古田史学の会一覧

第841話 2014/12/21

2014年の回顧

   「関西例会」

 2014年における「古田史学の会」での優れた研究は『古田史学会報』に掲載されたもの以外にも、「関西例会」で発表された研究にも少なくありません。わたしの記憶に残っている特に優れた例会発表についても解説したいと思います。
 まず発表件数ですが、毎回、古田先生近況や会務報告とご自身の研究を報告されている水野代表は別格としても、服部静尚さん(八尾市)の22件が際だっています。次いで正木裕さん(川西市)の14件で、両者の発表件数が群を抜いていますし、研究水準も高いものでした。以下、岡下英男さん(京都市)の7件、萩野秀公さん(東大阪市)・西村秀己さん(高松市)・出野正さん(奈良市)・古賀(京都市)の6件と続いています。最も遠方からの発表者は中国曲阜市の青木英利さんでした。
 皆さん研究熱心で、「古田史学の会」や古田学派の研究活動を牽引されています。いずれも甲乙つけ難い研究内容ですが、最も印象強く残っているのが安随俊昌さん(芦屋市)が7月に発表された「『唐軍進駐』への素朴な疑問」でした。「洛中洛外日記」748話で紹介しましたが、『日本書紀』天智10年条(671)に見える唐軍2000人による倭国進駐記事について、安随さんによれば、この2000人のうち1400人は倭国と同盟関係にあった百済人であり、600人の唐使「本体」を倭国に送るための「送使」だったとされたのです。すなわち、百済人1400人は戦闘部隊(倭国破壊部隊)ではないとされたのです。
 この安随説は論証が成立しており、もし正しければ白村江敗戦以降の倭国(九州王朝)と唐との関係の見直しが迫られます。すなわち、数次にわたり筑紫に進駐した数千人規模の唐軍が倭国を「軍事制圧」していたという認識に基づいた諸仮説が成立困難となるかもしれないからです。
 このように、従来の研究の見直しをも迫る安随説は、2014年の関西例会で最も気になる研究発表だったのです。『古田史学会報』での発表が待たれる所以です。
 最後に、例会後の懇親会の幹事を担当していただいている西井健一郎さん(古田史学の会・全国世話人)のご尽力にも触れなければなりません。どんなに激しい論争があっても、懇親会で酌み交わすお酒のおかげで関西例会は長く続けられています。こうしたことも「古田史学の会」の大切な目的です。


