古田史学の会一覧

第376話 2012/01/19

「古田史学会報」107号の紹介

 今日は三重県四日市市に来ています。中日新聞の一面に、紫香楽宮から二棟の正殿跡が出土したことが大きく紹介されています。さすがは地元紙ですね。
 紫香楽宮を造った聖武天皇は後期難波宮も造っており、多元史観から見ても王朝交代直後であり九州王朝の影響を受けているようで、大変興味深い天皇の一人です。
 わたしも『古代に真実を求めて』15集(本年春発行予定)に「九州王朝鎮魂の寺」を投稿しましたが、それは聖武天皇の時代における法隆寺の性格について論究したものです。8世紀初頭の近畿天皇家の歴史は、九州王朝説に基づいて研究する必要を感じています。
 ところで、年末年始ばたばたしていたため、「古田史学会報」107号の紹介を忘れていました。遅くなりましたがご紹介します。

『古田史学会報』107号の内容
○古代大阪湾の新しい地図
-難波(津)は上町台地になかった-  豊中市 大下隆司
○「大歳庚寅」象嵌鉄刀銘の考察  京都市 古賀達也
○中大兄はなぜ入鹿を殺したか  小金井市 斎藤里喜代
○福岡市元岡古墳出土太刀の銘文について  川西市 正木裕
○磐井の冤罪II  川西市 正木裕
○朝鮮通信使(文化八年度)饗応『七五三図』絵巻物
–小倉藩小笠原家作成絵図の対馬での公開にあたって  松山市 合田洋一
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集


第374話 2012/01/14

全国世話人会を開催

 今日の新年賀詞交換会に先だって、午前中に「古田史学の会」全国世話人会を開催しました。会誌『古代に真実を求めて』を発行していただいている明石書店からも佐野さんにオブザーバーとして出席していただきました。
 今回の世話人会でも問題となったのが、「古田史学会報」や例会の内容が難しすぎるという声が新入会員から出ているということでした。会員をもっと増やし、古田史学を広めるためにも、わかりやすく面白い会報にすることが求められているのですが、なかなか妙案が出ませんでした。
 論議の結果、会報編集部を増員し、企画力などを向上させることとなり、不二井伸平さん(全国世話人)に編集部入りしていただくことになりました。
 これにより、投稿原稿以外に企画に基づいた依頼原稿を増やし、初心者向けの記事を増やしたいと考えています。会員の皆さんのご理解とご協力をあらためてお願いいたします。


第373話 2012/01/13

『「九州年号」の研究』編集後記

 今日は大阪で仕事をしています。お昼休みを利用して、紀伊国屋書店(本町店)をのぞいてきました。もちろん目的は『「九州年号」の研究』がおいてあるかどうかの確認です。その結果は、幸いなことに何と古代史コーナーに平積みで並んでいました。ありがたいことです。わたしは紀伊国屋書店が大好きになりそうです。
 ミネルヴァ書房の田引さんの話では、『「九州年号」の研究』は順調に売れているそうです。そこで、田引さんのご了承を得ましたので、『「九州年号」の研究』の編集後記を転載します。まだお読みになっていない方に、同書の概要をご理解いただけると思いますので。

