2021年06月28日一覧

第2504話 2021/06/28

九州王朝(倭国)の仏典受容史 (1)

 本年六月十九日に開催された奈良市での講演会(注①)で、関川尚功さん(元橿原考古学研究所員)と並んで講演させていただきました。わたしの講演テーマは、九州王朝(倭国)への仏教伝来時期と初伝僧(清賀上人)に関する研究でした。講演後の質疑応答で、会場から「清賀上人が伝えた仏教経典は何か」とのご質問をいただきました。大変重要な質問であり、わたし自身も気になっていたことでしたが、伝承が断片的にしか遺っていないので、現時点では不明と回答せざるを得ませんでした。このときの質問が気になったままでしたので、この機会にこれまでの研究を再確認し、考察を深めてみたいと思いますので、少々お付き合い下さい。
 九州王朝の仏典受容については古田先生は当初から問題意識を示されており、『失われた九州王朝』(注②)の「第三章 高句麗王碑と倭国の展開 阿蘇山と如意宝珠」で触れられたのが最初です。遅れて、わたしも九州年号研究の一端として、「九州王朝仏教史の研究 ―経典受容記事の史料批判―」(注③)を発表しました。それは、九州年号群史料として著名な『二中歴』「年代歴」の九州年号細注に見える仏典記事を史料根拠としたものでした。たとえば次のようなものです。

(1)法清(554~557年) 法文唐渡僧善知傳
(2)端政(589~594年) 自唐法華経始渡
(3)定居(611~617年) 法文五十具従唐渡
(4)仁王(623~634年) 自唐仁王経渡仁王会始
(5)僧要(635~639年) 自唐一切経三千余巻渡
(6)白雉(652~660年) 国々最勝会初行之

 六~七世紀の九州年号時代における仏典受容の様子が少しわかる記事です。これらの記事と『日本書紀』に見える関連記事を比較すると、『二中歴』の九州年号細注とは時期が異なっており、細注記事の方が早いことがわかりました。従って、これら細注記事は近畿天皇家のことではなく、九州年号で事績を記録した九州王朝(倭国)の仏典受容史であると論じました。
 更に僧要年間(635~639年)の「自唐一切経三千余巻」という唐からの一切経(注④)伝来記事は、隋代(開皇十七年、597年)に成立した『歴代三宝紀入蔵録』(費長房撰述。1076部、3292巻)と時代も巻数も対応しており、細注記事は史実を記録したとする根拠になりました。ちなみに、『日本書紀』には一切経伝来記事は見えません。(つづく)

(注)
①「古田史学の会」や関西の古代史研究団体共催による講演会。六月十九日(土)、奈良新聞本社ビル。
 ○講師 関川尚功(元橿原考古学研究所員) 演題 考古学から見た邪馬台国大和説 ―畿内ではありえぬ邪馬台国―
 ○講師 古賀達也(古田史学の会・代表) 演題 日本に仏教を伝えた僧 ―仏教伝来「戊午年」伝承と雷山千如寺・清賀上人―
②古田武彦『失われた九州王朝』朝日新聞社、昭和四八年(1973)。ミネルヴァ書房より復刻。
③古賀達也「九州王朝仏教史の研究 ―経典受容記事の史料批判―」『「九州年号」の研究』ミネルヴァ書房、2012年。
④一切経は大蔵経ともよばれ、膨大な経典類を集成分類する方法として、インドで成立していた「三蔵」(テイピカタ。経・律・論の部立てからなる)をもとにして中国で案出された漢訳仏典・章疏・注釈を編纂したもの。