第840話 2014/12/20

新羅の法興王・真興王と「法興」「聖徳」

 昨日は大阪で代理店との商談、ランチをとりながらの新規開発品の価格交渉、午後は繊維応用技術研究会(事務局:大阪府産業技術総合研究所)にて「機能性色素の概要と展開」というテーマで講演しました。その講演を聞かれた出版社の社長さんから原稿執筆依頼を受けたのですが、会社の許可が必要と即答を避けました。このへんが学術研究と企業研究との違いで、学術研究では発見・発明を無償で公知にするのですが、企業研究の場合は企業戦略に沿ったプレスリリースや公開(特許出願など)が原則です。この点、歴史研究は無償で公知にする学会発表・論文発表が基本で、やはりこちらの方が楽しいものです。
 さて、本日の関西例会では、西村さんから『先代旧事本紀』の編纂者について、その記述内容が四国の四カ国の位置が90度ずれていることや熊襲(熊曽)国の場所を知らないことなどから、四国や九州の土地勘が全くない人物であるとされました。
 服部さんからは、「四天王寺」は外敵から国を守る護国の寺で、「天王寺」は天子の万寿を祈る寺であり両者の意味は異なるとされ、摂津四天王寺の当初の名称は天王寺であるとされました。また、先月に報告された「竜田山・大坂山の関」「畿内」を九州王朝が創設したとする自説の検証を深められました。大化二年改新詔の「関」「畿内」については、646年なのか九州年号の大化二年(696)なのかについては意見が分かれ、検討継続となりました。
 出野さんからは「文」という字の字源についての研究が報告されました。通説では文身(いれずみ)を字源とされているが貫頭衣でもあるとされました。古くは「文」の中に「×」が入っており、文身であることを示しているが、出野さんはこの「×」と神庭荒神谷遺跡から出土した銅剣の取っ手部分に刻まれていた「×」印と関連したものではないかとする説を紹介され、「×」を持つ他の字「凶」「兇」「胸」などについても論じられました。なおこの説を奥様の張莉さんが11月に韓国で開催された国際文字学会で発表されたところ、高い評価を得られたとのことでした。
 岡下さんは最近熱心に研究されている銅鏡について報告されました。古代の鏡の分類(国産か中国製か)の研究史をまとめ、やはり文字の有無(文字があれば中国製、あるいは渡来工人製とする)が決め手になるとの見解を、中村潤子氏(同志社大学)の説に依拠して発表されました。「倭鏡」と「中国鏡」の定義を含めて批判が出されましたが、研究途上のテーマとのことでした。
 正木さんからは先月に報告された推古紀などに見える朝鮮半島・任那関連記事は九州王朝史料から60年遅らせて盗用されたとする仮説を補強すべく、写本間(岩崎本、天理本等)の異同に着目され実証的に検証されました。
 次に『二中歴』には見えない九州年号「聖徳」を利歌彌多弗利の法号(仏門に帰依した名称)とする説の史料根拠発見について報告されました。『三国史記』によれば、新羅の法興王(514〜540)は仏教を公認振興し、その次代の真興王は「徳を継ぎ聖を重ね(真興乃継「徳」重「聖」)」諸寺を建立、仏像を鋳造、多数の仏典を受容しており、まさに「聖徳」と称されるにふさわしいとされました。すなわち、父が「法興」で息子が「聖徳」となり、九州王朝の天子・多利思北孤の法号が「法興」、次代の利歌彌多弗利の法号が「聖徳」と、見事に対応していることを明らかにされました。大変説得力のある説明でした。
 最後に萩野さんからは『日本書紀』に見えるホホデミとホアカリについて論じられ、各「一書」の比較分析により、それぞれ二名が系図的には「存在」するとされました。
 遠く埼玉県や神奈川県からも参加いただき、本年最後の関西例会も盛況でした。発表テーマは次の通りで、ハイレベルの研究発表が続き、とても濃密な一日でした。終了後の忘年会も夜遅くまで続きました。

〔12月度関西例会の内容〕
1). 先代旧事本紀の編纂者(高松市・西村秀己)
2). 四天王寺と天王寺(八尾市・服部静尚)
3).「関から見た九州王朝」の検証(八尾市・服部静尚)
4).「畿内を定めたのは九州王朝か」の検証(八尾市・服部静尚)
5).「文」字の民俗学的考察(奈良市・出野正)
6).倭鏡と文字(京都市・岡下英男)
7).『書紀』推古三十年記事の「一運(六十年)」ズレについて(川西市・正木裕)
8).利歌彌多弗利の法号「聖徳」の意味と由来(川西市・正木裕)
9).『日本書紀』に登場する二人のホホデミと二人のホアカリ(東大阪市・萩野秀公)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(千葉県我孫子市の病院に検査入院・12/18退院される、坂本太郎氏との思い出、『古代に真実を求めて』18集「家永氏との聖徳太子論争をふりかえる」古田先生インタビュー12/19、神功皇后生誕地・米原市、宮崎県串間市出土の玉璧、新年賀詞交換会 2015/1/10、ギリシア旅行 2015/4/1〜4/8)・古田先生依頼図書(角川地名大辞典「青森県」)購入・奈良県立美術館「大古事記展」見学・その他


