第2837話 2022/09/15

養老五年「下総国戸籍」の高齢結婚

 古代戸籍研究では九世紀の戸籍は偽籍という概念により、疑問点を説明しているようですが、大宝二年籍を初めとする八世紀の戸籍については、多くの高齢出産など、そのまま歴史事実として受け入れる論者が少なくないように思います。先に紹介した松尾光「大宝二年西海道戸籍にみるいわゆる高齢出産の年齢」もその一例です。他方、そのまま信じることができないとする論者に田中禎昭さん(専修大学)がおられます。氏の論文「編戸形態にみる年齢秩序―半布里戸籍と大嶋郷戸籍の比較から―」(注①)がその好例です。
 同論文を正木裕さんから紹介いただいたのですが(注②)、とても重要な先行研究が紹介されており、勉強になりました。重要な部分を転載して解説します。

〝大嶋郷戸籍では20歳以下の女性には配偶者・親世代尊属呼称者が1例も見えず,20歳代の女性でも同年代のわずか4.2%程度の割合でしか存在しない。つまり,「妻」「妾」の多数は41歳以上で,彼女たちが41歳以上の戸主に同籍されているという関係が見られるのである。
 では,こうした戸主の配偶関係に見られる特徴は,当時の婚姻・家族の実態を反映したものといえるのだろうか。
 もし仮に,これを8世紀初頭における実態とみるならば,当時は41歳以上の高齢結婚が中心で,40歳以下の結婚が少なかったということにもなりかねない。しかし,以下に述べる点から,こうした戸籍から婚姻・家族の実態を想定する考え方が誤っているのは明らかである。〟

 大嶋郷戸籍とは養老五年(721年)「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」のことですが、同戸籍に見える晩婚夫婦(高齢結婚)の多さに着目され、「こうした戸籍から婚姻・家族の実態を想定する考え方が誤っているのは明らか」と断定されています。すなわち、戸籍が示す〝史料事実〟は当時の婚姻・家族の実態〝歴史事実〟とは異なるとされています。その理由として次の諸説を紹介しています。

〝人口統計学の方法を古代戸籍研究に適用した W.W.ファリスや今津勝紀は,7~8世紀当時,平均寿命(出生時平均余命)は約30年,また5歳以上の平均死亡年齢は約40年であった事実を明らかにした。また服藤早苗は,古代には40歳から「老人」とする観念があったことを指摘している。
 したがって,男性が41歳を超えてからはじめて年長の配偶者を持つとするならば,当時の平均死亡年齢を超えた男女「老人」世代に婚姻と新世帯形成のピークを認めることになってしまう。
 しかし現実には,すでに明らかにされているように,7~9世紀頃における古代女性の実態的な婚姻年齢は8歳以上か13歳以上という若年であった。
 それだけでなく,近年,坂江渉は古代の歌垣史料の検討から,婚姻適齢期に達した女性すべてに結婚を奨励する「皆婚」規範が存在した事実を明らかにしている。したがって,老年結婚の普遍性を示すように見える戸籍上の現象は,若年結婚が多かった当時の婚姻の実態とはまったくかけ離れていることがわかる。〟

 W.W.ファリスや今津勝紀氏の人口統計学の研究や、古代には40歳から「老人」とする観念があったとする服藤早苗氏の研究を紹介され、「老年結婚の普遍性を示すように見える戸籍上の現象は,若年結婚が多かった当時の婚姻の実態とはまったくかけ離れている」と結論されました。
 二倍年暦の概念をおそらくご存じないため、田中禎昭さんは従来の古代戸籍研究と同様に、戸籍記載年齢をそのまま採用して論究されています。やはり、古代戸籍の〝史料事実〟をそのまま〝歴史事実〟とは見なすのではなく、二倍年暦説により実際の年齢に復元(補正)するという作業(注③)が必要と思います。

(注)
①田中禎昭(たなか・よしあき)「編戸形態にみる年齢秩序―半布里戸籍と大嶋郷戸籍の比較から―」『専修人文論集』99号、2016年。
②古賀達也「洛中洛外日記」2199話(2020/08/08)〝田中禎昭さんの古代戸籍研究〟
③古代戸籍の年齢を次の補正式により復元する試案をわたしは〝古田武彦記念古代史セミナー2020〟で提唱した。詳細は次の拙論を参照されたい。
 古賀達也「古代戸籍に見える二倍年暦の影響 ―「延喜二年籍」「大宝二年籍」の史料批判―」『古田武彦記念古代史セミナー2020 予稿集』大学セミナーハウス、2020年。
https://iush.jp/uploads/files/20201126153614.pdf

【大宝二年籍の補正式】※戸籍年齢33歳以上が対象。
 (「大宝二年籍」年齢-33)÷2+33歳=一倍年暦による実年齢

【養老五年籍の補正式】※戸籍年齢52歳以上が対象。
 (「養老五年籍」年齢-52)÷2+52歳=一倍年暦による実年齢

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