『「九州年号」の研究』編集後記

 古田武彦先生が日本古代史学の分野に多元史観を提唱され、その中核をなす九州王朝説はそれまでの大和朝廷一元史観の閉塞を打ち破り、真実の古代史像をわたしたちの眼前に示されたのであるが、その主要テーマの一つが九州王朝(倭国)の年号「九州年号」であった。
 以来、古田先生を初め古田説支持者による九州年号研究は、各地に遺存する九州年号や九州年号史料の調査発掘という第一段階を経て、その年号立ての原形論研究という第二段階へと発展したのであるが、『二中歴』所収「年代歴」の九州年号が最も原形に近いとする一定の「結論」を迎えた後は、その九州年号に基づいた九州王朝史の究明というテーマを中心とする第三段階へと進んだ。本書はその第三段階での主たる研究論文などにより構成されている。
 本書には、正木裕さんと冨川ケイ子さんの秀逸の論文を収録できた。お二人は「古田史学の会」における優れた研究者であり、わたしも関西例会などで繰り返し意見を闘わし、共に研究を進めてきた学問的同志である。
 正木さんの、九州年号を足がかりとした『日本書紀』の史料批判による九州王朝史復原研究は、近年の古田学派における質量ともに優れた業績である。冨川さんによる、明治時代における九州年号研究の発掘は、古写本「九州年号」の実在を鮮明にしたものであり、同写本の再発見をも期待させるものである。
 最近の十年間における最も大きな九州年号研究の成果といえば、やはり「元壬子年」木簡の「発見」であろう(芦屋市三条九ノ坪遺跡、一九九六年出土)。当初、この木簡は『日本書紀』の白雉年号にあわせて「三壬子年」と解読されてきたが、わたしたちによる再検査により、その文字は「元壬子年」であり、『二中 歴』などに記されている九州年号の白雉元年壬子(六五二)に相当する九州年号木簡であることが判明したのである。
 同木簡の写真と赤外線写真(大下隆司さん撮影)を本書冒頭に掲載した。九州王朝や九州年号を認めない大和朝廷一元史観の古代史学界はこの九州年号木簡の 「発見」に対して、今も黙殺を続けているが、それでこの木簡が消えて無くなるわけではない。九州王朝と九州年号の真実の歴史の「生き証人」として、この木 簡は古代史学界を悩ませ続けるに違いない。
 本書の序文は「古田史学の会」代表水野孝夫さんからいただいた。水野さんもまた「古田史学の会」草創の同志であり、人生の先輩でもある。本書を「古田史学の会」の事業として出版することに御賛同いただいたものであり、感謝に堪えない。古田先生からは巻頭論文を新たに書き下ろしていただいた。ありがたい御配慮である。
 わたしが古田武彦先生の著作に感銘し、その門を叩いたのは今から二五年前のことである。以来、古田先生の学説や学問の方法に学び、主たる研究テーマの一 つとして九州年号の研究に没頭してきた。その二五年間の集大成ともいうべき本書を上梓することにより、学恩に僅かでも報いることができれば、まことに幸いとするところである。
二〇一一年七月二四日記    古賀達也


第366話 2011/12/29

2012年新年賀詞交換会のご案内

新年の1月14日(土)に、恒例の「古田史学の会」新年賀詞交換会を古田先生をお招きして開催します。開会は午後1:30から、会場は「大阪市立市民交流センターひがしよどがわ」で、新大阪駅の近くです。
冒頭、水野代表や地域の会、友好団体からの参加者のご挨拶の後、古田先生よりご挨拶と講演をしていただくことになっています。ふるってご参加下さい。講 演終了後は懇親会(人数に制限があります。当日会場にてお申し込み下さい)も開催します。
『「九州年号」の研究』が上梓されたことは既にご紹介しましたが、「古田史学の会」2011年度会員には一冊進呈することになっています。幸い、ミネル ヴァ書房様から発送作業のご協力をいただき、会員の皆様には届き始めていることと思います。お正月にゆっくりとお読みいただければ幸いです。
各地の図書館で購入希望図書受付制度があれば、是非申し込みをお願いします。九州年号と九州王朝の存在を全国の歴史ファンに知らせたいと願っています。ご協力のほど、お願いいたします。


