『東京古田会ニュース』No.201の紹介
本日、『東京古田会ニュース』201号が届きました。拙稿「古代日本の和製漢字(国字) ―多利思北孤の『新字』―」を掲載していただきました。わが国における国字の発生が多利思北孤の時代まで遡ることを金石文や史料を上げて紹介した論稿です。例えば、「鵤(いかるが)」もその一例で、七世紀の金石文「観音像造像記銅板」銘文(注)に見えます。
今号も好論が多かったのですが、中でも藤田隆一さん(足立区)の「ネット版『和田家資料』を制作」に注目しました。インターネット上で『和田家資料』(北方新社刊・藤本光幸編)を読めるサイト作成の報告がなされており、藤田さんの膨大な作成作業により、多くの人が和田家文書に触れることができるようになりました。和田家文書研究が加速されることと思います。藤田さんに厚く感謝します。
論文としては久保玲子さん(藤沢市)の「南信濃から見えてきた古代『塩の道・馬の道』見つかった古代『塩の道』」が、信濃の土地勘に乏しい私にはとても勉強になりました。特に東信濃地方に「○○将軍塚古墳」という名称を持つ前方後円墳が多数存在しているというご指摘は興味深く思いました。
(注)
法隆寺「観音像造像記銅板」銘文
(表)
甲午年三月十八日鵤大寺德聡法師片罡王寺令弁法師
飛鳥寺弁聡法師三僧所生父母報恩敬奉觀世音菩薩
像依此小善根令得无生法忍乃至六道四生衆生倶成正覺
(裏)
族大原博士百済在王此土王姓