第839話 2014/12/17

平成27年、賀詞交換会のご案内済み

 来る平成27年も古田先生をお迎えして、新年賀詞交換会を開催します。4月に はギリシア旅行を古田先生は予定されていますので、その抱負などもお聞かせいただけることと思います。皆様のご参加をお待ちしております。会員以外の方も参加可能です。終了後は希望者による懇親会も行いますので、当日、会場にてお申し込みください。

古田史学の会・新年賀詞交換会(古田先生を囲んで)
○日時 平成27年1月10日(土)午後1時30分
○会場 大阪府立大学 i-siteなんば 2階
    地下鉄御堂筋線・大国町駅下車7分
    (ZEPPナンバ大阪の東隣)
○参加費 1000円  終了後懇親会(有料)

大阪府立大学I-siteなんばまちライブラリーの交通アクセスはここから。

 


第838話 2014/12/14

2014年の回顧

 『古田史学会報』

 「古田史学の会」では2014年も優れた研究が数多く報告されました。その回顧として『古田史学会報』(120〜125号)に掲載された論文を改めて解説したいと思います。
 まず印象的なこととして、6回の会報中、122〜125号で1面冒頭を飾ったのが正木裕さんの次の論文でした。いずれも1面掲載にふさわしい内容の好論です。
○亡国の天子薩夜麻 (122号)
○海幸・山幸と「吠ゆる狗・俳優の伎」(123号)
○前期難波宮の築造準備について (124号)
○盗用された任那救援の戦い
 -敏達・崇峻・推古紀の真実-(上)(125号)
 この他にも次の論文を正木さんは発表されました。
○「末廬国・奴国・邪馬壹国」と「倭奴国」
 -何故『倭人伝』に末廬国の官名が無いのか- (120号)
○万葉歌「水鳥のすだく水沼」の真相 (120号)
○『倭人伝』の里程記事は正しかった
 -「水行一日五百里・陸行一刻百里、一日三百里」と換算- (121号)

 これほどのハイペースで論文を発表すると、普通はレベルが落ちるのですが、正木さんは高い研究水準を維持されており、素晴らしいことと思います。
 古田先生の講演録(要旨)も次のものを収録できました。いずれもわたしがモバイルワープロにより、講演同時入力したものです。講演を聞きながらのワープロ同時入力はかなり疲れるのですが、タイムリーな会報掲載のためにはこの方法が最も合理的です。
○「古田史学の会」新年賀詞交換会
 古田武彦講演会・要旨 (120号)
○筑紫舞再興30周年記念「宮地嶽 黄金伝説」のご報告
 古田武彦講演要旨・他 (121号)
○八王子セミナー報告(実況同時記録)(125号)
 今年、めきめきと頭角を現されたのが服部静尚さんでした。次の論文を発表されました。内容も様々で興味深く、かつ論証も成立しており、特に「鉄の歴史と九州王朝」は考古学的資料としても貴重で秀逸でした。これからの活躍が期待されます。
○日本書紀の中の遣隋使と遣唐使 (123号)
○鉄の歴史と九州王朝 (124号)
○石原家文書の納音は古い形か (125号)

 わたしからは次の論文を発表しました。いずれも「洛中洛外日記」に掲載したものを編集転載したものです。自ら云うことでもありませんが、忙しい仕事の合間をぬって、よく書けたと自分では納得しています。
○九州年号「大長」の考察 (120号)
○「ウィキペディア」の史料批判 (120号)
○一元史観からの太宰府「王都」説
 -井上信正説と赤司善彦説の運命- (121号)
○納音(なっちん)付き九州年号史料の出現
 -熊本県玉名郡和水町「石原家文書」の紹介-(121号)
○前期難波宮の論理(122号)
○条坊都市「難波京」の論理(123号)
○「邪馬台国」畿内説は学説に非ず(124号)
○九州王朝説と瓦の考古学 -森郁夫著『一瓦一説』を読む-(125号)
○「五十戸」から「里」へ(125号)