第363話 2011/12/18

『「九州年号」の研究』を上梓

 ミネルヴァ書房より、できたばかりの『「九州年号」の研究 — 近畿天皇家以前の古代史』が送られてきました。著者への贈呈分として一足早く届いたようですが、これから書店に並ぶことと思います。「古田史学の会」会員の皆さんには2011年度会員サービスとして進呈されま す。会員のお手元に届くのは順次発送作業を進めるため、年明けの2月以降になると思います。しばらくお待ち下さい。
 昨日の関西例会では、百済人祢軍墓誌について竹村さんや水野さんから報告があり、活発な討論が交わされました。当然のことではありますが、まだまだ結論は出そうにありませんでした。古田先生もこれから検討に入られると思いますので、引き続き研究テーマとして例会での検討が期待されます。
 冨川さんからは、鮮卑族に捕らえられた倭人の記事が後漢書に見えることを紹介されました。今後の研究の深化が待たれます。
 12月例会の内容は次の通りでした。その後の懇親会は忘年会と『「九州年号」の研究』出版祝いも兼ねて、盛り上がりました。

〔12月度関西例会〕
(1) オフレコ(ここだけの内緒話)(豊中市・木村賢司)
(2) 鮮卑族に連れ去られた倭人たち(横浜市・冨川ケイ子)
(3) 上柱國百済禰軍の位階(木津川市・竹村順弘)
(4) 日本書紀の蓋鹵王と武寧王(木津川市・竹村順弘)
(5) 継体紀における百済本記(木津川市・竹村順弘)
(6) 万葉3234番歌の「伊勢」批判(川西市・正木裕)
(7) 記紀の干支日(木津川市・竹村順弘)

○代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田先生近況・会務報告・園城寺の白鳳年号・百済祢軍墓誌の追跡・他。


第360話 2011/12/11

会報投稿のコツ(4)

 続けてきました「会報投稿のコツ」も今回が最後となります。テーマは「論証」です。
 わたしが古田先生の著作に感銘を受けて、「市民の古代研究会」に入会したのが、今から25年前でした。その後、わたしも研究論文を書きたくなり、へたくそながら「市民の古代ニュース」などに投稿を始めたのですが、最初にぶつかった壁が「論証」でした。古田先生からは「論証は学問の命」と教えられました。 ですから、論証が成立していなければ学術論文として失格です。ところが論証とは何か、どうすれば論証したことになるのかという、基本的なことがなかなか理解できませんでした。
 その時、一つのヒントになったのが中小路俊逸先生(故人・追手門学院大学教授)の「ああも言えれば、こうも言えるというのは論証ではない」という言葉でした。言い換えれば、「誰が考えても、どのように考えても、このようにしか言えない」と説明することが論証するということなのです。しかし、わたしが真にこのことを理解できたのは、さらにその数年後でした。
 和田家文書偽作キャンペーンの勃発により「市民の古代研究会」は分裂し、少数派に陥ったわたしは水野さんらとともに「古田史学の会」を立ち上げたのですが、マスコミも巻き込んで執拗に続けられる偽作キャンペーンと古田バッシングに対して、わたしたちは学術論文で対抗しました。
 その時は「やるか、やられるか」という真剣勝負でした。しかも、その勝敗・優劣を決めるのは多くの読者、あるいは裁判所の裁判官でした(裁判所への陳述書も書きました)。わたしがどう思うかではなく、第三者が偽作論者の主張とわたしたちの主張とのどちらが正しいと考えるかが勝敗を分けるのです。そこにおいて、第三者を納得させることができるのは、証拠(史料根拠)の提示と「論証」だけでした。
 このときの胃の痛くなるような経験が、わたしにとって学問における「論証」の何たるかを、より深く理解できる機会となったのです。その意味では、わたしは偽作キャンペーンに「感謝」しています。あのときのあの経験がなければ、今でも「論証」の意味を深く理解できていなかったかもしれないからです。
 会報に投稿される古田学派の研究者の皆さん。どうか、学問の命である論証を何よりも大切にした論文を送ってください。たとえその結論に反対であっても、わたしや西村さんが掲載せざるを得ないようなするどい原稿を心からお待ちしています。


第359話 2011/12/09

会報投稿のコツ(3)

 今日は大阪にいます。わたしが仕事の関係で理事をさせていただいている「繊維応用技術研究会」の講演会が大阪のホテルで開催されており、その休憩時間に書いています。それでは「会報投稿のコツ」の続きです。

