加速されることでしょう。本当に素晴らしい史料が残っていたもの です。

5.『伊予三島縁起』の九州年号「大長」
 齊藤政利さん(「古田史学の会」会員、多摩市)が内閣文庫に赴き写真撮影していただいた『伊予三島縁起』(番号 和34769)に「大長九年壬子」とあ り、従来は「天長」と記されていた『伊予三島縁起』とは異なり、より原型を留めていることがわかりました。最後の九州年号「大長」の確かな史料根拠が発見されたことにより、滅亡期の九州王朝研究が進むことが期待されます。

6.会員・知人の訃報
 大変悲しいことに、本年は数十年来の古田説支持者だった難波収さん(オランダ・ユトレヒト市、天文学者)、鶴丈治さん(「古田史学の会・北海道」前会長)が亡くなられました。また、古田先生の松本深志高校時代の教え子だった中嶋嶺雄さん(国際教養大学学長)も亡くなられました。中嶋さんにはわたしの二倍年暦の研究論文の英訳にお力添えいただきました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 以上、思いつくままに記しました。この他にも福岡県古賀市出土馬具など考古学的発見も印象的なニュースでした。古田史学・九州王朝説の正しさが事実でもって明らかになりつつありますが、この国の学界やマスコミは果たしていつまで「無視」が続けられるでしょうか。わたしたち古田学派の一層の努力と研究があらたな古代史の新時代を切り開くことでしょう。新年が素晴らしい一年であることを願っています。


第636話 2013/12/21

1ドルの『邪馬壱国の証明』の邂逅

 本日の関西例会にはスイス在住会員のリムさんが参加されました。リムさんはスイスでクラシックギターを教えておられるとのこと。例会後の懇親会でリムさんに古田史学との出会いをお聞きしましたら、10年ほど昔にニューヨークの古書店で古田先生の『邪馬壱国の証明』に出会ったことがきっかけとのことでした。ちなみに、そのときの『邪馬壱国の証明』の価格は1ドルとのことでした。その1ドルの『邪馬壱国の証明』が、時間と国境を越えて関西例会での邂逅となったのです。このようなお話しをお聞きする度に、「古田史学の会」を作って本当に良かったと思います。有り難いことです。
 本日の関西例会も多彩な報告がなされ、刺激的な一日となりました。発表テーマは次の通りでした。

〔12月度関西例会の内容〕
1). 独楽の記紀 — 「記紀とは何か」(大阪市・西井健一郎)
2). 北魏と倭の繋がり(木津川市・竹村順弘)
3). もう一つの天孫降臨 — 天火明命(天香山命)は東海に来ていた(東大阪市・横田幸男)
4). 「赤淵神社縁起」の解説(京都市・古賀達也)
5). 歴史概念としての「東夷」について(奈良市・出野正、張莉)
6). 池田仁三郎著「古墳墓碑」を批判する(八尾市・服部静尚)
7). 日本書紀の中国および朝鮮記事のずれについての考察(八尾市・服部静尚)
8). 何故末廬国の長官・副長官名がないのか(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・『古代に真実を求めて』16集発刊・中臣鎌足と阿武山古墳シンポジウム・新池ハニワ工場公園(太田茶臼山古墳および今城塚古墳 のハニワ工場)・講演会参加「江戸時代における東大寺大仏殿再興物語」平岡昇修氏・飛鳥の五角池の曲線の島は日本列島か・その他


第632話 2013/12/11

『古田史学会報』119号の紹介

 『古田史学会報』119号が発行されましたのでご紹介します。今回も古田先生から原稿をいただきました。
 今号は正木稿や阿部稿などの力作や、萩野さんの旅行記、前号の正木説に対する疑問を提起された中村稿など多彩な内容となりました。きっとお楽しみいただけると思います。

