古田史学会報一覧

第334話 2011/08/21

『古田史学会報』105号の紹介

 8月8日発行の『古田史学会報』105号を御紹介します。今号でも上城稿や水野稿など紙上論争が掲載されており、中でも上城稿は会内での活発な論争を提唱されています。読者にとっても興味深い論争が展開されると思いますし、最新の研究の問題点や争点が明確になることも学問的に有益なことです。
 大下さんからは久留米大学公開講座での古田先生の講演要旨が報告されました。古田先生の最新の研究動向や問題意識に触れることができるので、ありがたい報告です。来春発刊予定の『古代に真実を求めて』15集には、詳細な講演録を掲載することを検討していますので、お楽しみに。なお、『古代に真実を求め て』15集の原稿受付締め切りも間近です。こちらにもふるってご投稿下さい(水野孝夫まで)。

『古田史学会報』105号の内容
○論争のすすめ 福岡市 上城誠
○古歌謡に現れた「九州王朝」の史実  世田谷区 西脇幸雄
○斎藤里喜代さんへの反論  奈良市 水野孝夫
○「橿(モチのキ)はアワギ」の発見  大阪市 西井健一郎
○古田武彦講演「九州王朝新発見の現在」要約  文責 大下隆司
○『古田史学会報』原稿募集
○古田史学の会会員総会の報告
○「星の子」(3)  深津栄美
○クマソタケルは女だった  西村秀己
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内


第324話 2011/07/2

『古田史学会報』104号の紹介

 少し遅くなりましたが、6月5日発行の『古田史学会報』104号を御紹介します。今号の冒頭論文は正木さんの別系統九州年号「法興・聖徳・始哭」についての考察です。法興と聖徳は多利思北孤と利歌弥多弗利の法号とし、始哭は玉垂命の葬儀に関する記事の一部であり、九州年号ではないとするものです。一つの有力な理解と思われました。  
 西村稿と古賀稿は紙上論争です。こうした論争により、古田学派内の研究活動や会員の学問的興味が刺激されることが期待されます。  
 古谷稿は古谷さんの博学な知識に基づくもので、三角縁神獣鏡銘文の研究に寄与することが期待されます。
 野田稿は関西例会でも発表されたもので、活発な質疑応答が展開されたテーマです。古田説とやや異なる内容でもあり、今後の展開が注目されます。

『古田史学会報』104号の内容
○九州年号の別系列(法興・聖徳・始哭)について  川西市 正木 裕
○乙巳の変は動かせる — 斎藤里喜代さんにお応えする  向日市 西村秀己
○三角縁神獣鏡銘文における「母人」「位至三公」について  枚方市 古谷弘美
○銀装方頭太刀について(小松町南川大日裏山古墳出土)  西条市 今井久
○再び内倉氏の誤論誤断を質す — 中国古代音韻の理解について  京都市 古賀達也
○「帯方郡」の所在地 −倭人伝の記述する「帯方」の探究−  姫路市 野田利郎
○卑弥呼の時代と税について  中国山東省曲阜市 青木英利
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○古田史学の会会員総会・記念講演会のお知らせ
○『古代に真実を求めて』第14集・正誤表