 会報の花形はやはり一面トップ論文です。基本的に投稿原稿の中から最も優れたタイムリーな原稿が一面に掲載されます。読者もそういう目で読まれますか ら、一面にどの原稿を採用するかは、編集部の見識や力量も問われ、西村さんが毎号悩まれることになります。一面にふさわしい投稿が無いときは、それこそ大 変で、常連投稿者に頼み込んで急遽書いてもらうということもありました。
 採用される研究論文の評価ポイントがありますが、特に留意していただきたいことは次の諸点です。

1.最初に何を論証したのかという結論を明記してください。最後まで読まないと何が言いたいのかわからない原稿では困ります。研究論文は推理小説とは違うと言うことをご理解ください。

2.論証の根拠とした史料や文献は必ず出典を明記してください。必要があれば関係部分を引用してください。そうしないと読者がその新説の当否を検証できませんから。史料根拠が示されていない論文は学術論文の体をなしていません。

3.先行説と自説をはっきりと分けて記述し、先行説の出典も明記してください。学問は学説の積み重ね、あるいは淘汰しながら発展しますから、賛成にせよ反対にせよ先行説にふれない論文もまた学術論文として不十分です。もちろん、先行説が存在しないほどの先駆的研究であれば別ですが。あるいは、説明や紹介の 必要性がないほど周知の通説は、省略してもかまわない場合があります。

4.論証と断定を意識的に区別してください。「没」になる理由の大半がこれらが区別されず、自らの断定を論証と勘違いされているケースなのです。「まわり が何と言おうがわたしはこう思う」は断定であり、「誰が考えても、どのように考えてもこうならざるを得ない」という説明が論証です。

5.自説に不利な史料や先行説を無視軽視せず紹介した上で、どういう理由や根拠で自説の方が有力・合理的であるかを、読者が理解できる平明な言葉と論理性で説明してください。

 おおよそ以上の点が審査項目ですが、現実にはかなり甘く判定しています。常連投稿者になると、厳しく審査しますが、初投稿者の場合は、エールを送る意味から甘くしています。
 それから、あれもこれも論証しようとして「大論文」にしてしまう方も見られますが、会報はスペース上の制限がありますので、なるべく1テーマに的を絞ったシャープな切れ味の論文が望まれます。どうしても「大論文」にされたい場合は、「古田史学会報」ではなく会誌「古代に真実を求めて」に投稿をお願いしま す(投稿先:水野孝夫)。(つづく)


第358話 2011/12/07

会報投稿のコツ(2)

 今日は愛知県一宮市に来ています。この町には真澄田神社というお社があり、尾張一宮の社格を持っています。尾張の一宮が熱田神宮ではなくて、なぜ真澄田神社なのかという面白いテーマがあり、以前から気になっている神社です。
 話題を戻します。「古田史学会報」の投稿原稿は研究論文が中心ですが、その他に書評や地方新聞などに掲載されたローカルでユニークな新情報の紹介なども対象となります。あるいは遺跡巡りや博物館見学の報告などもOKです。
 研究はちょっと苦手という会員の方はこうした投稿に挑戦されてはいかがでしょうか。会報の内容が研究論文中心ですから、意外と掲載されます。ただし、この場合でも字数に留意してください。会報2ページ程度を目安にされると、採用の確率がアップします。
 特に古田先生の新刊書評はかなりの確率で採用されますので、是非ご投稿ください。ただ、書評の場合は会報1ページ以内でお願いします。新刊書評は、内容にあまり差がなければ、早い者勝ちです。
 古田先生の講演録(概略や感想文でも可)に至っては、お願いしてでも掲載したい原稿ですから、大歓迎です。
 これから注目されそうなのがインターネットによる検索情報やデータの紹介です。関西例会で竹村順弘さんが得意とされている「ワザ」で、これなどもテーマ選定やデータ解析の切り口次第では結構面白い記事となります。皆さんの創意工夫をこらした投稿をお待ちしています。(つづく)


