小郡宮と飛鳥宮(1)
先週の土曜日、正木裕さん(古田史学の会・全国世話人)が京都に見えられたので、いつものように拙宅近所の喫茶店で2時間以上、古代史談義を行いました。今回の話題は『日本書紀』の大化改新詔についての検討で、正木さんが書き上げられたばかりの論文の示され、改新詔には九州年号の常色年間(647-651)に公布された「常色の改新詔」と九州年号の大化年間(695-703)に公布された「大化の改新詔」が混在しており、両者を区別する方法論とその結果について説明されました。かなり説得力のある論稿でした。
そこでわたしは次のような質問をしました。九州年号の大化改新詔は藤原宮で出されたとして、前期難波宮の完成前に当たる常色改新詔はどこの宮殿で出されたと考えられるのかと。正木さんの回答は、福岡県小郡市にあったと思われる「小郡宮」で出されたというものでした。『日本書紀』孝徳紀に見える「小郡宮」を福岡県の小郡市にあったとされ、その考古学的痕跡として、小郡官衙遺跡・上岩田遺跡などを指摘されました。
「空理空論」ではなく、史料根拠と考古学的事実を提示しての正木説は有力説とは思うのですが、なぜ太宰府の王宮(小字扇屋敷の王城神社の地、王城宮か)ではなく、「小郡宮」なのかという疑問もあり、わたし自身はまだ完全には納得していません。しかしながら、正木さんの精力的な研究と質を維持ながらの論文の「量産」には刮目し、いつも驚かされています。(つづく)