古田史学の会一覧

第324話 2011/07/2

『古田史学会報』104号の紹介

 少し遅くなりましたが、6月5日発行の『古田史学会報』104号を御紹介します。今号の冒頭論文は正木さんの別系統九州年号「法興・聖徳・始哭」についての考察です。法興と聖徳は多利思北孤と利歌弥多弗利の法号とし、始哭は玉垂命の葬儀に関する記事の一部であり、九州年号ではないとするものです。一つの有力な理解と思われました。  
 西村稿と古賀稿は紙上論争です。こうした論争により、古田学派内の研究活動や会員の学問的興味が刺激されることが期待されます。  
 古谷稿は古谷さんの博学な知識に基づくもので、三角縁神獣鏡銘文の研究に寄与することが期待されます。
 野田稿は関西例会でも発表されたもので、活発な質疑応答が展開されたテーマです。古田説とやや異なる内容でもあり、今後の展開が注目されます。

『古田史学会報』104号の内容
○九州年号の別系列(法興・聖徳・始哭)について  川西市 正木 裕
○乙巳の変は動かせる — 斎藤里喜代さんにお応えする  向日市 西村秀己
○三角縁神獣鏡銘文における「母人」「位至三公」について  枚方市 古谷弘美
○銀装方頭太刀について(小松町南川大日裏山古墳出土)  西条市 今井久
○再び内倉氏の誤論誤断を質す — 中国古代音韻の理解について  京都市 古賀達也
○「帯方郡」の所在地 −倭人伝の記述する「帯方」の探究−  姫路市 野田利郎
○卑弥呼の時代と税について  中国山東省曲阜市 青木英利
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○古田史学の会会員総会・記念講演会のお知らせ
○『古代に真実を求めて』第14集・正誤表


第322話 2011/06/11

6月19日、記念講演会のご案内 済み

来る6月19日(日)に古田史学の会会員総会を開催します。総会に先だって、午後1時(開場)から恒例の記念講演会も開催します。今回の講演は次のお二人です。
石田敬一さん(古田史学の会会員) 演題「倭人伝の戸と家について」
正木 裕さん(古田史学の会会員) 演題「盗まれた九州」
記念講演会は、毎年その一年に優れた研究発表をされた古田学派の研究者を招聘して行われますが、今回は「古田史学の会・東海」の研究者石田さんと「古田史学の会・関西」の論客正木さんにお願いしました。
石田さんは「東海の古代」(古田史学の会・東海の機関紙)で好論を数多く発表されていますが、関西での発表は初めてです。学問の方法や原則を強く意識さ れて自説を展開し、他者への批判でもこうした視点をしっかりと持たれており、わたしも以前から注目してきた研究者のお一人です。今回の発表テーマは倭人伝 における「戸」と「家」についてで、古田説を更に展開・深化させるかもしれないと期待されています。
正木さんは皆さんご存じの通り、九州年号に基づいた『日本書紀』史料批判の展開を中心とする、その圧倒的な研究は質量とも素晴らしい内容と言わざるを得 ません。限られた現存史料という制約の中、危険な論理の領域にも踏み込まれており、これからの展開が益々楽しみな研究者です。今回はこれまで発表された九 州年号研究と『日本書紀』史料批判による九州王朝の実像解明をまとめて発表していただく予定です。
古田史学を愛する多くの皆さんの参加を呼びかけます。なお、会場は大阪市北区中之島にある「大阪府立大学中之島サテライト」(大阪府立中之島図書館別館 2階ホール)です。本会総会では初めて使用する会場ですので、お間違えないように。午前中は関西例会を開催していますので、こちらへも是非。

