「御野国戸籍」の親子間年齢差
大寶二年(702年)「御野国戸籍」には、高齢者(70歳以上)の多さ以外にも不自然な史料事実があります。それは戸主と嫡子・次子らとの年齢格差が異常に大きいことです。この傾向は、戸主が高齢であるほど顕著に表れ、高齢者が多いという御野国戸籍の特徴とも密接に関連しています。この史料事実の異常さは従来から指摘されてきました。たとえば、南部昇『日本古代戸籍の研究』(注①)には次の指摘があります。
「『大日本古文書』に記載されている八世紀前半の戸籍を検討してゆくと、第60図に例示した型の戸がかなり多いことがわかる。これらの戸は戸主の余命幾許もないのにその嫡子はいまだ幼少である、という型の戸であるが、ここに揚げた例の外に、戸主と嫡子の年齢差が三十歳以上、四十歳以上と開いている戸は非常に多い。」同書315頁
南部氏が非常に多いと指摘したこの傾向は、戸主以外の「寄人」家族(注②)にも見られ、たとえば「御野国加毛郡半布里戸籍」の「縣主族比都自」戸に次の「寄人 縣主族 都野」家族の記載があります。
「寄人 縣主族 都野」(44歳、兵士)
「嫡子 川内」(3歳)
「都野甥 守部 稲麻呂」(5歳)
「都野母 若帯部 母里賣」(93歳)※「大宝二年籍」中の最高齢者。
「母里賣孫 縣主族 部屋賣」(16歳)
これを親子順に並べると、次の通りです。
(母)「若帯部 母里賣」(93歳)―(子)「都野」(44歳)―(孫)「川内」(3歳)
―(子)「(不記載)」―(孫)「稲麻呂」(5歳)
―(子)「(不記載)」―(孫)「部屋賣」(16歳)
この母と子と孫の年齢差は49歳と41歳であり、異常に離れています。特に都野は母里賣49歳のときの子供となり、女性の出産年齢としては考えにくい超高齢出産です。古代ではなおさらです。また、二代続けて年齢差が異常に離れていることも不可解です。
次に、「戸主と嫡子の年齢差が三十歳以上、四十歳以上と開いている」例として、「御野国加毛郡半布里戸籍」(注③)の特に顕著な戸の親子関係を紹介します。
(Ⅰ)「中政戸務從七位下縣主族都野」戸
「下〃戸主 都野」(59歳)
「戸主妻 阿刀部 井手賣」(52歳)
―「嫡子 麻呂」(18歳)※41歳差
―「次 古麻呂」(16歳)※43歳差
―「次 百嶋」(1歳)※58歳差
―「児 刀自賣」(29歳)※30歳差
―「刀自賣児 敢臣族 岸臣眞嶋賣」(10歳)
―「次 爾波賣」(5歳)
―「次 大墨賣」(18歳)※41歳差
「妾 秦人 意比止賣」(47歳)
―「児 古賣」(12歳)※47歳差
「戸主姑 麻部 細目賣」(82歳)
〔解説〕戸主「都野」(59歳)の嫡子「麻呂」(18歳)との年齢差は41歳。末子の「百嶋」(1歳)との年齢差は58歳で、戸主の妻「井手賣」(52歳)が51歳のときの超高齢出産となる。
(Ⅱ)「中政戸守部加佐布」戸
「下〃戸主 加佐布」(63歳)
「戸主妻 物マ 志祢賣」(47歳)
―「嫡子 小玉」(19歳)※44歳差
―「次 身津」(16歳)※47歳差
―「次 小身」(10歳)※53歳差
「戸主弟 阿手」(47歳)
「阿手妻 工マ 嶋賣」(42歳)
―「児 玉賣」(20歳)※阿手と27歳差
―「次 小玉賣」(18歳)※阿手と29歳差
―「次 大津賣」(15歳)※阿手と32歳差
―「次 小古賣」(8歳)※阿手と39歳差
―「次 依賣」(2歳)※阿手と45歳差
「戸主弟 古閇」(42歳)
―「古閇児 廣津賣」(3歳)※古閇と39歳差
〔解説〕戸主「加佐布」(63歳)の嫡子「小玉」(19歳)との年齢差は44歳。末子「小身」(10歳)とは53歳差。
(Ⅲ)「中政戸秦人山」戸
「下〃戸主 山」(73歳)
「戸主妻 秦人 和良比賣」(47歳)
―「嫡子 古麻呂」(14歳)※59歳差
―「次 加麻呂」(11歳)※62歳差
「妾 秦人 小賣」(27歳)
―「児 手小賣」(2歳)※71歳差
〔解説〕戸主「山」(73歳)の嫡子「古麻呂」(14歳)との年齢差は59歳。次子の「加麻呂」(11歳)とは62歳差。妾「秦人小賣」(27歳)との子「小賣」(2歳)とは71歳差。
(Ⅳ)「中政戸秦人阿波」戸
「下〃戸主 阿波」(69歳)
―「嫡子 乎知」(13歳)※56歳差
―「次 布奈麻呂」(11歳)※58歳差
―「次 小布奈」(8歳)※61歳差
―「次 根麻呂」(2歳)※67歳差
―「戸主児 志祁賣」(33歳)※36歳差
〔解説〕戸主「阿波」(69歳)の嫡子「乎知」(13歳)との年齢差は56歳。末子「根麻呂」(2歳)とは67歳差。
以上のように、戸主と嫡子らの年齢差が開いていることや、出産年齢が超高齢出産となるケースもあり、同戸籍の記載年齢(史料事実)をそのまま古代人の寿命や年齢を表した〝歴史事実〟として使用するのは学問的に危険です。(つづく)
(注)
①南部昇『日本古代戸籍の研究』吉川弘文館、1992年。
②古代戸籍の寄人(よりゅうど)とは、戸主との血縁関係が当時の親族呼称では表せない場合につけられた一種の続柄。寄口(きこう・よりく)とも書く。
③『寧楽遺文』上巻、昭和37年版による。