 以上の他、常連組からは次の論文が発表されました。札幌市の阿部さんも健闘されました。
○「天朝」と「本朝」
 「大伴部博麻」を顕彰する「持統天皇」の「詔」からの解析 下  札幌市 阿部周一(120号)
○神代と人代の相似形Ⅱ
 もうひとつの海幸・山幸  高松市 西村秀己(121号)
○『三国志』の「尺」 姫路市 野田利郎(121号)
○「高御産巣日神」対馬漂着伝承の一考察  松山市 合田洋一(123号)
○「魏年号銘」鏡はいつ、何のために作られたか
  -薮田嘉一郎氏の考えに従う解釈-  京都市 岡下英男(124号)
○「春耕秋収」と「貸食」
 -「一年」の期間の意味について- 札幌市 阿部周一(125号)

 論文ではありませんが、旅行や遺跡見学報告も掲載され、会報に華を添えました。このような投稿を期待しています。
○筑紫舞見学ツアーの報告
 -筑紫舞三〇周年記念講演と大神社展= 今治市 白石恭子(122号)
○トラベルレポート出雲への史跡チョイ巡り行  東大阪市 萩野秀公(124号)

 最後に他の研究誌から次の転載を行いました。これからも優れた論文の転載を行いたいと思います。
○【転載】「九州年号」を記す一覧表を発見
 -和水町前原の石原家文書-
 熊本県玉名郡和水町 前垣芳郎(122号)

 以上、2014年の『古田史学会報』も、古田学派らしい論文を多数掲載することができました。投稿者や会員の皆様に感謝いたします。来年もふるってご投稿ください。


第837話 2014/12/14

『古田史学会報』

  125号の紹介

 本年最後の『古田史学会報』125号が発行されましたのでご紹介します。正木さん服部さん阿部さん常連組は快調です。わたしからは11月に開催された古田先生の八王子セミナーの報告、九州王朝説から考察した古代瓦について、そして「五十戸制」を九州王朝説の立場から考察した論稿を発表しました。
 正木稿は『日本書紀』推古紀などに見える朝鮮半島(任那)関連記事が九州王朝史書からの盗用であることを論証されました。服部稿は熊本県和水町で発見された納音付き九州年号史料の納音が現在伝わっている納音よりも古い形式であるとされました。阿部稿では「倭人伝」に見える「春耕秋収」について論究されました。全体として、やや難しい論稿がそろいましたが、九州王朝・多元史観研究において重要なテーマです。
 掲載テーマは次の通りです。会員の皆さんの投稿をお待ちしています。ページ数や編集の都合から、短い原稿の方が採用の可能性は高くなりますので、ご留意ください。

〔『古田史学会報』125号の内容〕
○盗用された任那救援の戦い
 -敏達・崇峻・推古紀の真実-(上) 川西市 正木裕
○八王子セミナー報告(実況同時記録) 京都市 古賀達也
○石原家文書の納音は古い形か  八尾市 服部静尚
○九州王朝説と瓦の考古学
 -森郁夫著『一瓦一説』を読む- 京都市 古賀達也
○「春耕秋収」と「貸食」
 -「一年」の期間の意味について- 札幌市 阿部周一
○「五十戸」から「里」へ  京都市 古賀達也
○賀詞交換会(古田先生を囲んで)のお知らせ
 日時 2015年1月10日(土)午後1時30分
 会場 大阪府立大学 i-siteなんば 2階
 参加費 1000円  終了後懇親会(有料)
○『古田史学会報』原稿募集
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○編集後記  西村秀己