第357話 2011/12/06

会報投稿のコツ(1)

 最近、ありがたいことに「古田史学会報」への投稿が増えています。ところが、大変申し訳ないのですが、不採用になる原稿も少なからずあります。せっかく会員の方が苦労して書かれた原稿を没にするのは心苦しいのですが、会報を楽しみにされている会員読者のことを考え ると、その期待に応えられる原稿を掲載することが編集部の責任ですし、スペース上の制約もあります。
 そこで、せっかく書かれた原稿がより採用されるよう、論文執筆のコツや、原稿採否基準などについて、少し説明したいと思います。
 まず、会報採否の流れについて、ご説明します。わたしに送られてきた原稿は、最初にわたしが次の四分類にわけます。

A採用 優れた論文で、次号に掲載すべき。
B採用 採用合格だが、次号でなくてもよい。
C採用 必ずしも採用基準に達してはいないが、会報スペースが空いていれば掲載可。
D不採用 採用すべきでない。

 このように分類した原稿を、編集担当の西村さんに転送し、わたしの判断が適切かチェックしてもらい、両者合意の上で最終決定します。もし、両者の見解がどうしても不一致の場合は、水野代表に判断を求めることになりますが、今まで一度もそのようなことはありませんでした。
 また、投稿原稿とは別に、編集部からの依頼原稿や転載依頼原稿もありますが、こちらは原則としてよほどのことが無い限り掲載します。そうしないと失礼ですから。
 こうした分類により、会報には常に優れた原稿が優先的に掲載されるようにし、読者に読みごたえのある会報を提供できるよう努めています。従って、投稿時期や採用時期の順に掲載されるわけでは必ずしもありません。
 なお、投稿の際にCDやフロッピーのみ送られてくる方もごくまれにありますが、必ず印刷したものも送ってください。
 上記のように、まずABCD分類しますから、自信のある方はABを狙っていただくとして、初心者の方はC採用を狙うことをおすすめします。Cだと後回しにされて、なかなか掲載されないのですが、実は次の点がクリアされていれば掲載される可能性がCでもぐっと上がります。

1.千字以内の短文。
2.新情報が含まれており、読者の興味を引ける。

 編集作業をしていて、少し空きスペースが発生する場合があります。そこにちょうど埋まる短文原稿があれば、C原稿でも掲載されるチャンスが生まれるのです。もちろんAB採用で短い論文であれば、更に優先的に掲載されます。(つづく)


第344話 2011/10/22

東アジアの古代象嵌銘文大刀

 10月15日の関西例会も盛沢山の発表で、充実した一日となりました。中でも、正木さんからの四寅剣に関する解説はとても勉強になりました。その時に紹介された西山要一氏の論文「東アジアの古代象嵌銘文大刀」は中国や朝鮮半島、日本の古代象嵌大刀を詳細に調査報告されたもので、優れた研究業績と思われました。同論文はインターネットでも閲覧が可能ですので、是非御覧になられることをお奨めします。
 大下さんの発表は、7世紀以前の大阪上町台地には「難波」地名はなかったというもので、前期難波宮の創建を天武期とされるものです。この問題については質疑応答や討論が行われました。大下さんは会報でも発表予定ですので、活発な論争が期待されます。
 当日の発表は次の通りでした。

〔古田史学の会・10月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 反省 ミリアムは二人いた(向日市・西村秀己)
2). 住吉の大神は和珥氏の小戸航海神(大阪市・西井健一郎)
3). 呉寿夢の後裔氏族(木津川市・竹村順弘)
4). 最後の法隆寺見学(豊中市・木村賢司)
5). 元岡古墳群G6号古墳から発掘された鉄剣(刀)について(川西市・正木裕)
6). 小郡飛鳥説からの天智十年十二月の童謡の解釈(川西市・正木裕)
7). 古代大阪湾の新しい地図(難波の地名)(豊中市・大下隆司)
8). 二中歴都督歴と年代歴元稿(木津川市・竹村順弘)
9). 二中歴都督歴と公卿補任(木津川市・竹村順弘)
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田氏近況・会務報告・法隆寺見学「戊子年銘釈迦三尊像」・磐船神社から富雄真弓塚探訪・『先代旧事本紀大成経』・他(奈良市・水野孝夫)