第319話 2011/05/22

九州王朝鎮魂の寺

 昨日の関西例会では、西村さんから研究発表するようにと常々言われ続けていたこともあり、久しぶりに発表しました。 数日前に発見したテーマで、法隆寺が大和朝廷による九州王朝鎮魂の寺であったとする仮説です。7月2日の古田史学の会・四国の例会でも発表予定です。その 後に論文にしようと思っています。
 小林さんからは大歳神社についての岩永芳明稿が紹介され、その分布が播磨に集中していることなどが指摘されました。以前、わたしが研究した「八十神」の分布と重なっているようなので興味深く聞きました。
 竹村さん発表の「大聖勝軍寺の聖徳太子弑逆伝承」は初めて聞く伝承なので驚きました。今後の調査が期待されます。
 例会の発表は次の通りでした。
 
〔古田史学の会・5月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). Basic & New (豊中市・木村賢司)
2). 乙巳の変は動かせる(2) (向日市・西村秀己)
3). 『三国志』の第一読者が理解したこと −古賀達也氏への返答−(姫路市 野田利郎)
4). 倭人伝の国々 −「邪馬一国」の内部に所在する小国について−(姫路市 野田利郎)
5). 隅田八幡神社人物画像鏡の銘文(補足) (京都市・岡下英男)
6). 九州王朝鎮魂の寺 −「天平八年二月二二日法会」の真実− (京都市・古賀達也)
7). 大歳神社について(岩永芳明稿の紹介) (神戸市・小林嘉朗)
8). 宣化紀の松浦佐用姫(木津川市・竹村順弘)
9). 天智の中元年号(木津川市・竹村順弘)
10).大聖勝軍寺の聖徳太子弑逆伝承(木津川市・竹村順弘)
11).弥努王の爵位(木津川市・竹村順弘)
○2010年度関西例会会計報告(豊中市・大下隆司)
○水野代表報告(代理報告:西村秀己)
   古田氏近況・会務報告・『諸寺縁起集』の金剛山・天狗は猿田彦・他(奈良市・水野孝夫)

第317話 2011/05/03

『集韻』

今日は久しぶりに岡崎にある京都府立図書館に自転車で行って来ました。拙宅から10分ぐらいのところですから、大変便利です。ただ残念なことに黄砂が多く て、東山が霞んでしまい、本来なら美しいはずの新緑の景色が見られませんでした。余談ですが、もし今回のような原発事故が中国で発生したら、放射能汚染した黄砂に日本列島が包まれるのかと思い、ちょっとぞっとしました。近隣諸国が福島原発事故を脅威に感じているのも、今日の黄砂を見て、なるほどと思いまし た。
府立図書館に行った目的は二つ。一つは『古代に真実を求めて』14集を寄贈すること。もう一つは、中国語の音韻書『集韻』を調査することでした。現在、 倭人伝の固有名詞(国名・人名)の研究のため、古代中国語音韻の勉強をしていますが、その必要性から『集韻』を調べに行ったのです。幸い、府立図書館には 『集韻』の表音表記(「反切」と呼ばれる)のみを抜粋整理した『集韻切韻譜』(佐々木猛編)がありましたので、短時間で調べることができました。
わが国へは様々な文物が中国から渡来してきましたが、その中でも特筆して感謝すべきものが「漢字」だったのではないかと思っています。日本の文化はこの漢字を受け入れ、独自の発展進化(仮名)も行い、新たな日本文化を築き上げてきました。そうした意味からも、イデオロギーや国家間の利害とは別に真実の学 問交流(多元史観による)を行いたいものです。

 


第316話 2011/05/01

「越智国」論、合田さん熱弁

 4月16日の関西例会では、ゲスト発表者として松山市の合田洋一さん(古田史学の会全国世話人)をお招きして、「越智国の実像」というテーマで発表していただきました。「紫宸殿」地名や熟田津などの存在で、近年注目を集めている越智国についての研究成果をまとめて発表していただいたのですが、詳細な地図や豊富な資料も準備され、当地の土地鑑のない人にも大変わかりやすい報告でした。関西例会ではこれからも関西以外の地域の論客を招いて研究発表していただ くという企画を行いたいと考えています。
 当日の発表内容は次の通りでした。また、大下さんの発議により、東日本大地震被災地の会員に古田先生の新著を送るためのカンパも行われました。ご協力いただき、有り難うございました。
 