〔『古田史学会報』119号の内容〕
○続・古田史学の真実 -切言-  古田武彦
○賀詞交換会(古田先生を囲んで)のお知らせ
○観世音寺考  京都市 古賀達也
○『管子』における里数値について  枚方市 古谷弘美
○すり替えられた九州王朝の南方諸島支配  川西市 正木 裕
○「天朝」と「本朝」 「大伴部博麻」を顕彰する「持統天皇」の「詔」からの解析 上  札幌市 阿部周一
○“「実地踏査」であることを踏まえた『倭人伝』の行程について”を読んで  福岡市 中村通敏
○文字史料による「評」論 「評制」の施行時期について  京都市 古賀達也
○トラベル・レポート 讃岐への史跡チョイ巡り行 2013年11月10日~11日  東大阪市 萩野秀公
○「春過ぎて夏来るらし」考  川西市 正木 裕
○『古田史学会報』原稿募集
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内


第628話 2013/12/03

幻の古谷論文

 『古代に真実を求めて』16集(明石書店刊、「古田史学の会」編)をようやく発行することができました。会員の皆様や執筆者には大変ご迷惑をおかけし、お詫び申しあげます。16集は「古田史学の会」2012年度賛助会員へは特典として送付します。2013年度賛助会員へは次号17集を進呈予定です。
 16集の掲載稿は下記の通りですが、奇しくも日・中の二つの金石文に関する「特集」となりました。それは「百済祢軍墓誌」と「大歳庚寅」象嵌鉄刀(福岡 市元岡古墳出土)です。いずれも九州王朝説に基づく論文で、他に見られない、「古田史学の会」らしい「特集」です。
 ところが採用が決まっていたにもかかわらず、掲載できなかった「幻の論文」がありました。17集から水野さんに代わって編集責任者となった古谷弘美さん (古田史学の会・全国世話人、枚方市)の論稿で、『古事記』真福寺本の字体を調査研究されたものです。
 従来は「天沼矛(あまのぬぼこ)」とされてきた文字が、真福寺本では「天沼弟(あまのぬおと)」であると古田先生が指摘され、「ぬ」は銅鐸、「おと」は 音を意味し、「ぬおと」とは「銅鐸の音」のことであるとする仮説を発表されました。ところが、古谷さんは『古事記』真福寺本では「天沼弟(あまのぬおと)」でもなく、「天治弟(あまのちおと)」であることを写真版の調査により明らかにされたのです。
 従来の書誌学研究では『古事記』真福寺本は誤字が多いとされ、「天沼弟」の「弟」は「矛」の誤字とされてきました。古谷論文により、「沼」ではなく 「治」であることが明らかになったことにより、従来説・古田説を含めて新たな研究の進展が期待されるだけに、掲載できなかったことは残念です。ちなみに、 その理由は『古事記』真福寺本の写真転載料が超高額のため、「古田史学の会」や出版社で負担できなかったことによります。学問研究のための転載は安価にしていただきたいものです。このまま埋もれさせるには惜しい論文ですので、何とか工夫して掲載したいと願っています。

『古代に真実を求めて』16集の目次

○巻頭言 会員論集・第十六集発刊にあたって  水野孝夫

○1 特別掲載
 最近の話題から  古田武彦
 真実の学問とは — 邪馬壱国と九州王朝論  古田武彦
 「和田家文書」の安日彦、長髄彦 — 秋田孝季は何故叙述を間違えたか  安彦克己

○2 研究論文
 続・越智国にあった「紫宸殿」地名の考察  合田洋一
 福岡市元岡古墳出土太刀の銘文について  正木裕
 「大歳庚寅」象嵌鉄刀銘の考察  古賀達也
 「百済祢軍墓誌」について — 「劉徳高」らの来倭との関連において  阿部周一
 百済祢軍墓誌の考察  古賀達也
 百済祢軍墓誌についての解説ないし体験  水野孝夫
 筑紫なる「伊勢」と「山邊乃五十師乃原」  正木裕
 「国県制」と「六十六国分国」 — 「常陸風土記」に現れた「行政制度」の変遷との関連において  阿部周一
 「阿麻来服(「新羅本紀」記事)から解く「日本国」誕生  西井健一郎

○3 付録--会則/原稿募集要項/他
 古田史学の会・会則
 「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
 第十七集投稿募集要項/古田史学の会 会員募集
 編集後記


