「肥人の字」「肥人書」のこと
このところ、鞠智城や「肥後の翁」など肥後の古代史を集中して研究しているのですが、古代において「肥人の字」「肥人書」というものが存在していたことを思い出しました。
平安時代(10世紀)の『日本書紀』の解説書ともいえる『日本書紀私記』(丁本)に、大蔵省御書所(皇室の蔵書を保管する機関)にある「肥人之字」について次のような「問答」が記されています。
「問ふ、假名の字、誰人の作る所か、と。
師説、大蔵省御書所の中、肥人の字六七板許ある也。先帝(醍醐天皇)、御書所において之を写さしめ給ふ。その字、皆な假名用ふ。或いは「乃」「川」等の字は明らかにこれ見ゆ。若しくは彼を以て始めと為すべきか。」
大蔵省御書所に「肥人の字」が所蔵されており、それは「仮名」で書かれてあり、「乃(の)」や「川(つ)」などと読める字もあり、これが仮名の始めではないかと説明しています。すなわち、「肥人の字」と記していることから、この謎の「仮名」は肥後か肥前の人の字であるとの認識が示されているのです。同時に「仮名」は大和朝廷(近畿天皇家)で作られたのではないという、平安時代の知識人の認識をも示しており、とても興味深い史料です。
わたしは、この『日本書紀私記』の記事を20年以上も前に旧友の安田陽介さんの論文「日本書紀私記と『肥人の字』」(『「続日本紀を読む会」論集』創刊号、1993年。非売品)で知りました。当時、わたしは京大で日本史を専攻していた安田さんらと、「続日本紀を読む会」を京都で開催しており、年下の安田さんから多くのことを教えていただきました。「肥人の字」もその勉強会で教えていただいたものです。
今回、肥後の古代史を研究することになり、20年以上昔のことを思い出しました。更に「肥人書」「薩人書」という史料も御書所にあったと、『本朝書籍目録』(鎌倉時代後期の図書目録)に見えます。おそらくは、これら「肥人の字」や「肥人書」「薩人書」とは九州王朝に淵源する史料であり、近畿天皇家はそれを入手(没収か)し、大蔵省御書所に保管したものと思われます。これらの史料についても九州王朝説による研究が望まれます。どなたか、取り組まれませんか。