〔古田史学の会・4月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 「あと・さき」(てれこ)(豊中市・木村賢司)
2). 倭人伝の日数記事を読む–邪馬一国と投馬国の解明(姫路市 野田利郎)
3). 「始哭」年号について(川西市・正木裕)
4). 倭王と仏教伝来(木津川市・竹村順弘)
5). 清賀上人の来倭布教とその時代背景(木津川市・竹村順弘)
6). 前期難波宮=九州王朝副都説についての疑問(3)(豊中市・大下隆司)
7). 越智国の実像(松山市・合田洋一)
○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・会報103号斎藤稿への反論・他(奈良市・水野孝夫)

第314話 2011/04/24

『古田史学会報』

103号の紹介

『古田史学会報』103号が発行されました。被災地の会員にも無事届きますよう、本会総務の大下さんがご尽力されています。
今号には新年賀詞交換会での古田先生の講演要約が掲載されています。大下さんがテープ起こしの労をとられました。最新の古田先生の研究の様子がうかがえる内容となっています。
古谷さんは会報初寄稿です。古代中国都市が短里で記されていた痕跡を紹介されています。氏の文献渉猟の成果です。正木さんは九州王朝の飛鳥宮に関する考 察で、九州王朝史復原の一つの方法論としても注目されます。小金井市の斎藤さんからは、近年「流行」している、『日本書紀』大化改新や乙巳の変を50年移 動させ、九州年号大化期の事件とする見解に対して、一石を投じる論文が寄せられました。今後の展開が期待されます。
こうした好論を掲載した『古田史学会報』が、被災地の古田ファンに少しでも喜んでいただけるものになれば幸いです。
『古田史学会報』103号の内容
○新年賀詞交換会「古田武彦講演」(要約) (文責 大下隆司)
○「筑紫なる飛鳥宮」を探る  川西市 正木 裕
○「逸周書」による都市洛邑の規模  枚方市 古谷弘美
○魏志倭人伝の読みに関する「古賀反論」について  富田林市 内倉武久
○入鹿殺しの乙巳の変は動かせない  小金井市 斎藤里喜代
○前期難波宮の考古学(2)–ここに九州王朝の副都ありき  京都市 古賀達也
○大地震のお見舞い  代表 水野孝夫
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○2011年度会費納入のお願い

第312話 2011/04/03

『古代に真実を求めて』

14集発刊

古田史学の会の論集『古代に真実を求めて』第14集が明石書店より発刊されました。古田史学の会の2010年度賛助会員には一冊発送いた します。一般書店でもお取り寄せ、お求めできます。定価2400円+税です(255頁)。14集には古田先生の講演録2編の他、禅譲・放伐論争シンポジウ ムと会員による7論文が収録されています。
14集の特徴は、古田先生の講演録2編を収録したことにより、著作執筆のため講演を減らされている古田先生の最新の研究成果 に触れることができることと、 関西例会で最もホットなテーマの一つである、九州王朝から大和朝廷への権力交代が禅譲だったのか放伐だったのかというシンポジウムの内容を収録したことで す。これにより、関西例会での研究内容やその雰囲気が読者に伝わることと思います。
研究論文では、愛媛県西条市の今井久さんが発見された「紫宸殿」地名に関する報告2編(今井稿、合田稿)が、多元史観に相応しいものといえるでしょう。正木さんからは近年の圧倒的な研究成果の一端が報告され、貴重です。
是非、お買い求め下さい。同時に、15集に向けてご寄稿もお願いいたします。