第822話 2014/11/18

『古代に真実を求めて』18集の編集会議

 一昨日の日曜日に、i-siteナンバで『古代に真実を求めて』18集の編集会議を行いました。特集『盗まれた「聖徳太子」伝承』の原稿もほぼ出そろい、かなり面白い本になりそうです。表紙レイアウトも一新する計画で、原幸子さん (古田史学の会・会員、奈良市)による表紙デザイン画もできあがりました。特集以外の応募原稿などの選考も終わり、これから古田先生の講演録やインタビュー(家永三郎さんとの聖徳太子論争の回想)の準備にかかります。12月9日に古田先生のご自宅にうかがい、お話をうかがいます。
 明石書店への原稿提出締め切りもせまっており、最後の追い上げです。わたしも、今回は「巻頭言」執筆を水野代表から指示されており、すべての原稿に再度目を通して、執筆することになります。
 19集では「九州年号」を特集しますが、明石書店からの要請もあって、『古代に真実を求めて』別冊の企画も服部さんと相談中です。まだ正式にはなにも決まっていませんが、これまで発表された「邪馬台国」関連論文を中心にした企画などが試案としてあがっています。このところ「邪馬台国」関連本の出版が続いていますので、静かなブームなのかもしれません。古田学派らしい学問的なしっかりとした別冊にしたいと思います。
 なお、18集は来春発行予定で、2014年度賛助会員に進呈いたします。本屋さんからも購入可能です。ご期待ください。


第821話 2014/11/15

服部さんの多元的「関」「畿内」研究

 本日の関西例会では服部静尚さん(古田史学の会・『古代に真実を求めて』編集責任者)から九州王朝による「関」と「畿内」の設立についての新説が発表されました。いずれも画期的な仮説で、このところ服部さんは絶好調です。
 『日本書紀』天武8年(679)条に見える竜田山と大坂山の関が飛鳥ではなく難波京を防衛する位置(大和からの侵入を防ぐ位置)にあり、難波京を九州王朝副都とする説に対応しているとのこと。
 更に、『日本書紀』大化2年(646)正月条の改新詔に見える畿内の四至(東西南北の先端地)の中心は藤原宮ではなく難波宮であることから、前期難波宮は九州王朝の第2都であり、そこを中心に畿内の範囲が、九州王朝の天子(利歌彌多弗利)により646年(命長7年)に提示された詔勅とする説を発表されま した。もし696年の詔勅であれば、近江京が畿外になってしまうが、この詔勅が近江大津宮造営前の646年に出されたのであれば、この問題がクリアできるとされました。
 大化2年の改新詔は九州年号の大化2年(696)に藤原宮で出された「建郡の詔勅」とするわたしの説を否定する説ですが、有力な仮説と思われました。この服部説に対して賛否両論が出されましたが、時間切れとなり、これからも論争が続くと思います。
 正木さん(古田史学の会・全国世話人)は6世紀を対象として『日本書紀』を精査され、欽明23年(562)に新羅から滅ぼされた任那が、推古8年(600)に新羅と交戦する記事があることなどに着目されました。その結果、干支が一巡する60年前の記事が推古紀に挿入されているとされました。同時に、こうした朝鮮半島での倭国の交戦記事などは九州王朝の事績を『日本書紀』編者が盗用したとする仮説を発表されました。なかなか説得力のある仮説でし た。
 11月例会の発表は次の通りでした。遠くは関東のさいたま市から参加された方もあり、有り難くもあり、そうした熱心な参加者に満足していただけるような例会であらねばならないと、決意を新たにしました。東京でも例会を開催してほしいというご意見も多数いただいており、使命の重さを受け止めています。

〔11月度関西例会の内容〕
1). 関から見た九州王朝(八尾市・服部静尚)
2). 畿内を定めたのは九州王朝か — すべてが繋がった(八尾市・服部静尚)
3). 「青竜三年」鏡(京都市・岡下英男)
4). ニギハヤヒを追う(東大阪市・萩野秀公)
5). 盗用された任那救援の戦い — 敏達・崇峻・推古紀の真実(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(『百問百答+α』校正中、続著『真実の誕生 宗教と国家論』(仮題)、11/08八王子大学セミナーの報告、松本深志校友会誌への投稿書き上げ、『古代に真実を求めて』18集用「家永氏との聖徳太子論争をふりかえる」古田先生インタビュー12.09、新年賀詞交換会 2015.1.10、ギリシア旅行 2015.4.1~4.8)・『古代に真実を求めて』18集特集の原稿執筆「聖徳太子架空説の系譜」執筆・古田先生依頼図書(『隋書』『時と永遠』)購入・京都市船岡山の建勲神社訪問・ニッペOB会・その他