第314話 2011/04/24

『古田史学会報』

103号の紹介

『古田史学会報』103号が発行されました。被災地の会員にも無事届きますよう、本会総務の大下さんがご尽力されています。
今号には新年賀詞交換会での古田先生の講演要約が掲載されています。大下さんがテープ起こしの労をとられました。最新の古田先生の研究の様子がうかがえる内容となっています。
古谷さんは会報初寄稿です。古代中国都市が短里で記されていた痕跡を紹介されています。氏の文献渉猟の成果です。正木さんは九州王朝の飛鳥宮に関する考 察で、九州王朝史復原の一つの方法論としても注目されます。小金井市の斎藤さんからは、近年「流行」している、『日本書紀』大化改新や乙巳の変を50年移 動させ、九州年号大化期の事件とする見解に対して、一石を投じる論文が寄せられました。今後の展開が期待されます。
こうした好論を掲載した『古田史学会報』が、被災地の古田ファンに少しでも喜んでいただけるものになれば幸いです。
『古田史学会報』103号の内容
○新年賀詞交換会「古田武彦講演」(要約) (文責 大下隆司)
○「筑紫なる飛鳥宮」を探る  川西市 正木 裕
○「逸周書」による都市洛邑の規模  枚方市 古谷弘美
○魏志倭人伝の読みに関する「古賀反論」について  富田林市 内倉武久
○入鹿殺しの乙巳の変は動かせない  小金井市 斎藤里喜代
○前期難波宮の考古学(2)–ここに九州王朝の副都ありき  京都市 古賀達也
○大地震のお見舞い  代表 水野孝夫
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○2011年度会費納入のお願い

第307話 2011/03/05

中国語の音韻

 昨日、中国から帰国しました。今回の出張は上海を拠点に、江蘇省張家港と宿遷、河北省石家荘、そして山東省斉南などを訪問。中国国内を車と飛行機で何時間もかけて移動するというハードな出張でした。
 中国に出張するようになって10年以上になりますが、その経済発展のスピードには目をみはるものがあります。行くたびに高速道路網は伸びていますし、何よりも食事がおいしくなり、女性は益々きれいになっています。冗談ではなく。
 同行していただいたのは有名な商社Mの王さんと金さん(女性)で、上海出身の王さんは北京語と上海語と日本語(やや関西弁)、朝鮮族出身の金さんは北京語と韓国語と日本語が堪能なエリート商社員です。そのため、商談では様々な言語が飛び交っていました。それにしても中国人の語学力にはいつも驚かされます。 地方都市のホテルマン(ただし高級ホテル)でも、英語と日本語の両方を話せる中国人は少なくありません。
 仕事の合間をぬって、王さんに北京語と上海語の違い、河北省語と北京語の差などについてしつこく質問し、いろいろと教えてもらいました。というのも、現在、『古田史学会報』上で内倉武久さん(本会会員。『太宰府は日本の首都だった』という好著の著者)と、倭人伝の地名などの音韻について論争中ですので、 現代中国語音韻の地域差についても知っておきたかったからです。
 そんなわけで、古代中国語音韻の先行研究を調べているのですが、大下さん(本会全国世話人・総務)から、松中祐二さん(本会会員)の「倭人伝の漢字音 −− 卑弥呼=姫王の証明」(『越境としての古代7』所収)が優れていると紹介していただきました。確かに、魏晋朝音韻研究の先行説など、わたしより深 く広く調査紹介されている好論文でした。松中さんともお会いして、御教示を賜りたいと願っています。
 それにしても、しばらくは中華料理は食べたくない、日本語以外の言葉も聞きたくないというほどの、ハードな出張ではありました。

 


第306話 2011/02/27

『古田史学会報』102号の紹介

 2月5日発行の『古田史学会報』102号の掲載原稿は下記の通りですが、拙稿「前期難波宮の 考古学(1)ーーここに九州王朝の副都ありき」も掲載させていただきました。前期難波宮九州王朝副都説を考古学の視点を中心に解説した論文で、数回に分けて掲載予定です。仕事の都合で出張が多く、なかなかまとまった調査や執筆時間が取りにくいこともあって、分割して執筆するつもりです。明日からも1週間ほど中国出張です(上海や河北省を訪問予定)。
 拙稿の他、今号は力作ぞろいです。ページ数の関係から次号回しになった原稿も少なからずありますが、古田説と異なる新説を発表される場合は、古田説よりも自説が何故優れているかの説明もお願いします。会報読者は基本的に古田説をご存じの方々ですから、この点の説明は新説発表者の義務でもあり、採否の判断基準の一つにもなります。また、その方が読者にも親切です。
 なお、念のため付け加えれば、古田説と異なっていることや批判していることが理由で不採用になることはありません。あくまでも、論証成立の正否と学問の方法論(史料根拠の明示とそれに基づいての立論など)が採否の基準となります。投稿者が新人の場合は、なるべく採用したいと考えていますので、ふるってご 投稿下さい。

