蓮如生誕600年に思う
本年は蓮如生誕600年とのことです(1415〜1499)。大谷大学博物館では特別展「生誕600年 蓮如」が開催中です。蓮如は本願寺第八代で本願寺中興の祖として有名ですが、わたしたち古田学派にとっては古田先生の蓮如筆跡研究がよく知られているところです。特に『歎異抄』蓮如本の「流罪記録」の研究は親鸞研究の最高峰です。
蓮如生誕600年にあたり、古田先生のある言葉が思い出されました。「古田史学の会」を創立して間もない頃だったと記憶していますが、先生のご自宅にうかがったとき、京都の法蔵館から蓮如全集の創刊にあたり、古田先生に原稿執筆依頼が来たとのことで、「時代も変わったなあ」としみじみと述懐されたのです。このときの先生のお気持ちは、わたしにはよくわかりました。それは次のような事件が法蔵館と先生にはあったからです。
それは古田先生の名著『親鸞思想 -その史料批判-』(冨山房、昭和50年5月25日発行)発刊にかかわる事件です。同書は当初、法蔵館から出版される予定で、出版広告まで出されていたにもかかわらず、法蔵館からは出版されなかったのです。このときのいきさつを同書「自序」に次のように記されています。
自序
親鸞の研究はわたしにおいて、一切の学問研究のみなもとである。わたしはその中で、史料に対して研究者のとるべき姿勢を知り、史学の方法論の根本を学びえたのである。
(中略)この一書は誕生の前から数奇な運命を経験した。かつて京都の某書肆(法蔵館のこと。古賀注)から発刊することとなり、出版広告まで出されたにもかかわらず、突然、ある夕、その書肆の一室に招かれ、特定の論文類の削除を強引に求められたのである。当然、その理由をただしたけれども、言を左右にした末、ついに「本山に弓をむけることはできぬ。」この一言をうるに至った。
わたしの学問の根本の立場は“いかなる権威にも節を屈せぬ”という、その一点にしかない。それは、親鸞自身の生き方からわたしの学びえた、抜きさしならぬ根源であった。それゆえわたしは、たとえこのため、永久に出版の機を失おうとも、これと妥協する道を有せず、ついにこの書肆と袂を別つ決意をしたのである。思えば、この苦き経験は、原親鸞に根ざし、後代の権威主義に決してなじまざる本書にとっては、最大の光栄である、というほかない。--わたしはそのように思いきめたのであった。(後略)」
このような経緯で袂を別った法蔵館から、古田先生に執筆依頼が来る時代になったのですから、先生も感無量だったのではないでしょうか。先生に続く古田学派の研究者には、この自序に示された学問の根本精神も受け継いでいただきたいと願っています。ちなみに後年、冨山房から出版できたのは家永三郎さんのお力添えによるものでした。
この『親鸞思想』をわたしは古田先生からいただきました。当時は古代史しか研究していませんでしたから、思想史もこれで勉強するようにとの先生のお心遣いだったと受け止めています。そのいただいた本には先生による次の一文が記されていましたので、ここに初めてご紹介します。
「人間(じんかん)好遇、生涯探求
古賀達也様
御机下
いつもすばらしい御研究やはげましに
導かれています。今後ともお導き下さい。
一九九六年五月十五日
古田武彦」
過分のお言葉をいただき、この本も家宝の一つとなりました。なお、古田先生が法蔵館から依頼され、書かれた論稿は次のものと思われます。まだわたしは読んでいませんので、蓮如生誕600年の今年中には読んでみたいと思っています。
法蔵館『蓮如大系3』(1996年11月発行)「蓮如筆蹟の年代別研究」古田武彦