第819話 2014/11/09

八王子セミナーの余韻・余話

 今朝の八王子は曇り空(小雨)です。わたしの部屋はベッドが四つもありますが一人で使っています。ちなみにテレビはありません。目覚めてから朝食の時間までには余裕がありましたので、前日の「洛中洛外日記」の校正を行いました。
 八王子は初めて訪れましたが、わたしが好きなグループ、ファンモン(ファンキー・モンキー・ベイビーズ)の出身地なので、なんとなく愛着が感じられま す。昨日、JR八王子駅の改札を抜けるとき、思わずファンモンの「ヒーロー」を口ずさんでしまいました(最寄り駅の改札抜けると、いつもよりちょと勇敢な お父さん、Daddy! その背中に愛する人のぉ~声がするぅ~)。
 東京古田会の藤沢会長と朝食をご一緒し、多くの方と歓談したり記念写真を撮ったりと忙しくしていますと、古田先生が登壇され短い講話をされました。
 内容は画家セザンヌの遠近法の話からから切り出され、『隋書』「イ妥国伝」の「無故火起」について昨日に続いて説明されました。その要旨は、自然現象の 場合の表記は「火」ではなく、「災」であるとするもので、従来、阿蘇山の噴火の「火」と理解していたのは誤りであると繰り返し説明されました。そして、漢代の成語としての「無故○○」という禁止事項を示すものと同様に「無故火起」を理解すべきであり、人による「火」の使用を禁止したものとされました。この説に対して反対意見があることから、先生も丁寧に繰り返し説明されているようでした。
 そして、荻上さんの閉会の挨拶で、セミナーは終了しました。最後に古田先生を囲み、全員で記念写真を撮りました。
 帰る方向が同じということもあり、多元的古代研究会の安藤会長・和田事務局長・宮崎宇史さん・西坂久和さん、そして関西から来た横田幸男さん(古田史学の会・インターネット担当)・服部静尚さん(古田史学の会・『古代に真実を求めて』編集責任者)・中本賢治さん(古田史学の会・会員)、林信禧さん(古田史学の会・東海、全国世話人)とJR八王子駅でコーヒーを飲み、昼食をとりました。
 その席上で、これからも全国の古田ファンや研究者が一堂に会する機会が持てないものかということになり、たとえば年に一度、研究発表会を各地の団体が持ち回りで主催するというアイデアをわたしから提案しました。実現できればよいと思います。
 こうして、怒濤の二日間が幕を閉じ、今は新幹線で京都に向かっています。とてもよい思い出となりました。荻上さんはじめ主催者のみなさん、古田先生、そして参加された全国の皆さんにお礼を申し上げます。


