第1109話 2015/12/21

入唐僧空海の持参金

 わたしは出社の日は自転車通勤(チャリ通)ですが(大半は直行直帰の出張)、今朝の京都は雨だったのでバスを利用しました。拙宅のある上京区から南区の会社へ行く途中、「九条大宮」のバス停を通過するのですが、そのおり京都市バスの運転手さんが「弘法さんに行かれる方はここでお降り下さい」と車内アナウンスされ、今日が「弘法さん」(空海の月命日に東寺で催される法会。境内や周辺に多数の露店が並びます)であることに気づきました。特に年末12月は「終い弘法」と呼ばれています。ちなみに、命日は3月21日(承和二年、835年)です。
 空海は青年の頃、遣唐使として入唐し、帰国時には大量の経典・法具類を持ち帰っています。この空海の帰国年次を「大同二年(807)」とする史料(『御遺告』他)があるのですが、帰国後に大宰府で書いた経典類の目録『御請来目録』(最澄による写本が東寺に現存)には「大同元年(806)」と記されており、これら空海帰国年の二説について永く論争がありました。
 この空海帰国年に関する論文「空海は九州王朝を知っていた」(1991年『市民の古代』13集)を、わたしは書いたことがありますが、そのとき何となく空海は入唐にあたり、旧九州王朝の有力者(筑前王太守?)のバックアップを得ていたのではないかと考えていました。もちろん明確な史料根拠や論証があったわけではありません。
 ところが先日の関西例会で西村秀己さん(古田史学の会・全国世話人、高松市)からとても面白い史料紹介がありました。その史料によると、空海は現在の金額で約8000万円を支払って、経典・法具などをもらったとされているのです。そのような大金を当初は一介の私度僧に過ぎなかった空海はどのようにして集めたのでしょうか。またその額に相当する貨幣はかなりの重量であり(絶対に空海一人では運べない)、どうやって運んだのだろうかと、西村さんは数々の疑問点を指摘されたのです。
 「香川県出身の唯一の偉人」(西村談)とされる空海には多くの謎があり、歴史研究者にはたまらない人物であり研究テーマです。

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