第622話 2013/11/19

「学問は実証よりも論証を重んじる」(1)

 今朝は特急サンダーバード5号で福井に向かっています。JR湖西線から見える、朝日で金色に輝く琵琶湖と全山紅葉した比良山系が絶景です。連日のハードなビジネスや出張の合間に、こうした景色に出会え、心が癒されます。本当に日本は美しい国だと思います。子孫にしっかりと残したいものです。

 今月の関西例会で、水野代表から古田先生の八王子セミナーの概要について報告がなされました。ただ、水野さんはセミナーに参加されていませんから、「古田史学の会」会員の肥沼孝治さん(所沢市)のブログに掲載されていた箇条書きの発表項目を紹介されたのですが、その中に「実証よりも論証が重要」という箇所があり、これはどういう意味だろうかと疑問を呈されました。実はこのことは古田史学において大変重要なことで、以前か ら不二井伸平さん(古田史学の会・総務)らと話し合ってきたテーマでもありました。
 この言葉は古田先生の東北大学時代の恩師である村岡典嗣先生の言葉で、「学問は実証よりも論証を重んじる」からきています。わたしは若い頃、古田先生から何度もこの言葉をお聞きしました。いわば、古田史学の神髄であり、フィロロギーという学問の基本的性格を表した重要な言葉だと理解しています。
 ところが、残念ながらこの言葉の意味をわたし自身もなかなか理解できず、それこそ十年以上かけてようやく見えてきたというのが実感でした。古田学派の研究者でも、この言葉の意味を真に理解している人は少ないのではないかと、不二井さんと何度も話し合ってきたのでした。そこで、例会での水野さんの発言を受けて、ちょうど良い機会でもあり、わたしから次のように説明しました。(つづく)


第621話 2013/11/15

原発危機と「東大話法」

 先日、「古田史学の会」の会誌『古代に真実を求めて』を発行していただいている明石書店を訪問し、石井社長にご挨拶してきました。そのおり、同社より刊行された安冨歩著『原発危機と「東大話法」』をいただきました。同書は古田先生からも推薦していただいており、注目していた一冊でした。非倫理的で非学問的な「東大話法」に対して、現役東大教授が批判するという刺激的な内容ですが、 今回読んで、その「東大話法」に対する批判以上に現代日本に対する思想史的考察や物理学(熱力学第二法則)に基づいた現代文明批判は圧巻でした。是非、皆さんにも読んでいただきたい本です。
 さて、本日の関西例会は多種多彩な報告が続き、とても充実した一日となりました。たとえば野田さんからは、『三国志』の「歩」の全用例を抜き出し、それ が「短歩」なのか「長歩」なのかの考察が報告されましたが、時間不足のため質疑応答時間がとれず残念でした。
 出野さんからは中国雲南省のアカ族(倭族)の現地調査報告がプロジェクターを使用してなされ、日本の風習や文物との類似が大変よく理解できました。このように関西例会は近年ますます充実し、とても勉強になります。11月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔11月度関西例会の内容〕
1). 「與」の用法(明石市・不二井伸平)
2). 武寧王の手白香皇女(木津川市・竹村順弘)
3). 日本書紀遣隋使記事は12年ずれでよいか?(八尾市・服部静尚)
4). 『三国志』の尺(姫路市・野田利郎)
5). 渡来人について(多摩市・齋藤政利)
6). 『三国志』の歩(姫路市・野田利郎)
7). 天武十年記事の信頼性(川西市・正木裕)
8). すり替えられた九州王朝の南方諸島支配の概要(川西市・正木裕)
9). 「西双版納(シーサンパンナ)」倭人の源流を訪ねて(奈良市・出野正)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・八王子セミナーの概要(肥沼氏ブログより要約)・『古代に真実を求めて』16集、11月末刊予定・静御前の故郷、大和高田ハイ キング「八百屋お七」の墓・永井一郎著『大和路の(俳人)芭蕉』・「新東方史学会」役職人事・その他