第805話 2014/10/18

九州年号

「願轉」「光元」の意義

 本日の関西例会では9月に続いて服部さんから古代中国の二倍年暦について、論語は一倍年暦でも理解可能との批判がなされました。すなわち、わたしが「洛中洛外日記788話『論語』の二倍年暦」でも紹介した事例について、「この論語 解釈を二倍年暦の根拠とするには、仮説としては成立しても証明にはならない」と反論されました。この反論自体はもっともなものですので、今後も論争を続け ることになりました。四天王寺の移設(前期難波宮造営に伴い、玉造から荒墓への移設)についての作業仮説も興味深く、今後の研究の進展が期待されます。
 萩野さんからは出雲神話に関する現地の神社伝承などを丹念に集められ紹介されました。『出雲風土記』にスサノオのオロチ退治が記されていないことについて、大和朝廷にはばかって意図的に収録しなかったのではとされました。
 正木さんからは九州年号「願轉」「光元」などについての新説が発表されました。「願轉」は十七条憲法制定、「光元」は全身を金箔で覆った法隆寺の「夢殿救世観音建立」に関連した年号とされました。九州王朝の天子・多利思北孤の時代の九州年号「端政・告貴・願轉・光元」の研究(仮説提起)により、九州王朝 史研究が着実に進展しています。
 出野さんからは『説文解字』と白川漢字学についての解説がなされました。その中で紹介された『漢書藝文志』に見える「古(いにしえ)は八歳にして小学に 入る」に興味を持ちました。これが二倍年暦では論語の「十有五にして学を志す」に対応するのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
 水野代表からは東海道新幹線開業50周年にあたり、開発時の思い出が語られました。開業二年前には試作車両(2両編成と4両編成)が完成し、それぞれ外観(六角形の窓など)が異なっていたとのことです。水野さんは営業初日に乗車され、そのときの切符は記念にもらえたので保存しているとのこと。
 このように関西例会はますます充実しています。会員の皆さんや一般の方のご参加をお待ちしています(参加費500円で、発表者の貴重な史料やレジュメがもらえ、それだけでもお得です)。10月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔10月度関西例会の内容〕
1). 論語の中の二倍年暦(八尾市・服部静尚)
2). 統計的手法は歴史学になじまないか?(八尾市・服部静尚)
3). 四天王寺の移設問題(八尾市・服部静尚)
4). 日本書紀神代上・八岐大蛇におけるスサノオとその他(東大阪市・萩野秀公)
5). 多利思北孤の仏法流布と九州年号「願転」「光元」(川西市・正木裕)
6). 『説文解字叙』を読み解く(奈良市・出野正)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(『古田武彦が語る多元史観』発刊、『百問百答+α』続刊予定、続著『真実の誕生 宗教と国家論』(仮題)、11/08八王子大学セミ ナー、松本深志校友会誌への投稿)・『古代に真実を求めて』18集特集の原稿執筆「聖徳太子架空説」の紹介・小河原誠『反証主義』、三野正洋『戦艦大和最 後の戦い』を読む・東海道新幹線50周年・その他


第804話 2014/10/17

「反知性主義」に抗して

        なにをなすべきか

 佐藤優さんの『「知」の読書術』に指摘されているように、「反知性主義者」(大和朝廷一元史観の日本古代史学界)は「実証性や客観性にもとづく反証をいくらされても、痛くも痒くもない」のであれば、わたしたち古田学派はなにをなすべきでしょうか。

 佐藤さんは同書の中で、レーニンの『なにをなすべきか』(わたしも青年時代に読んだことがありますが、恥ずかしながら深く理解できませんでした)をはじめ、さまざまな著作を紹介し、最終的に「中間団体を再建することが重要だ」と指摘され、その中間団体とは「宗教団体や労働組合、業界団体、地域の寄り合いやサークルなどのこと」とされています。そして次のように締めくくられました。

 「フランスの哲学者シャルル・ド・モンテスキュー(1689~1755)は、三権分立を提唱した人物として知られていますが、彼はまた中間団体の重要性を指摘しています。すなわち、国家の専制化を防ぐには、貴族や教会といった中間団体が存在することが重要だということを言っているのです。
中間団体が壊れた国では、新自由主義によってアトム化した個人が国家に包摂されてしまいます。そうなると、国家の暴走に対する歯止めを失ってしまう。その手前で個人を包摂し、国家の暴走のストッパーともなる中間団体を再建することこそ、現代の最も重要な課題なのです。」(99頁)

 ここで佐藤さんが展開されている現代政治や国家問題とは次元やスケールは異なりますが、わたしたち「古田史学の会」もこうした中間団体の一つのように思われます。そうであれば、「市民の古代研究会」の分裂により組織的に縮小再出発した「古田史学の会」を少なくとも当時の規模程度(会員数約1000名)にまで「再建」することも重要課題として浮上してきそうです。そのための新たな施策も検討していますが、これからも全国の会員や 古田ファンの皆さんのお力添えが必要です。「古田史学の会」役員会などで検討を重ね、実現させたいと願っています。

