高良大社研究の想い出 (2)
―『筑後国神名帳』の玉垂媛神―
高良玉垂命関連ファイルを整理していたら、古賀壽(たもつ)先生(注①)からいただいた『筑後国神名帳』(注②)のコピーが出てきました。とても懐かしい史料で、高良大社で実物を見せていただいた記憶があります。そのとき古賀壽先生と議論になったことを思い出しました。それは玉垂命が男か女かを巡っての問答です。
わたしは玉垂命を四世紀から六世紀にかけての九州王朝(倭国)の王の別名(襲名)と考えていましたので(注③)、男性と理解していました。ところがわたしの父(正敏)が、生前に「大善寺(玉垂命)の神様は女子(おなご)の神様と聞いちょるけどな」と話していたことが気になっていましたので、古賀壽先生にたずねたところ、『筑後国神名帳』に「玉垂媛」とあるとのことで、同高良大社本のコピーをいただきました。それによると、三潴郡の「正六位上四十四前」の段に「玉垂媛神」とあるのですが、「媛」の字が不鮮明で、見方によっては「髟」にも見えました。そこで、本当に「媛」なのでしょうかと確認したところ、古賀壽先生は「媛」の字に間違いないと断言されました。しかし、わたしは半信半疑のままで今日に至ったのでした。
同コピーが見つかったのも何かの御縁と思い、改めて他の写本を調査しました。国会図書館本がデジタルアーカイブで閲覧できたので精査したところ、古賀壽先生のご意見通り「玉垂媛神」とありました。しかも、国会図書館本と高良大社本を比較したところ、「玉垂媛神」の次の行から高良大社本に欠落があることがわかりました。国会図書館本の三頁分ほどが欠帳していたのです。この史料状況から、国会図書館本と高良大社本は異系統の写本であることがわかり、国会図書館本には明確に「玉垂媛神」とあることから、高良大社本のやや不鮮明な「媛」の字も、「媛」としてよいようです。
こうして、永年の疑問が氷解したのですが、それではこの「玉垂媛神」とは何者かという、新たな疑問が生じたのでした。(つづく)
(注)
①高良大社文化研究所元所長。
②『筑後国神名帳』高良大社所蔵本。10世紀に成立した『延喜式』に収録されている。
③古賀達也「九州王朝の筑後遷宮 ―高良玉垂命考―」『新・古代学』第四集、新泉社、1999年。http://furutasigaku.jp/jfuruta/sinkodai4/tikugoko.html