第2864話 2022/10/27

没年干支が改刻された百済武寧王墓誌

 九州年号史料以外にも、干支が一年ずれた痕跡を持つ著名な同時代金石文があります。百済武寧王墓誌に見える武寧王の没年干支です。

 寧東大将軍百済斯
 麻王年六十二歳癸
 卯年五月丙戌朔七
 日壬辰崩到乙巳年八月
 癸酉朔十二日甲申安暦
 登冠大墓立志如左

 1998年9月、古田先生は韓国の武寧王陵碑を見学され(注①)、その碑面の字を調査しました。そして、武寧王没年干支「癸卯」(523年)の部分が改刻されており、原刻はその翌年に当たる「甲辰」であったことが確認できたのです(注②)。
 武寧王の没年は『日本書紀』や『三国史記』(1145年成立)には「癸卯」とされていますが、墓誌にはその翌年にあたる「甲辰」とあったのです。国王の墓誌という史料性格から、誤刻を訂正した痕跡とは考えにくいため、古田先生は、干支が一年引き上がった暦が当時の百済では採用されており、後に現行暦の干支に改刻された痕跡であるとされました。そして、その改刻時期は同陵に合葬された王妃の埋葬時(529年己酉。王妃没年は526年丙午)の可能性が高いと指摘しました。すなわち武寧王没後数年の間に、百済では暦が現行干支暦に変更されたと考えられるのです。
 このように、六世紀の九州年号の時代、百済の王権内で干支が一年ずれた暦(ずれの方向も『万葉集』左注の朱鳥と同じ)を採用していたことは興味深いことです。

 「武寧王」新旧暦対応表
西暦 干支  記事・出典
501  辛巳 武寧王即位・『三国史記』
502  壬午 武寧王即位・『日本書紀』
521  辛丑 武寧王朝貢・『三国史記』武寧王二十一年条
522  壬寅 武寧王朝貢・『冊府元亀』普通三年条
523  癸卯 武寧王没・墓誌改刻、『日本書紀』『三国史記』
524  甲辰 武寧王没・墓誌原刻、『梁書』普通五年条
525  乙巳 武寧王埋葬・墓誌

(注)
①古田武彦「虹の光輪」『多元』28号、1998年。
②古賀達也「一年ずれ問題の史料批判 百済武寧王陵碑『改刻説』補論」『古田史学会報』31号、1999年。
 同「洛中洛外日記」845話(2015/01/01)〝百済武寧王陵墓碑が出展〟

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