第3092話 2023/08/13

親鸞「三夢記」研究の古田論文を読む

 先日、日野智貴さん(古田史学の会・会員)から論文が届きました。古田先生の親鸞研究「三夢記」(注)真偽論争に関する論文です。未発表論文のようですので内容には触れませんが、立派な論考でした。日野さんは古田学派で親鸞研究の論文を書ける数少ない研究者の一人です。

 同論文への評価を求められたので、わたしは久しぶりに「三夢記」に関する古田先生の著作と論文を精読することにしました。11月の八王子セミナーや9月の東京古田会の和田家文書研究会での発表準備に追われていますので、〝こんな忙しいときに勘弁してほしい〟と思いながら読み始めたのですが、古田先生の名著『親鸞 人と思想』(清水書院、1970年)、『親鸞思想 その史料批判』(冨山房、1975年)、『古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編Ⅱ』(明石書店、2002年)、『わたしひとりの親鸞』(明石書店、2012年)を読み始めると面白くて、二日かけて、一気に読んでしまいました。とりわけ、冨山房の『親鸞思想』は古田先生から頂いたもので、大切な一冊です。表紙の裏には先生の直筆で次の一文が記されています。

 「人間(じんかん)好遇、生涯探求
古賀達也様
御机下
いつもすばらしい御研究やはげましに
導かれています。今後ともお導き下さい。
一九九六年五月十五日
古田武彦」

 過分のお言葉をいただき、この本も家宝の一つとなりました。

 日野論文のテーマである「三夢記」は、学界では偽作とされてきたのですが、古田先生の研究により真作であることが証明されました。なぜ親鸞が「三夢記」を末娘の覚信尼に与えたのかなど、とても興味深い内容を含む研究です。この「三夢記」が古田先生の親鸞研究にとっていかに重要であるかが、次の文からも理解できると思います。

〝問題の行き着くところ、それは「学問の方法」だ。人間の所業に対する、認識の仕方なのである。古代史も、親鸞も、対象こそ異なれ、同一の方法だ。
わたしがこの半世紀をふりかえってみて、真に憂いとすべきところ、それはこの「方法の停滞」と「旧手法の反復」である。(中略)
例えば、例の「三夢記」の信憑性問題。わたしの親鸞研究にとって一の核心をなしたこと、本集中にもくり返し言及されている通りである。〟『わたしひとりの親鸞』「あとがき」(明石書店、2012年)

 親鸞研究でも、日野さんに続く古田先生の後継者が出ることを願っています。

(注)「建長二年(1250年)文書」とも呼ばれ、「磯長(しなが)の夢告」「大乗院の夢告」「六角堂、女犯の夢告」の偈文(詩句)を記したもので、78歳の親鸞が末娘の覚信尼に与えた文書。

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