古田史学の会一覧

第421話 2012/06/09

『古田史学会報』110号の紹介

 一昨日と昨日、鹿児島県・熊本県・宮崎県を仕事で回ってきました。天草市で宿泊したのですが、途中、八代市や宇土半島を通過しました。同地域は、『倭姫世記』に記された「淡海」を琵琶湖ではなく八代市河口とされた西村秀己さんの研究以来、古田学派内で注目を浴びていること もあって、出張のついでとは言え実見することができてラッキーでした。
宿泊した天草では、「十五社神社」という今まで知らなかった神社が散見され、興味を引かれました。このことについては、別途書きたいと思います。
『古田史学会報』110号が発行されましたのでご紹介します。拙論「観世音寺・大宰府政庁II期の創建年代」の他、札幌市の期待の新人、阿部周一さんの 「無文銀銭」-その成立と変遷-などが掲載されています。阿部稿はなかなかの労作で、九州王朝と無文銀銭の関係を詳しく考察されています。
掲載論文・記事は次の通りです。なお、六月十七日には古田史学の会会員総会と記念講演を開催しますので、会員の皆様のご出席をお願いします。記念講演会は非会員の方も参加できます。

〔『古田史学会報』110号の内容〕
○観世音寺・大宰府政庁II期の創建年代  京都市 古賀達也
○補遺 観世音寺建立と「碾磑」  川西市 正木 裕
○「無文銀銭」–その成立と変遷  札幌市 阿部周一
○磐井の冤罪 IV  川西市 正木 裕
○「邪馬一国」は「女王国」ではない
-『東海の古代』の石田敬一氏への回答-  姫路市 野田利郎
○(書評)古田武彦著『人麿の運命』 京都市 古賀達也
○遺跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○古田史学の会会員総会・記念講演会(六月十七日)のご案内
○「古田史学会報」原稿募集


第415話 2012/05/20

碾磑と水碓

 昨日の関西例会では、大下さんから碾磑(てんがい)と水碓(みずうす)についての研究発表がありました。これは正木さん による観世音寺の碾磑についての発見に触発されたものです。大下さんによれば、碾磑と水碓とは異なり、「日本書紀」天智10年(670)「是歳」条は「水 碓」であり、観世音寺に現存する「碾磑」とは別物とされました。
 その上で、「日本書紀」推古18年条(610)に見える「碾磑」が観世音寺に現存するものではないかとされ、観世音寺の創建年は610年頃とする見解を発表されました。
 これに対して正木さんは、「日本書紀」編纂時には碾磑と水碓が同じものと認識されていたと反論されました。今後の研究の展開が楽しみです。
 5月例会の内容は次の通りでした。

〔5月度関西例会の内容〕
1). 伊勢松阪の住人(豊中市・木村賢司)
2).台湾旅行・他(豊中市・木村賢司)
3).倭人字磚の倭人同盟(木津川市・竹村順弘)
4).漢書地理志の倭人と東てい(魚是)人(木津川市・竹村順弘)
5).黒歯常之と黒歯国(木津川市・竹村順弘)
6).『三角縁神獣鏡研究事典』(京都市・岡下英男)
7).接頭語「い」(明石市・不二井伸平)
8).豊受大神の探索(大阪市・西井健一郎)
9).碾磑と水碓 観世音寺創建は610年代(豊中市・大下隆司)
10).任那(百済南西部)の百済への割譲と九州王朝(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・会務報告・「三国志」版本研究の調査・「国分寺」九州王朝創建説・その他


第412話 2012/05/13

『和田家文書』研究の発表

 昨日は淡路島までドライブしてきました。高速道路のサービスエリアで無料配布されていた「遊・悠・WesT」5・6月号に、「島根、奈良の古事記の旅」という特集があったので、いただいて読んでみました。
 出雲大社や石上神宮などの神社旧跡の他、古代出雲歴史博物館・橿原考古学研究所付属博物館などが写真付きで紹介されており、古代史ファンにはうれしい内 容です。しばらくはサービスエリアなどに置かれていると思いますので、高速道路ご利用時にはお勧めです。
 さて、6月17日(日)午後に古田史学の会会員総会・記念講演会を開催しますが、その講演内容が決まりましたのでお知らせします。今年の発表者は東京古田会(古田武彦と古代史を研究する会)の安彦克己さんとわたしです。演題は次の通りです。