『古代に真実を求めて』第14集目次
○巻頭言   水野孝夫
○特別掲載  
   『古事記』と『魏志倭人伝』の史料批判     古田武彦講演録
    神籠石の史料批判−古代山城論     古田武彦講演録
    禅譲・放伐論争シンポジウム         司会 不二井伸平
                          パネリスト 西村秀己
                                  正木 裕
                                水野孝夫
                                古賀達也
○研究論文
    北部九州地方の水稲稲作と遠賀川式土器 佐々木広堂
    ーー水稲稲作はロシア沿岸州から伝わった
   越智国に紫宸(震)殿が存在した           今井 久
  越智国にあった「紫宸殿」地名の考察      合田洋一
  橘諸兄考 ーー九州王朝臣下たちの行方 西村秀己
  不破道を塞げ 四                       秀島哲雄
   ーー高良山神籠石の美濃師三千人、基肄城への不破道を塞ぐ
   移された「大化の改新」                   正木 裕
  「笠沙」は志摩郡「今宿」である              野田利郎
   ーー天孫降臨説話の解明

 

2011.4.25

『古代に真実を求めて』第十四集・正誤表


第308話 2011/03/20

東日本大震災

 この度の大地震・大津波でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。テレビなどを通じて知らされるこの災害の悲惨さに、語るべき言葉もありません。また、古田史学の会の東北地方在住会員の皆さまの御無事をお祈りするばかりです。
 古田史学の会全国世話人で仙台市の佐々木広堂さんとはようやく連絡がとれ、御無事であることを確認できましたが、同じく南相馬市の青田勝彦さんとは未だ連絡がとれません。とても心配しています。
 同日開催しました古田史学の会役員会では、被災地域である岩手県・宮城県・福島県の三県在住会員の2011年度会費を免除することを決定いたしました。既に御支払い済みの場合は2012年度会費として取り扱うこととします。
 昨日の関西例会では亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、参加者全員で黙祷を捧げました。発表内容は次の通りでした。

〔古田史学の会・3月度関西例会の内容〕
○研究発表
(1) 国難 (豊中市・木村賢司)
(2) 白鳥さんと水主神社 (豊中市・木村賢司)
(3) 辟易 (豊中市・木村賢司)
(4) 古代史「道楽三昧」No,4の作成 (豊中市・木村賢司)
(5) 前期難波宮の九州王朝副都説についての疑問 (豊中市・大下隆司)
(6) 「邪馬壹国」は「女王国」ではない
ーー魏志倭人伝「不弥国」の新解釈 (姫路市 野田利郎)
(7) PC検索とDB活用 (木津川市・竹村順弘)
(8) 恵総と慧慈 (川西市・正木裕)
○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・白鳳朱雀年号の研究史・他(奈良市・水野孝夫)


第307話 2011/03/05

中国語の音韻

 昨日、中国から帰国しました。今回の出張は上海を拠点に、江蘇省張家港と宿遷、河北省石家荘、そして山東省斉南などを訪問。中国国内を車と飛行機で何時間もかけて移動するというハードな出張でした。
 中国に出張するようになって10年以上になりますが、その経済発展のスピードには目をみはるものがあります。行くたびに高速道路網は伸びていますし、何よりも食事がおいしくなり、女性は益々きれいになっています。冗談ではなく。
 同行していただいたのは有名な商社Mの王さんと金さん(女性)で、上海出身の王さんは北京語と上海語と日本語(やや関西弁)、朝鮮族出身の金さんは北京語と韓国語と日本語が堪能なエリート商社員です。そのため、商談では様々な言語が飛び交っていました。それにしても中国人の語学力にはいつも驚かされます。 地方都市のホテルマン(ただし高級ホテル)でも、英語と日本語の両方を話せる中国人は少なくありません。
 仕事の合間をぬって、王さんに北京語と上海語の違い、河北省語と北京語の差などについてしつこく質問し、いろいろと教えてもらいました。というのも、現在、『古田史学会報』上で内倉武久さん(本会会員。『太宰府は日本の首都だった』という好著の著者)と、倭人伝の地名などの音韻について論争中ですので、 現代中国語音韻の地域差についても知っておきたかったからです。
 そんなわけで、古代中国語音韻の先行研究を調べているのですが、大下さん(本会全国世話人・総務)から、松中祐二さん(本会会員)の「倭人伝の漢字音 −− 卑弥呼=姫王の証明」(『越境としての古代7』所収)が優れていると紹介していただきました。確かに、魏晋朝音韻研究の先行説など、わたしより深 く広く調査紹介されている好論文でした。松中さんともお会いして、御教示を賜りたいと願っています。
 それにしても、しばらくは中華料理は食べたくない、日本語以外の言葉も聞きたくないというほどの、ハードな出張ではありました。

