文武天皇「即位の宣命」の考察(2)
文武天皇「即位の宣命」が掲載されている『続日本紀』は基本的には漢文体で書かれていますが、その中の「宣命」と呼ばれる詔勅は万葉仮名を伴う特殊な和文「宣命体」で書かれています。『続日本紀』にはこの宣命が62詔あり(数え方による異説あり)、その最初が今回のテーマとした文武天皇「即位の宣命」です。
この文武天皇「即位の宣命」は、次の二つの特徴を有しています。
①王朝交替前の文武元年(697年)という「九州王朝(倭国)の時代」に出されている。古田説では、九州王朝(倭国)から大和朝廷(日本国)への王朝交替は701年(大宝元年)とされる。
②『続日本紀』全四十巻の成立は延暦十六年(797年)だが、当「宣命」記事は文武元年(697年)に出された同時代史料と見られる。
この二つの特徴により、「九州王朝(倭国)の時代」に近畿天皇家の文武らがどのような認識に基づき、どのような主張をしていたのかということを当宣命から知ることができます。この点、『古事記』や『日本書紀』のように、王朝交替後に編纂され、編纂当時の自らの大義名分により古い昔(九州王朝時代)のことを真偽取り混ぜて造作されたという史料性格とは異なります。もちろん、『続日本紀』編纂時に当「宣命」にも編集の手が加わっているという可能性を完全には否定できませんから、文献史学の常道として、史料批判や関連他分野との整合性のチェックは大切です。(つづく)