○安彦克己さん
『和田家文書』の安日彦、長髄彦
-秋田孝季は何故叙述を間違えたか-

○古賀達也
文字史料から見える九州王朝
-百済禰軍墓誌・「大歳庚寅」銘鉄刀・「はるくさ」木簡・『勝山記』・他-

 安彦さんは古田学派で最も熱心に『和田家文書』を研究されている研究者のお一人です。関西例会では『和田家文書』についての研究発表が少ないこともあり、今回大阪で発表していただくことにしました。
 わたしは、近年新たに発見された金石文などの文字史料を九州王朝説の視点から解説することにしました。まだ検討不十分な内容もありますが、古田学派内での研究のたたき台にしていただければ幸いです。
 なお、午前中は同じ会場(大阪府立大学中之島サテライト2階ホール=大阪府立中之島図書館別館2階)で関西例会を開催します。午後、記念講演会終了後に 会員総会を行います。その後は恒例の懇親会となりますが、懇親会への参加申し込みは、当日会場での受付となります。講演会・例会は会員以外の方も参加でき ます。ふるってご参加ください。


第406話 2012/04/21

古田先生緊急入院と退院

 4月14日、古田先生が体調不良で緊急入院され大変心配していましたが、19日には無事退院されました。先生も今年8月8日で86歳になられますから、無理をなさらずお身体を大切にしていただきたいと願っています。とはいえ、今も精力的に執筆や研究をされておられますので、やはり心配です。
 本日、関西例会が開催され盛況でした。池上さんは初めての発表でした。池上さんに続いて例会デビューされる人が出ることを期待しています。
 正木さんの発表では、「磐井の乱」も「継体の反乱」もなかったとする最新の古田説に対して、参加者から様々な意見が飛び交いましたが、結論には至りませんでした。同じく正木さんの、謡曲「老松」を九州王朝の舞楽から発生したものとする説は興味深いものでした。会報での発表が待たれます。
 今回はスイス在住の方の例会初参加もありました。
 発表内容は次の通りでした。

〔4月度関西例会の内容〕
1). 道楽三昧・余録「楽しい徒労」(豊中市・木村賢司)
2). 故・林会長の「東海の古代」を冊子化・他(豊中市・木村賢司)
3). 百済と倭の位置(木津川市・竹村順弘)
4). 『日本書紀私記・丁本』に見る「日本」(相模原市・冨川ケイ子)
5). 神功皇后紀中の魏、晋へ貢献した倭国又は倭についての考察(高槻市・池上正道)
6). 『書紀』磐井の乱の盗用手法と『古事記』『筑後国風土記』(川西市・正木裕)
7). 九州王朝と松(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・古田史学キーワード辞典・会務報告・テレビ帝塚山大学市民講座・曹操の別荘の所在地と短里(青木英利説の紹介)・その他
○関西例会会計報告(豊中市・大下隆司)


第403話 2012/04/08

『古田史学会報』109号の紹介

 『古田史学会報』109号が完成しました。近々、会員のお手元に届くことと思います。四月より新年度となりました。会費のお支払いをお願い申しあげます。一般会員三千円、賛助会員五千円(会誌「古代に真実を求めて」も進呈)です。
 109号一面には大下隆司さんの『七世紀須恵器の実年代 — 「前期難波宮の考古学」について』が掲載されています。この大下稿は前期難波宮の創建を天武期とするもので、わたしの「前期難波宮九州王朝副都説」を考古学的に批判する内容で、根拠と論旨が明確なすぐれた論稿です。
 久しぶりの本格的な論戦に、わたしもわくわくしています。もちろん学問論争ですから、「勝ち負け」ではなく、共に切磋琢磨して「真実に近づくこと」が大切です。考古学をしっかりと勉強して、反論したいと思います。
 109号掲載稿は次の通りです。

〔『古田史学会報』109号の内容〕
○七世紀須恵器の実年代 –「前期難波宮の考古学」について  豊中市 大下隆司
○九州年号の史料批判  京都市 古賀達也
正誤表 P5-2段-2行 大化は五十5年→大化は五十年遡らせて (失礼しました。古賀氏より)

○「国県制」と「六十六国分国」 下 –「常陸国風土記」に現れた「行政制度」の変遷との関連においてー  札幌市 阿部周一
○磐井の冤罪 III  川西市 正木 裕
○倭人伝の音韻は南朝系呉音 ー内倉氏との「論争」を終えてー  京都市 古賀達也
○-独楽の記紀- 記紀にみる「阿布美と淡海」  大阪市 西井健一郎
○遺跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内
○2012年度 会費納入のお願い
○「古田史学会報」原稿募集