第343話 2011/10/16

『古田史学会報』106号の紹介

『古田史学会報』106号が発行されましたので御紹介します。105号での上城さんからの論争提起に応えて、正木さ んが小郡のアスカについての関西例会などで発表されてきた自説を詳細に説明されています。読者の皆さんにも関西例会の討論の内容や雰囲気が伝わるのではな いでしょうか。
正木さんのもうひとつの論稿「磐井の冤罪 I」も関西例会で発表されてきたものです。『日本書紀』継体紀の新たな史料批判が展開されており、注目されます。
古谷さんからは、史料紹介として「明王より豊臣秀吉に贈れる冊封」に尚書の「海隅日出 罔不率俾」や「卉服」が見えること、南京市の南朝石碑に全面「鏡文字」があることなどが紹介されました。古谷さんの博識ぶりがうかがえます。
このところ、会報への投稿が増えており、不採用や掲載が後回しになる原稿も少なくありません。早く掲載されるコツとしては、短い論文にされることです。 空いたスペースを埋めるさいに、採用される可能性が高くなります。古田説と異なることを理由に不採用になることはありませんが、その場合、なぜ古田説より も自説が優れているかの説明が不可欠です。御配慮下さい

『古田史学会報』106号の内容
○論争の提起に応えて  川西市 正木裕
○「邪馬一国」と「投馬国」の解明 
ーー倭人伝の日数記事を読む 姫路市 野田利郎
○唐書における7世紀の日本の記述の問題  山東省曲阜市 青木英利
○反論になっていない古賀氏の「反論」  富田林市 内倉武久
○磐井の冤罪 I  川西市 正木裕
○史料紹介  枚方市 古谷弘美
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集

第338話 2011/09/24

公卿補任のONライン

 9月17日の関西例会で、竹村さんが公卿補任(くぎょうぶにん)の調査結果を報告されました。公卿補任は近畿天皇家の歴代の職員録で従三位以上が記されています。著者や成立年代は不明とのことですが、そこに記された739年まで年別の登録人員数の集計をされました。
その結果、701年を境に人数が増えるという現象を発見されたのです。そしてその原因として、701年以降になって近畿天皇家は自らの官僚名を正確に記し、それ以前の九州王朝の官僚は記されていないため、人数が少ないのではないかとされました。正に王朝交代の画期点である701年(ONライン)が公卿補任にも反映している可能性を指摘されたのです。大変優れた調査結果と考察だと感心しました。
 竹村さんには、公卿補任だけでなく、例えば『二中歴』の「都督歴」なども調査されるよう要請しました。このところ、竹村さんの研究発表には刺激されることが多く、毎月の例会が楽しみです。
 奈良市の原さんからも久しぶりに発表があり、当麻寺の中将姫伝説などを教えていただきました。
当日の発表は次の通りでした。
 
〔古田史学の会・9月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 『俾弥呼』を読む(向日市・西村秀己)
2). 青木さんからの手紙(豊中市・木村賢司)
3). 「論争のすすめ」(会報105号)について(豊中市・大下隆司)
4). 公卿補任の大宰帥(木津川市・竹村順弘)
5). 大宰帥の家系図(木津川市・竹村順弘)
6). 当麻寺の曼陀羅由来・他(奈良市・原幸子)
7). 久留米・太宰府地名研究会講演会の報告(川西市・正木裕)
 
○水野代表報告(奈良市・水野孝夫)
古田氏近況・会務報告・住吉神社研究・他(奈良市・水野孝夫)