『古田史学会報』102号の内容
○年頭の御挨拶  代表 水野孝夫
○ホームページ『新古代学の扉』文字化けについて  インターネット担当 横田幸男
○前期難波宮の考古学(1)ーーここに九州王朝の副都ありき  京都市 古賀達也
○短里によって史料批判を行う場合の問題点などについて  福岡市 棟上寅七
○白村江の会戦の年代の違いを検討する  中国山東省曲阜市 青木英利
○「斉明」の虚構  川西市 正木 裕
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集


第296話 2010/12/11

2011年 新年賀詞交換会を開催します

この度発行しました『古田史学会報』101号でもご案内を同封しましたが、来年1月8日に恒例の古田史学の会新年賀詞交換会を大阪で開催します。

日時 2011年1月8日(土) 午後1時30分〜4時30分
会場 大阪市立総合生涯学習センター 大阪駅前第2ビル5階第1研修室
主催 古田史学の会
参加費 1000円
※終了後に懇親会(有料)もあります。

地域の会や遠隔地からご参加の会員の御挨拶などを受けた後、古田先生にもご出席いただきま すので、最新の研究などについてお聞かせいただける予定です。皆さまのご参加をお待ちしております。『古田史学会報』101号の内容は次の通りです。 100号に続いて古田先生からご寄稿いただけました。

『古田史学会報』101号の内容
○九州王朝終末期の史料批判ーー白鳳年号をめぐって 古田武彦
○「漢代の音韻」と「日本漢音」
ーー内倉武久氏「漢音と呉音」の誤謬と誤断  京都市 古賀達也
○「東国国司詔」の真実  川西市 正木 裕
○「磐井の乱」を考える
ーー『日本書紀』記事と『筑後国風土記』の新解釈 姫路市 野田利郎
○星の子II **古田武彦著『古代は輝いていた』より** 深津栄美
○伊倉 十四 ーー天子宮は誰を祀るか 武雄市 古川清久
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○新年賀詞交換会のご案内


第287話 2010/10/19

『古田史学会報』100号の紹介

記念すべき『古田史学会報』100号が発行されました。古田先生からの記念のご寄稿もいただきました。ページ数も通常の16頁から24頁となり、編集担当の西村さんのご苦労が偲ばれました。
もちろん、内容も充実しています。中でも6月に開催した「禅譲・放伐」シンポジウムの内容を大変要領よくまとめられた大下さんの報告は見事な内容です。 同じく発表の要旨を寄稿された正木稿も好論文です。なお、同シンポジウムのテープ起こしを『古代に真実を求めて』14集に掲載予定です。来春発行されます のでご期待下さい。
『古田史学会報』100号の内容
○忘れ去られた真実ーー100号記念に寄せて  古田武彦
○禅譲・放伐論争シンポジウム・要旨  豊中市 大下隆司
○地名研究と古田史学  京都市 古賀達也
○古代の大動脈・太宰府道を歩く  神戸市 岩永芳明
○「禅譲・放伐」論稿  川西市 正木 裕
○長屋王のタタリ  奈良市 水野孝夫
○越智国に在った「紫宸殿」地名の考察  松山市 合田洋一
○漢音と呉音  富田林市 内倉武久
○新羅本紀「阿麻来服」と倭皇天智帝  大阪市 西井健一郎
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内