第400話 2012/04/02

『古代に真実を求めて』15集発刊

 「古田史学の会」の会員論集『古代に真実を求めて』15集が明石書店より発刊されました(2200 円+税)。2011年度賛助会員には一冊進呈します(発送作業に時間がかかりますので、しばらくお待ちください)。
 掲載論文は次の通りです。古田先生の講演録・論文が三編収録されており、最新の古田先生の研究動向がよくわかります。

○特別掲載
三国志全体序文の発見 –「古田史学の会」新年賀詞交換会  古田武彦
九州王朝新発見の現在 –久留米大学公開講座 古田講演  古田武彦
九州王朝終末期の史料批判 –白鳳年号をめぐって  古田武彦

○研究論文
東北水稲稲作の北方ルート伝播説の強化 佐々木広堂
九州王朝鎮魂の寺 –法隆寺天平八年二月二二日法会の真実  古賀達也
不破道を塞げ 五 –古人は白村江の勇将の主君、吉野山・瀬田・山前は妙見を祀る 秀島哲雄
九州年号の別系列(法興・聖徳・始哭)について 正木 裕
「筑紫なる飛鳥宮」を探る 正木 裕
「帯方郡」の所在地 –倭人伝の記述する「帯方」の探求 野田利郎
長屋王のタタリ 水野孝夫

○付録ーー会則/原稿募集要項/他
古田史学の会・会則
「古田史学の会」全国世話人・地域の会 名簿
第十六集投稿募集要項/古田史学の会 会員募集
編集後記


第396話 2012/03/18

史料批判の基本「大局観」

 昨日の関西例会でも活発な質疑応答がなされました。わたしもなるべく発言するよう心がけているのですが、岡下さんの発表「隅田八幡神社人物画像鏡の銘文」に関しては難しくて黙り込んでしまいました。
 隅田八幡神社人物画像鏡が国産で、「日本書紀」神功紀四六年条に見える「斯摩宿禰」が大王年に贈ったとする説を岡下さんは発表されたのですが、神功紀や鏡の編年、銘文解釈について活発な質疑が行われました。しかし、わたしにはどうしても腑に落ちない課題があり、最後まで発言できませんでした。
 それは、この鏡の大局的な位置づけがわからなかったからです。歴史学において、取り扱う史料の性格や大局的な位置づけを明らかにするという、史料批判に おける最初に取り組むべき課題・作業があります。たとえば、古事記や日本書紀は近畿天皇家が近畿天皇家のために作成した「勝者自らの史書」という史料性格 と大局的位置づけが明確なため、歴史研究に使用する場合も、天皇家にとって都合よく編纂されていという視点で読むことになります。
 これと同様に隅田八幡神社人物画像鏡でも大局的位置づけが必要なのですが、百済王から倭王(日十大王年)に贈られたとする説に対して、岡下さんが指摘されたように、国家間の贈答品にしては鏡の出来が悪いという「史料事実」から、見直しが迫られているのです。このため、岡下さんは国産説を採られ、臣下から倭王への献上品とされたのですが、この鏡の出来の悪さが、国内献上説をも否定してしまうのです。国産の献上品であれば粗悪な鏡でもかまわないとはならないからです。
 こうしたことから、わたしにはこの鏡の大局的位置づけ、すなわち「出来の悪さ」と銘文解釈の双方をうまく説明できる仮説を提起できなかったのです。たとえば、百済王から倭国王への贈答品の質の良い鏡が別に存在していて、そのレプリカがこの人物画像鏡だったのではないかなどの作業仮説も浮かびましたが、確信を持てるまでには至りませんでした。
 これからも考え続けたいと思います。なお、関西例会の発表は次の通りでした。

〔3月度関西例会の内容〕
(1) 「古田史学キーワード辞典」の作成協力者を求む(豊中市・木村賢司)
(2) 学校の先生の教育をする自由(豊中市・木村賢司)
(3) 「古代史・道楽三昧」第五号の発行(豊中市・木村賢司)
(4) 主格助詞「イ」(明石市・不二井伸平)
(5) 円仁と張保皋(木津川市・竹村順弘)
(6) 石棺と装飾古墳(木津川市・竹村順弘)
(7) 隅田八幡神社人物画像鏡の銘文(その4)(京都市・岡下英男)
(8) 「継体」年号前後(相模原市・冨川ケイ子)
(9) 守君大石の正体と小郡なる飛鳥の宮(川西市・正木裕)
(10)卑しめられた蘇我馬子(川西市・正木裕)