 


第306話 2011/02/27

『古田史学会報』102号の紹介

 2月5日発行の『古田史学会報』102号の掲載原稿は下記の通りですが、拙稿「前期難波宮の 考古学(1)ーーここに九州王朝の副都ありき」も掲載させていただきました。前期難波宮九州王朝副都説を考古学の視点を中心に解説した論文で、数回に分けて掲載予定です。仕事の都合で出張が多く、なかなかまとまった調査や執筆時間が取りにくいこともあって、分割して執筆するつもりです。明日からも1週間ほど中国出張です(上海や河北省を訪問予定)。
 拙稿の他、今号は力作ぞろいです。ページ数の関係から次号回しになった原稿も少なからずありますが、古田説と異なる新説を発表される場合は、古田説よりも自説が何故優れているかの説明もお願いします。会報読者は基本的に古田説をご存じの方々ですから、この点の説明は新説発表者の義務でもあり、採否の判断基準の一つにもなります。また、その方が読者にも親切です。
 なお、念のため付け加えれば、古田説と異なっていることや批判していることが理由で不採用になることはありません。あくまでも、論証成立の正否と学問の方法論(史料根拠の明示とそれに基づいての立論など)が採否の基準となります。投稿者が新人の場合は、なるべく採用したいと考えていますので、ふるってご 投稿下さい。

『古田史学会報』102号の内容
○年頭の御挨拶  代表 水野孝夫
○ホームページ『新古代学の扉』文字化けについて  インターネット担当 横田幸男
○前期難波宮の考古学(1)ーーここに九州王朝の副都ありき  京都市 古賀達也
○短里によって史料批判を行う場合の問題点などについて  福岡市 棟上寅七
○白村江の会戦の年代の違いを検討する  中国山東省曲阜市 青木英利
○「斉明」の虚構  川西市 正木 裕
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会  関西例会のご案内
○『古田史学会報』原稿募集


第305話 2011/02/26

法興と聖徳

 2月19日の関西例会では、竹村さんが6件という驚異的な数の発表をされました。百済など古代朝鮮に関する研究が中心で、わたしにとっては不勉強な分野ですので初めて知ることも多く、参考になりました。竹村さんを中心として、最近の関西例会はちょっとした韓流ブームです。
 正木さんからは、『二中歴』に見えない九州年号「法興」「聖徳」についての新仮説の発表で、触発されました。この二年号を多利思北孤と利歌弥多弗利の 「法名」「法号」ではないかという仮説です。また、多利思北孤と煬帝の出家が同年ではなかったかとの指摘もあり、こちらも興味深いテーマです。会報での発表が待たれます。
 2月例会の発表は次の通りでした。

〔古田史学の会・2月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 宇佐八幡妄想 (豊中市・木村賢司)
2). P.Fドラッカーと森嶋通夫 (豊中市・木村賢司)
3). 歴史を学んでどう生きる (豊中市・木村賢司)
4). 遊・学同源 (豊中市・木村賢司)
5). 平成の鎖国 (豊中市・木村賢司)
6). 応神紀弓月君と佛流百済 (木津川市・竹村順弘)
7). 南史と北史の温度差 (木津川市・竹村順弘)
8). 雄略紀の百済滅亡記事 (木津川市・竹村順弘)
9). 華北の穢貊人観と江南の倭人観 (木津川市・竹村順弘)
10).百済の馬韓制圧と神功紀 (木津川市・竹村順弘)
11).世子の倭王興 (木津川市・竹村順弘)
12).隅田八幡神社人物画像鏡の銘文  (京都市・岡下英男)

