2025年01月一覧

第3406話 2025/01/03

新年の読書『日本のなかの朝鮮文化』

 正月の恒例行事としている「新年の読書」。令和七年は、拙宅から二軒先のお隣にある韓国古美術店〝スモモ〟の李さんからいただいた『日本のなかの朝鮮文化』のバックナンバーを読むことにしました。同書は李さんのお父上(高麗美術館(注①)の創立者)が発行したもので、わたしも何冊か持っていました。そのことを李さんに告げると、店頭に並んでいた44号(1979年)・45号(1980年)・46号(1980年)・47号(1980年)・48号(1980年)の五冊をプレゼントしていただきました。
今、くり返し読んでいるのが、44号に掲載された李進煕さん(注②)の「飛鳥寺と法隆寺の発掘」です。同論文は法隆寺再建説に対する批判ですが、1939年の発掘調査により火災の痕跡を持つ若草伽藍が発見され、法隆寺論争は再建説で決着していたので、1979年当時、どのような理由で再建説を批判したのだろうかと興味深く読みました。李進煕さんの主張は次の通りです。

〝私のいだいていた疑問の一つは、飛鳥時代の寺院は塔の心礎がすべて地下深いところにあるのに、「若草伽藍」のそれはどうして地上に据えられたのか、ということであった。ちなみに、百済の軍守里廃寺の心礎は地下六尺のところにあって、飛鳥時代のそれは、
四天王寺 基壇より十一・五尺
法隆寺  基壇より一〇尺
法興寺  基壇より九尺
中宮寺  基壇より七・五尺
となっている。ここで注目されるのは、現在の法隆寺五重塔が再建されたものであるならば、心礎が地上にあるべきなのに実際は地下九尺の深さにあり、地下にあるべき「若草伽藍」のそれは地上にあることである。つまり、両方ともまったく例外的存在となっているわけである。〟

 この指摘には、なるほどと思いました。確かに古代寺院の五重塔の心礎は古いほど版築基壇よりも更に地中深い位置にあり(法隆寺が著名)、七世紀中頃には基壇中まで上がり、後半頃になると基壇上部に心礎が置かれます(太宰府の観世音寺。白鳳十年 670年創建)。この心礎の位置が五重塔創建年代の編年に利用できます(注③)。ちなみに、心礎の位置は更にせり上がり、たとえば京都の東寺の五重塔の心柱は基壇上部よりも30㎝ほど上に浮いていました。わたしが二十代の頃、東寺の貫首のご好意により見せて頂いたことがあります。このタイプの構造は「梁上型」とか「宙づり型」と呼ばれているようです。

 李進煕さんの指摘によれば、法隆寺よりも古いはずの若草伽藍の五重塔心礎が法隆寺よりも新しい様式であり、編年が逆転しているというのです。このことについて若草伽藍現地を確認した李進煕さんは次のように記しています。

〝現場(若草伽藍跡)を訪れたとき、私はまず「塔心礎」に注目した。それは、高さが一・二メートル、四方が各々二・七メートルもある巨石だが、一九六八年の発掘の結果、「従来の推定とは異なり地中深くに埋地されたものではなく、地山面近くに直接据えられたもの」(榧本杜人「若草伽藍跡の発掘調査」『月刊文化財』第六十三号)であることがはっきりしていた。〟※(若草伽藍跡)は古賀による。

 この他にも李進煕さんは若草伽藍発掘調査報告の矛盾点を指摘し、若草伽藍は飛鳥時代よりも新しい遺跡と主張しています。そして、結論として法隆寺西院伽藍こそ飛鳥時代の建築物であり、若草伽藍とは無関係とする法隆寺非再建説を唱えました。(つづく)

(注)
①高麗美術館は京都市北区にある美術館。1988年開館。高麗青磁・朝鮮白磁をはじめとする陶磁器や、考古資料、絵画、民俗資料など、朝鮮半島の美術工芸品1700点を収蔵する日本唯一の韓国・朝鮮の専門美術館。高麗美術館研究所を付置する。1988年、在日朝鮮人の実業家である鄭詔文(チョン・ジョムン、1918年~1989年)の蒐集品をもとに創設された。収蔵された朝鮮の美術品は日本で蒐集されたもの。1998年、上田正昭が第二代館長に就任。2016年より井上満郎が第三代目館長に就任。(ウィキペディアを参照)
②李 進熙(り じんひ、1929年~2012年)は、在日韓国人の歴史研究者・著述家。和光大学名誉教授。文学博士(明治大学)。専門は考古学、古代史、日朝関係史。慶尚南道出身。1984年に韓国籍を取得。好太王碑文改竄説を唱え、改竄されていないとする古田武彦との論争は有名。その後、古田らの現地調査により改竄はなかったことが確認された。
③古賀達也「洛中洛外日記」1399話(2017/05/17)〝塔心柱による古代寺院編年方法〟