○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
会員寄贈著書紹介(寺本躬久著「いのちの風景」)・古田先生近況・会誌「古代に真実を求めて」15集編集状況・会務報告・関西例会担当者交代(新担当:竹村順弘)・東野治之「百済人祢軍墓誌の『日本』」はおかしい・その他


第385話 2012/02/18

前期難波宮九州王朝副都説への批判

 今朝、京都は珍しく積雪でした。幸い大阪は晴れて、関西例会も盛会でした。初めての参加者も二名ほどおられ、研究発表も目白押しでした。
 今回の例会では大下さんから私の前期難波宮九州王朝副都説への考古学的な批判が寄せられ、大変刺激を受けました。会報での発表が待たれます。
 正木さんからは『聖徳太子傳記』の九州王朝系史料の説明があり、興味深い研究でした。例会発表のテーマは次の通りでした。

〔2月度関西例会の内容〕
1). 「積み重ねと一発逆転」他 近時雑文(豊中市・木村賢司)
2). 主語、ときどき主格(明石市・不二井伸平)
3). ネットサーフィン(明石市・不二井伸平)
4). 饒速日と物部守屋(木津川市・竹村順弘)
5). 間宮論文の引用記事(木津川市・竹村順弘)
6). 土石流と藤原京(木津川市・竹村順弘)
7). 富雄丸山古墳の被葬者(木津川市・竹村順弘)
8). 紀年の記年換算(木津川市・竹村順弘)
9). 「熊曾国」が教える九州王朝の統治域(大阪市・西井健一郎)
10).「倭人の国」はどこに(相模原市・冨川ケイ子)
11).茨城県の横穴墓から出土した正倉院宝物と同形の金具(相模原市・冨川ケイ子)
12).『聖徳太子傳記』の「歳序次第」(川西市・正木裕)
13).会報掲載「前期難波宮の考古学」について(豊中市・大下隆司)

〔代表報告〕
○会務報告・古田先生近況・赤穂、明石の地名について・興福寺南大門遺跡の地鎮具とその意義・丙子椒林剣と四天王像・その他


第384話 2012/02/17

「古田史学会報」108号の紹介

 第379話で紹介した期待の新人、札幌市の阿部周一さんの論稿が「古田史学会報」108号の第一面に掲載されました。新人の会報デビューで一面を飾るのは大変珍しいことなのですが、西村さんと相談の上、決定しました。
 阿部稿は評制以前の行政単位とされている「国県制」が七世紀初頭の九州王朝にて施行されたとするもので、「常陸国風土記」などを史料根拠とされ、論証を試みておられます。従来説もよく勉強されており、なかなか優れた研究者とお見受けしました。おそらく、北海道の地で古田史学・多元史観を一人で勉強されて いるのでしょう。これからのご活躍が期待されます。阿部さんは既に論文を三つほど投稿されているのですが、今回のものが最も優れていましたので、一面掲載を決断しました。
 「北の大地に学人あり、また同志ならずや」の心境です。共に古田史学・多元史観の一翼を担っていただけるものと期待しています。
 もうお一人、所沢市の肥沼さんも期待の研究者で、今回久しぶりにご寄稿いただけました。古代ハイウェイ(官道か)を九州王朝が造ったものとする新説で、これからの研究の深化が楽しみです。

「古田史学会報」108号の内容
○「国県制」と「六十六国分国」(上)
-「常陸風土記」に現れた「行政制度」の変遷との関連において- 札幌市 阿部周一
○前期難波宮の考古学(3)
-ここに九州王朝の副都ありき- 京都市 古賀達也
○古代日本のハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か? 所沢市 肥沼孝治
○筑紫なる「伊勢」と「山邊乃五十乃原」 川西市 正木 裕
○百済人祢軍墓誌の考察 京都市 古賀達也
○2011,6,16号の新潮
「卑弥呼の鏡の新証拠」に付いて 山東省曲阜市 青木秀利
○新年のご挨拶 代表 水野孝夫
○「古田史学の会・関西」遺跡めぐりハイキング
○「古田史学の会」関西例会のご案内
○「古田史学会報」原稿募集
○編集後記