(只今、東北出張からの帰りの新幹線の車中ですが、冠雪した美しい富士山が見え、心が癒されます。)


第797話 2014/10/04

明石書店の森さん、来阪

 本日、古田史学の会・会誌『古代に真実を求めて』の編集を担当されている明石書店の森さんが来阪されましたので、服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集責任者)と三人でi-siteナンバで編集の打ち合わせを行いました。
 『古代に真実を求めて』は次号の18集より大幅にリニューアルします。特集として「盗まれた『聖徳太子』伝承」を企画しており、装丁も大胆に変化させる予定です。特集では、従来は大和朝廷の「聖徳太子」のこととされてきた様々な事績が、九州王朝の天子・多利思北孤や太子の利歌彌多弗利のものであったことを明らかにします。
 さらに、古田先生と家永三郎さんとで行われた「聖徳太子論争」「法隆寺論争」の思い出についての古田先生へのインタビュー記事や松本深志高校での古田講演録(本年10月)なども掲載します。
 発行は来春を予定しています。古田史学の会・賛助会員(年会費5000円)への2014年度特典としてご提供いたします。書店でもご購入できます。かなり面白い本になりそうなので、お楽しみに。


第787話 2014/09/19

「観世音寺」「崇福寺」不記載の理由

 本日の関西例会では服部さんから古代中国の二倍年暦について、周代以後は二倍年暦とする明確な痕跡が見られないとの報告がなされ、わたしや西村秀己さんと大論争になりました。互いの根拠や方法論を明示しながらの論争で、関西例会らしい学問論争でした。わたし自身も服部さんが紹介された考古学的史料(西周の金文)など、たいへん勉強になりました。
 常連報告者の正木裕さんが欠席されるとのことで、昨晩、西村さんから発表要請があり、急遽、現在研究しているテーマ「なぜ『日本書紀』には観世音寺・崇福寺の造営記事がないのか」について意見を開陳しました。その結論は、観世音寺も崇福寺(滋賀県大津市)も九州王朝の天子・薩夜麻の「勅願寺」だったため、『日本書紀』には掲載されなかったとするものですが、様々なご批判をいただきました。
 観世音寺創建は各種史料によれば白鳳10年(670)で、崇福寺造営開始は『扶桑略記』によれば天智7年(668、白鳳8年)とされ、両寺院の創建は同時期であり、ともに「複弁蓮華文」の同笵瓦が出土していることも、このアイデアを支持する傍証であるとしました。
 出野さんからは古代史とは無関係ですが、誰もが関心を持っている「少食」による健康法について、ご自身の体験を交えた発表があり、こちらもまた勉強になりました。結論として、みんな健康で長生きして研究活動を続けようということになりました。
 9月例会の発表テーマは次の通りでした。

〔9月度関西例会の内容〕
1). 中国古代の二倍年暦について(八尾市・服部静尚)
2). 納音の追加報告(八尾市・服部静尚)
3). 観世音寺・崇福寺『日本書紀』不記載の理由(京都市・古賀達也)
4). 食べるために生きるのか、生きるために食べるのか・・・少食について・・・(奈良市・出野正)
5). 二人の天照大神と大国主連、そしてその裔(大阪市・西井健一郎)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生近況(10/04松本深志高校で講演「九州王朝説は深志からはじまった」、11/08八王子大学セミナー、岩波文庫『コモンセンス』)・『古代に真実を求めて』18集特集の原稿執筆「聖徳太子架空説」の紹介・大塚初重『装飾古墳の世界をさぐる』に誤り発見・坂本太郎『史書を読む』の誤字・中村通敏『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』を読む。『三国志』斐松之注の文字数は本文よりも少ない・聖徳太子関連書籍調査・その他