第2925話 2023/01/23

多元史観から見た藤原宮出土「富夲銭」 (1)

近畿天皇家の中枢領域(飛鳥宮遺跡の近傍)である飛鳥池工房遺跡から最多出土した富夲銭に次いで注目されるのが、藤原宮大極殿跡出土の地鎮具(注①)に納められていた九枚の富夲銭です。古代国家の中枢建築物の地鎮具として、この様式は示唆的です。すなわち、須恵器壺(平瓶 ひらか)の中に9本の水晶と水が入っており、その口の部分を9枚の富夲銭により塞ぐという様式を持つこの地鎮具には、新王朝(大和朝廷)のどのような国家意思が込められたのでしょうか。わたしはこの様式について、次のようなアイデアを持っています。

(1) 封入された水晶と、口の部分を封鎖している富夲銭の数がどちらも9個であることは偶然ではなく、何らかの意味を持つ数字と考えるのが穏当である。
(2) そこで思い浮かぶのが、古代国家における「九州」という概念である。古代中国では天子の直轄支配領域を九つに分けて統治するという政治思想があり、その国家自身も「九州」と称するようになった。
(3) 倭国(九州王朝)もこの制度・呼称を採用したと考えられ、その遺称地名として「九州」(九州島のこと)がある(注②)。
(4) こうした政治思想を反映した様式であれば、平瓶内に水没している9個の水晶は、当時(七世紀末から八世紀初頭)の倭国(九州王朝)の姿を表現しているのではあるまいか。
(5) そうであれば、その口の部分を封鎖するように置かれた9枚の富夲銭は、貨幣の持つ力(霊力)で〝倭国(九州王朝)を意味する9個の水晶の復活を阻止する〟という大和朝廷の国家意志を表現したものと思われる。

以上のような作業仮説を考えているのですが、前王朝の貨幣である富夲銭を使用した理由や、その富夲銭と飛鳥池出土の富夲銭とは、品質や重量、銭文の字体などが異なっている理由、飛鳥池遺跡でなければどこで鋳造したのかという新たな疑問が次から次へと浮かび上がります。こうしたことについて論じた優れた論文を阿部周一さん(古田史学の会・会員、札幌市)が発表されています(注③)。(つづく)

(注)
①須恵器壺(平瓶 ひらか)の地鎮具に9本の水晶と9枚の富夲銭が入っていた。
②古賀達也「九州を論ず ―国内史料に見える『九州』の成立」『九州王朝の論理 「日出ずる処の天子」の地』2000年、明石書店。
同「続・九州を論ず ―国内史料に見える『九州』の分国」『九州王朝の論理 「日出ずる処の天子」の地』2000年、明石書店。
③阿部周一「『藤原宮』遺跡出土の『富本銭』について 『九州倭国王権』の貨幣として」『古田史学会報』159号、2020年。

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