第3405話 2025/01/01

新年の対話、数学者との賀正宴

 令和七年の元旦、京都は快晴。今年もカフェ〝出町ビギン〟でおせちと銘酒獺祭(だっさい。注①)をいただきました。言わば賀正宴です。獺祭はわたしからのリクエストです。祇園のお店でママをしていたこともあるビギンのママの手料理で飲む獺祭は格別です。店頭にはママお手製の紅白の餅花(注②)が飾られており、京都花街のようなお正月風情で客人をもてなしてくれます。

 今日の最大の楽しみは、京都大学の数学者Aさんとの対話でした。わたしは朝9時の開店から訪れ、常連さんと獺祭を飲んでいたところ、お昼前にAさんが来店され、4時間にわたり学問論議(異業種交流)と酒宴を続けました(わたしは獺祭を4合飲んだらしい)。Aさんはフェルマーの最終定理解明に貢献した志村五郎博士(注③)のお弟子さん筋の方で、国家プロジェクトにも関わっている若手数学者です。今日は数学という分野の学問的性格について教えていただきました。

 数学者の荻上紘一先生(注④)からうかがった次の話について、他の数学者からも意見を聞いてみたいと願っていました。

〝数学には「学説」というものもないし、たとえば古田「史学」とか多元「史観」という概念が存在しませんから、「学派」も存在し得ません。証明された定理があるだけですから。〟(注⑤)

 この見解は数学界の共通認識なのかと問うたところ、「原理的にはその通りです」とのことでした。そして次の説明がありました。

〝数学には「流派・流儀」と言えるものならあります。証明を行うにあたって、「流派」によって得意とする流儀や方法(わざ)があります。そこでは論争があり、証明が成立しているのか否かについて見解が異なることもあります。〟

 このような小難しい話を二人で延々と続けました。Aさんは数学が大好きでたまらないという感じで、今、読んでいる数論の解説書がとても面白いと見せて頂きました。もちろん、わたしには全く理解できない数式が並んでいました。また、京都大学には際だって優れた学生がいて、期待しているとのことでした。
わたしからは化学と古代史学について、メディアではいかに科学の基本原理に反する報道がなされているのかを説明しました。たとえば「森林は二酸化炭素を吸収する」「温暖化でツバルが沈んでいる」などです。古代史学では、倭人伝原文には「邪馬壹国」とあるのに、「邪馬臺(台)国」として論文や教科書が書かれ続けていることを説明すると、「それは研究不正じゃないですか」との指摘がかえってきました。
とても楽しく有意義な新年の宴でした。また、お会いして学問談義をすることを約束しました。

(注)
①山口県岩国市旭酒造の純米大吟醸酒。
②餅花(もちはな)とは、正月に、木の枝に小さく切った餅や団子をさして飾るもの。
③志村五郎(しむら ごろう、1930年~2019年)は、日本出身の数学者。プリンストン大学名誉教授。専門は整数論。静岡県浜松市出身。
谷山-志村予想によるフェルマー予想解決への貢献、アーベル多様体の虚数乗法論の高次元化、志村多様体論の展開などで知られる。国際数学者会議に招待講演者として4回招聘されているほか、スティール賞、コール賞を受賞した日本を代表する数学者の一人。また、趣味で中国説話文学を収集しており、中国文学に関しての著作も複数存在する。(ウィキペディアによる)
④大学セミナーハウス理事長で数学者。古田武彦氏が教鞭をとった長野県松本深志高校出身。東京都立大学総長、大妻女子大学々長を歴任。2021年、瑞宝中綬章受章。古田武彦記念古代史セミナーの実行委員長。
⑤古賀達也「洛中洛外日記」2877話(2022/11/15)〝「学説」「学派」が「存在しえない領域「数学」〟