第276話 2010/08/14

『古田史学会報』99号の紹介

 『古田史学会報』99号が発行されました。中でも正木さんの「公地公民」と「昔在の天皇」は6月に開催された「禅譲・放伐」シンポジウムでの発表をまとめらたもので、『日本書紀』大化改新詔の「皇太子奏請」が九州年号の大化期(696年)に九州王朝から出されたもので、九州王朝から近畿天皇家への権力交代に関するものとする秀逸な論文です。  
 今後、九州王朝から近畿天皇家への権力交代や大化改新詔の研究に於いて、避けて通れない重要論文となるでしょう。近年矢継ぎ早に発表される正木さんの研究成果は流石と言うほかありません。
 次号は記念すべき100号です。会員の皆さんの投稿をお待ちしています。
 『古田史学会報』99号の内容
○九州王朝から近畿天皇家へ 「公地公民」と「昔在の天皇」 川西市 正木 裕
○−記紀、私の楽しみ方− 隠されていた和珥氏伝承  大阪市 西井健一郎
○「天の原」はあった(その二) —古歌謡に見る九州王朝— 東京都世田谷区 西脇幸雄
○星の子−古田武彦著「古代は輝いていた」より− 深津栄美
○伊倉13 −天子宮は誰を祀るか− 武雄市 古川清久
○古田史学の会 第16回会員総会の報告
○古田史学の会 2009年度会計報告 2010年度予算
○割付担当の穴埋めヨタ話(4) 少童考 向日市 西村秀己
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会 関西例会のご案内


第265話 2010/06/05

『古田史学会報』98号の紹介

 『古田史学会報』98号ができあがりました。今号では今井久さんから、越智国(愛媛県西条市)に紫宸殿という字地名があることが報告されました。福岡八幡
神社の「白雉二年」奉納面といい、今回の紫宸殿地名といい、越智国がただならぬ地であったこと明かとなってきたようです。来る7月3日はわたしも当地を訪
問し、講演を行います(古田史学の会・四国主催)。テーマはもちろん古代越智国と九州王朝との関係、そして難波との関係です。皆さんのご参加をお待ちして
います。

 『古田史学会報』98号の内容
○禅譲・放伐   豊中市 木村賢司
○九州王朝の難波天王寺  京都市 古賀達也
○越智国に紫宸(震)殿が存在した! 西条市 今井 久
○「天の原」はあった —古歌謡に見る九州王朝—  東京都世田谷区 西脇幸雄
○「三笠山」新考 和歌に見える九州王朝の残映  京都市 古賀達也
○能楽に残された九州王朝の舞楽  川西市 正木 裕
○割付担当の穴埋めヨタ話3  一寸法師とヤマト朝廷
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内


第251話 2010/03/28

『古田史学会報』97号の紹介

 『古田史学会報』97号の編集が完了しました。今号には正木さんによる九州年号「端政」の意味と出典に関する貴重な発見が報告されています。その正木説を受けて、わたしも「法隆寺の菩薩天子」を執筆できました。
 会員以外では、東北大学名誉教授の吉原賢二さんから「東日流外三郡誌」真作説に立った玉稿をいただきました。著名な化学者でもある吉原さんによる
自然科学の立場からの優れた論文です。和田家文書真偽論争へ新たな一石を投じられたものといえます。

 『古田史学会報』97号の内容
○九州年号「端政」と多利思北孤の事績 川西市 正木 裕
○天孫降臨の「笠沙」の所在地ーー「笠沙」は志摩郡「今宿」である 姫路市 野田利郎
○法隆寺の菩薩天子 京都市 古賀達也
○東日流外三郡誌の科学史的記述についての考察 いわき市 吉原賢二(東北大学名誉教授)
○纒向遺跡 第一六六次調査について 生駒市 伊東義彰
○「葦牙彦舅は彦島(下関市)の初現神」 大阪市 西井健一郎
○史跡めぐりハイキング
○関西例会のご案内
○2010年度会費納入のお願い


第244話 2010/02/07

『古田史学会報』96号の紹介

 『古田史学会報』96号が発行されました。今号には正木さんと西村さんの秀逸な論文が掲載されています。どちらにも九州王朝史研究にとって貴重な方法論と仮説が提示されています。
 九州年号と『日本書紀』中の遷都遷宮記事との関連性を情況証拠と作業仮説の積み上げで肉薄を試みられた正木稿。7世紀後半の筑紫率である栗隈王は九州王朝の王族であるから、その孫の橘諸兄も九州王朝の王族で、九州王朝滅亡後に大和朝廷の左大臣まで上り詰めたとの骨太な論証を展開された西村稿。双方ともと
ても重要な研究と方法論と思われました。この方法論を更に援用展開することにより、失われた九州王朝の歴史が復原作業が進むものと期待されます。
 なお、最近『古田史学会報』への投稿が少なく、編集割付作業に苦労しています。投稿や地域の情報提供など、よろしくお願いいたします。