13). 法興・聖徳年号とは何か(試案) (川西市・正木裕)
 釈迦三尊の光背銘や伊予温湯碑に見える「法興」は、法王たる多利思北孤の「法号・法名」であり、彼が法号を授かった五九一年時を元年とする。 聖徳は、同様に多利思北孤の太子「利」の法号である。従って九州王朝の年号というより、多利思北孤と利の個人の「仏教上の年期」を示すものである事を、隋や倭国における法号授与の経緯、法興に「元」が付される事、法皇・菩薩天子は「法号」を持たねばならない事等を根拠として示した。

14). 「橿と檍」、そしてイザナギと神武帝(大阪市・西井健一郎)

○水野代表報告
    古田氏近況・会務報告・行基と道照と智通・他(奈良市・水野孝夫)


第300話 2011/01/16

両京制への展望

 昨日の関西例会では、わたしの前期難波宮九州王朝副都説の検証が行われました。事前に大下さんに多岐に渡る質問項目をレジュメとして用意していただいたので、有意義な質疑応答が繰り返されました。
 わたしも事前に自説を改めて見直したのですが、前期難波宮は副都に留まらず、難波京ともいうべき規模であることから、九州王朝は7世紀後半に倭京(太宰府)と難波京の「両京制」を採用していたのではないかと考えるようになりました。というのも、昨年、難波に条坊制の痕跡が確認されたことにより、その条坊区割り尺度から前期難波宮の造営と同時に条坊制の京域設計がなされたと考えられるに至ったからです。この点、『古田史学会報』に連載予定の拙稿「前期難波宮の考古学」にて詳細に説明したいと考えています。
 この他、例会では竹村さんによる『先代旧事本紀』の研究報告や、水野代表による東大寺「お水取り」長屋王鎮魂法要説は興味深いものでした。このように、新年最初の関西例会に相応しい発表や質疑応答があり、2011年も新発見続出の予感がしています。
1月例会の発表は次の通りでした。

〔古田史学の会・1月度関西例会の内容〕
○研究発表
(1) 米国防長官 (豊中市・木村賢司)
(2) 天子(帝)になれる条件 (豊中市・木村賢司)
(3) 陳寿の音韻 (豊中市・木村賢司)
(4) 「糊塗」 (豊中市・木村賢司)
(5) 出産の測定は曜日でする (豊中市・木村賢司)
(6) 倭人伝の「距離」と「旅行記」
ーー倭人伝に残された謎(1)の補足(姫路市・野田利郎)
(7) 其の北岸 ーー倭人伝に残された謎(2) (姫路市・野田利郎)
(8)先代旧事本紀「推古27年条」 (木津川市・竹村順弘)
(9) 唐の倭国駐留軍 (木津川市・竹村順弘)

(10)「飛鳥」は「筑紫小郡」か  (川西市・正木裕)
ーー書紀の編纂者は「飛鳥浄御原宮」の命名根拠を知らなかった

『書紀』では天武が六七二年飛鳥浄御原宮を造り即位したと記す一方、六八六年に朱鳥改元に因んで飛鳥浄御原宮と名づけたとする。この二つの記事の合理的解釈として、
1).飛鳥浄御原宮は九州王朝の宮で「飛鳥の明日香」と呼ばれた筑紫小郡にあった。
2).天武は壬申乱後この宮で即位した。
3).薩夜麻はここで育ち、その地名(山川・野の名)をとり幼名明日香皇子と名づけられた。
4).しかし、近畿天皇家が政権を奪取した九州年号大化期に明日香(飛鳥)は大和の地名とされ、筑紫明日香は阿志岐に変えられた。
5).『書紀』編者は「飛鳥浄御原宮」を近畿天皇家・天武の宮とする必要があったが、筑紫の現地地名に因む宮の名の由来を知らなかった為、「朱鳥改元」を根拠にせざるを得なかった。

以上を「大化改新詔」「古事記序文」「万葉歌」ほかを根拠に示した。

(11)前期難波宮九州王朝副都説の検証 (京都市・古賀達也)

○水野代表報告
古田氏近況・会務報告・東大寺「お水取り」は長屋王鎮魂法要・他(奈良市・水野孝夫)