第612話 2013/10/19

薩摩半島の高良一族

 本日の関西例会では、中国曲阜市在住の会員青木さんの研究論文を竹村さんが代読されたり、武雄市の会員古川さんらの調査報告を正木さんが紹介されるなど、ちょっとかわった試みがなされました。関西例会に参加しにくい遠方の会員の研究などが代理報告されることにより、多くの知見や研究成果が共有でき、よい取り組みだと思います。
 特に古川さんの調査は、薩摩半島(南九州市など)に「高良神社」(御祭神は玉垂命・他)が分布しており、宮司は高良一族ということで、久留米市の高良大社の研究を永く続けてきたわたしも知らなかったことでした。薩摩の「高良神社」の創建は和銅年間にまで遡るとのことで、ちょうど九州王朝滅亡の時期でもあり、とても興味深い伝承です。「古田史学の会」でも現地調査を行おうと正木さんから提案がありました。是非、実現させたいものです。
 10月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔10月度関西例会の内容〕
1). 続7世紀の日本の記述の問題(中国曲阜市・青木英利、代読:竹村順弘)
2). 縄文海進と倭人渡来(木津川市・竹村順弘)
3). 駆逐される東夷(木津川市・竹村順弘)
4). 高句麗と倭人(木津川市・竹村順弘)
5). 『日本書紀』持統紀に見える「蝦夷男女二百一十三人」について(明石市・不二井伸平)
6). 日本書紀に遣隋使はなかった(八尾市・服部静尚)
7). 古川清久氏らによる南九州市河辺町の「高良一族」調査(川西市・正木裕)
8). 図と写真に見る瓊瓊杵降臨地と室見川の銘板の「臨地性」について(川西市・正木裕)
9). 「倭人」と「盟」についての若干の資料紹介(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・岩永芳明さんから「腰岳の黒曜石」寄贈・古田武彦研究自伝『真実に悔いなし』発刊・『古代に真実を求めて』16集再校中・持統崩御の34年遡り説・その他


第609話 2013/10/16

『古田史学会報』118号の紹介

 『古田史学会報』118号が発行されましたのでご案内します。今回も古田先生から原稿をいただきました。117号掲載の西村稿への批判ですが、古田先生の学問の方法についての解説なども記されています。
 正木稿は倭人伝里程記事が実地踏査によるとして、精緻な検証がなされ、古田説の正しさを再確認されています。阿部稿では関西例会でも度々話題となってい る「廣瀬」「龍田」が仏教儀式に関係したものとする新解釈が提示されています。なかなか面白い仮説です。服部稿は関西例会で発表された仮説で、史料に見える「荒」に注目された好論です。西村稿は、近畿天皇家の初期の天皇は師木県主だったとするものです。不二井さんからは書評が寄せられ、その著者は古田ファンとのこと。いずれも優れた論稿で、好論満載の会報となりました。

〔『古田史学会報』118号の内容〕
○古田史学の真実 — 西村論稿批判  古田武彦
○「実地踏査」であることを踏まえた『倭人伝』の行程について  川西市 正木 裕
○「廣瀬」「龍田」記事について
  — 「灌仏会」、「盂蘭盆会」との関係において  札幌市 阿部周一
○難波と近江の出土土器の考察  京都市 古賀達也
○荒振神・荒神・荒についての一考察  八尾市 服部静尚
○書評『朱鳥翔けよ』高松康  明石市 不二井伸平
○「欠史八代」の実相  高松市 西村秀己
○『古田史学会報』原稿募集
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○新東方史学会(H19~25)会計報告
○『古代に真実を求めて』第16集発行予定の報告と第17集の原稿募集
○編集後記