  『古田史学会報』96号の内容
○九州年号の改元について(後編) 川西市 正木裕
○橘諸兄考 —九州王朝臣下たちの行方— 向日市 西村秀己
○第六回古代史セミナー〜古田武彦先生を囲んで〜
  日本古代史新考自由自在(その二) 霧島市 松本郁子
○古賀達也の洛中洛外日記より転載
  纏向遺跡は卑弥呼の宮殿ではない 京都市 古賀達也
○「人文カガク」と科学の間「科学の本質は自己修正的である事だ」カールセーガン
 「古田史学を語る会・奈良」太田齊二郎
○梔子(3) **古田武彦『古代は輝いていた』より** 深津栄美
○伊倉 十二 —天子宮は誰を祀るか—  武雄市 古川清久
○史跡めぐりハイキング古田史学の会・関西
○年頭のご挨拶 代表 水野孝夫
○古田史学の会関西例会のご案内
○割付担当の穴埋めヨタ話(2) 綱敷天神の謎 西村秀己


第239話 2009/12/21

纏向遺跡は

卑弥呼の宮殿ではない(3)

 238話では、漢字文明の痕跡の有無という視点から、纏向遺跡が「邪馬台国」では有り得ないことを説明しましたが、こうした考古学的事実との一致・不一
致という視点からすれば、他にも重要なテーマがあります。それは、弥生時代における二大青銅器文明というテーマです。

 弥生時代の日本列島には、北部九州等を中心とする「銅矛・銅戈」等の武器型青銅器文明圏と近畿等を中心とする「銅鐸」文明圏の二大青銅器文明圏が存在し
ていたこと著名です。従って、「邪馬台国」を中心とする弥生時代の倭国がこのいずれかの文明圏に属していたことは当然です。そして「邪馬台国」はそのいず
れかの中枢領域に位置していたことも当然でしょう。
 そこで問題となるのが、倭国はどちらの文明圏に属していたかということですが、その答えははっきりしています。魏志倭人伝中に記された倭国内の国々の所
在地で、殆どの論者で異議のない国がいくつかあります。たとえば対海国(対馬)、一大国(壱岐)、伊都国(糸島半島)、奴国(福岡県北部)などです。そし
てこの所在地が明確な国はいずれも銅矛・銅戈文明圏に属しています。従って、弥生時代の倭国は銅矛・銅戈文明圏の国なのです。
 ところが、纏向遺跡のある奈良県は銅鐸文明圏に属しています。この一点を見ても、纏向遺跡が「邪馬台国」ではなく、倭国の中枢領域でもないことは明々白
々な考古学的事実なのです。更に言うなら、纏向遺跡は銅鐸圏の中枢領域でさえありません。このような地域が「邪馬台国」であるはずがないのです。一体、
「邪馬台国」畿内説に立つ考古学者達は、本当にこうした考古学的事実が見えているのでしょうか。
 このように「銅鐸」の視点から、「倭人伝に銅鐸が記述されていない」と指摘されたのは古田先生です。『古田史学会報』95号においても「時の止まった歴史学−岩波書店に告ぐ」という論文で、この問題を取り上げられていますので、ご一読下さい。

〔『古田史学会報』95号の掲載論文・記事〕
○時の止まった歴史学—岩波書店に告ぐ— 古田武彦
○九州年号の改元について(前編) 川西市 正木 裕
○四人の倭建  大阪市 西井健一郎
○梔子2 深津栄美
○エクアドル「文化の家博物館」館報 豊中市 大下隆司
○伊倉11 —天子宮は誰を祀るか— 武雄市 古川清久
○関西例会のご案内
○史跡めぐりハイキング