第379話 2012/01/25

新たな論客の出現

 昨日から東京出張で、今日は帰りの新幹線車中で書いています。年始より出張が続き、さすがに疲れてきました。
 こうしたこともあって、「古田史学会報」への投稿論文の採否チェックは新幹線車中で行うことが多いのですが、最近、すぐれた投稿が増えて喜んでいます。 なかでも北海道のAさん、埼玉県のKさんの論稿は、安心して読めるもので、新たな論客が出現したと期待しています。
「安心して読める」論稿とは、古田説は当然として通説もよく咀嚼されており、史料根拠も明確で、その論証や結論の当否は別としても、その文章が論理的であるということが共通しています。
 AさんやKさんの論稿はこれから「古田史学会報」に順次掲載予定ですので、お楽しみに。なお、お二人が常連投稿者となられるようでしたら、次第に採用基準を厳しくさせていただくことになります。偉そうな言い方ですみませんが、期待の現れとご理解ください。
そろそろ、京都駅に到着ですので、今日はこのへんで。


第378話 2012/01/22

隅田八幡人物画像鏡の品質

一昨日の関西例会では新年の幕開けにふさわしい、優れた研究報告がなされました。中でもわたしが特に感心したのが、岡下さんの隅田八幡人物画像鏡に関する報告でした。
岡下さんは以前にも同画像鏡に関する報告をされていて、鏡の出来が良くないとされ、百済王からの贈答品ではないのではないかとの見解を示されていました。それに対して、わたしは隅田八幡人物画像鏡の出来は悪くないと反論していました。
ところが岡下さんはその批判に負けることなく、隅田八幡人物画像鏡と他の人物画像鏡の比較写真などを提示され、その製造方法の違いや画像や文字の稚拙さ を具体的に指摘されたのです。この実証的な再反論は見事なもので、わたしも認識を改めざるを得ませんでした。
もちろん、百済王から倭王へ送られたということに関しては、岡下さんとは見解が異なりますが、「銘文解釈は鏡の出来の悪さも説明できるものでなければな らない」という岡下さんの主張は、なるほどその通りだと思いました。この鏡について、より深く検討することをせまられた、岡下さんの発表でした。
このように、関西例会での厳しい論争のやりとりは、大変勉強になるもので、学問的にも有意義なものです。岡下さんには発表後に、お礼を述べました。なお、例会では下記の報告がなされました。

〔1月度関西例会の内容〕
1). 前倒し、先送り(豊中市・木村賢司)
2). 浅読み、深読み(豊中市・木村賢司)
3). 追従(服従)、反発(抵抗)(豊中市・木村賢司)
4). 鮮卑族に連れ去られた倭人たち(続)(相模原市・冨川ケイ子)
5). 和田家文書の邪馬台国(木津川市・竹村順弘)
6). 『書紀』継体紀、磐井の乱と近江毛野臣記事(川西市・正木裕)
7). 隅田八幡神社人物画像鏡の銘文(その3)(京都市・岡下英男)
8). 大安寺伽藍縁起の天皇名(木津川市・竹村順弘)
9). 元興寺伽藍縁起の天皇名(木津川市・竹村順弘)
10). 和田家文書と北魏(木津川市・竹村順弘)

〔代表報告〕
○会務報告・古田先生近況・賀詞交換会での古田講演の概説・唐招堤寺へ初詣・市民講座「ここまでわかった紫香楽宮」・その他


第376話 2012/01/19

「古田史学会報」107号の紹介

 今日は三重県四日市市に来ています。中日新聞の一面に、紫香楽宮から二棟の正殿跡が出土したことが大きく紹介されています。さすがは地元紙ですね。
 紫香楽宮を造った聖武天皇は後期難波宮も造っており、多元史観から見ても王朝交代直後であり九州王朝の影響を受けているようで、大変興味深い天皇の一人です。
 わたしも『古代に真実を求めて』15集(本年春発行予定)に「九州王朝鎮魂の寺」を投稿しましたが、それは聖武天皇の時代における法隆寺の性格について論究したものです。8世紀初頭の近畿天皇家の歴史は、九州王朝説に基づいて研究する必要を感じています。
 ところで、年末年始ばたばたしていたため、「古田史学会報」107号の紹介を忘れていました。遅くなりましたがご紹介します。

『古田史学会報』107号の内容
○古代大阪湾の新しい地図
-難波(津)は上町台地になかった-  豊中市 大下隆司
○「大歳庚寅」象嵌鉄刀銘の考察  京都市 古賀達也
○中大兄はなぜ入鹿を殺したか  小金井市 斎藤里喜代
○福岡市元岡古墳出土太刀の銘文について  川西市 正木裕
○磐井の冤罪II  川西市 正木裕
○朝鮮通信使(文化八年度)饗応『七五三図』絵巻物
–小倉藩小笠原家作成絵図の対馬での公開にあたって  松山市 合田洋一
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集