第599話 2013/09/22

『伊予三島縁起』にあった「大長」年号

 本日の関西例会では、古田説に基づき『「倭」と「倭人」について』を発表された張莉さんのご夫君(出野さん)を始め初参加の方もあり、盛況でした。わたしにとっての今日の例会で最大の収穫は、多摩市から参加されている齊藤政利さんにいただいた内閣文庫本『伊予三島縁起』の写真でした。九州年号史料として有名な『伊予三島縁起』原本(写本)を以前から見たい見たいと私が言っているの を齊藤さんはご存じで、わざわざ内閣文庫に赴き、『伊予三島縁起』写本二冊を写真撮影して例会に持参されたのでした。
 まだそのすべてを丁寧に見たわけではありませんが、一番注目していた部分をまず確認しました。それは「天長九年壬子」の部分です。五来重編『修験道資料集』掲載の『伊予三島縁起』には「天武天王御宇天長九年壬子」と記されており、この部分は本来「文武天皇御宇大長九年壬子」ではないかと、わたしは考え、 701年以後の九州年号「大長」の史料根拠の一つとしていました(『「九州年号」の研究』所収「最後の九州年号」をご参照下さい)。
 齊藤さんからいただいた内閣文庫の写本を確認したところ、『伊豫三島明神縁起 鏡作大明神縁起 宇都宮明神類書』(番号 和42287)には「天武天王御宇天長九年壬子」とあり、『修験道資料集』掲載の『伊予三島縁起』と同じでした。ところが、もう一つの写本『伊予三島縁起』(番号 和34769)には 「天武天王御宇大長九年壬子」とあり、「天長」ではなく九州年号の「大長」と記されていたのです。わたしが推定していたように、やはり「天長九年」は「大長九年」を不審とした書写者による改訂表記だったのです。
 「大長九年壬子」とは最後の九州年号の最終年である712年に相当します。近畿天皇家の元明天皇和銅五年に相当します。なお、「天長九年壬子」という年号もあり、淳和天皇の時代で832年に相当します。『伊予三島縁起』書写者がなぜ「天武天王御宇」と記したのかは不明ですが、九州年号「大長」が 704~712年の9年間実在したことの史料根拠がまた一つ明確となったのです。内閣文庫写本の詳細の報告は後日行いたいと思います。齊藤さんに心より感謝申し上げます。
 9月例会の報告は次の通りでした。古田史学の会・東海の竹内会長が久しぶりに出席され、報告していただきました。

〔9月度関西例会の内容〕
1). 日名照額田毘道男伊許知邇の考察(大阪市・西井健一郎)
2). 記紀の原資料と二倍年暦の形(八尾市・服部静尚)
3). 九州年号から考えた聖徳太子の伝記の系統(京都市・岡下英男)
4). 倭王武は武烈でありヒト大王だった(木津川市・竹村順弘)
5). 倭王武の時代の版図(木津川市・竹村順弘)
6). 邪馬壱国の南進(木津川市・竹村順弘)
7). ワニ氏の北方系海人族としての歴史的考察(知多郡阿久比町・竹内強)
8). 鬯草を献じたのは「東夷の倭人」か「南越の倭人」か(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況・会務報告・『古代に真実を求めて』16集初校・ミネルヴァ書房からの古田書籍続刊・張莉さんと古田先生の仲介・古田先生自伝刊行記念講演会の報告・古田先生八王子セミナーの案内・浄瑠璃「妹背婦女庭訓」の説明・『大神宮諸雑事記』の紹介・その他


第583話 2013/08/18

『古田史学会報』117号の紹介

 『古田史学会報』117号が発行されました。今回も古田先生から原稿をいただきました。古谷さんからも前号に続いて中国周代史書に見える「短里」 の発見報告がなされました。古田史学の会・四国の白石さんからは、同会による壱岐・糸島の遺跡巡りツアーの報告かがなされました。掲載稿は次の通りです。

〔『古田史学会報』117号の内容〕
○「いじめ」の法則 — 続、「古田史学」の理論的考察-  古田武彦
○古田武彦講演会「真実の歴史を求めて — 私の歩んで来た道、歩み行く道」の案内
○前期難波宮、九州王朝副都説批判
 「史料根拠と考古学」について  豊中市 大下隆司
○古田先生にお応えする。  高松市 西村秀己
○古代ロマン邪馬壱国への道
  — 魏志倭人伝の一大国と伊都國を訪ねて  今治市 白石恭子
○古田史学の会 第十九回定期会員総会の報告
○「墨子」と「呂氏春秋」における里数値の検討  枚方市 古谷弘美
○「古田史学コーナー」がオープン
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○編集後記