第3079話 2023/07/25

昭和26年、

  東奥日報が報道「和田家の隕石」

 「洛中洛外日記」3076話(注①)で、昭和24年に和田元市・喜八郎親子が飯詰村梵珠山中の洞窟から発見した銅製銘板や佛像・仏具・木皮文書が地元で評判になったことが昭和26年8月29日付「東奥日報」に掲載されていることを紹介しました。その前日の東奥日報にも和田家所蔵の隕石の記事が掲載されていました。このことも論文で紹介しました(注②)。同記事のコピーも見つかりましたので、論文の関係部分を転載します。

【以下、転載】
昭和二六年当時は比較的公正な記事を掲載しているようだ。たとえば、同年八月二八日の紙面 に「八百年前の隕石 飯詰村和田君保存」という見出しで次の様な記事が見える。

「北郡飯詰村の史跡を調査中の考古学者中道等氏は、古墳並に佛像、佛具、舎利壺を発見、保管している飯詰村民和田喜八郎君(二四)の宅から日本には珍しい流れ星の破片である隕石を見附けた。この隕石は重さ二百匁、高さ二寸五分、底辺三寸の三角形で約八百年位 以前に落下して風化したもので隕石としてはやや軽くなっている。
和田君の語るところでは古墳の祭壇に安置されていたもので古代人も不思議に思って神としていたものであるといわれている。」

 この記事に並んで、隕石の写真が掲載されている。翌二九日にも、「山岳神教の遺跡発見 飯詰村山中に三つの古墳」という見出しで、和田家が発見した佛像・佛具などについての中道氏の見解などが掲載されている。その記事によれば、当時和田家が発見保管している物として、佛像十六体、木皮に書かれた経文百二十五枚、唐国渡来の佛具、青銅製舎利壷二個が紹介され、「国宝級」と評している。
こうした遺物を和田家が昭和二四年頃から集蔵している事実を見ても、昨今の偽作説がいかに成立困難なものであるかは明白だ。
図書館での調査を終え、和田喜八郎氏へ電話で隕石の記事のことを話すと、「その隕石ならあるよ。見せるから明日来てくれ」とのこと。四十年以上も昔のことなので、今では紛失しているのではと心配していたが、和田家で大切に保管されていたのだった。
翌朝、古田先生や札幌の吉森政博さん(古田史学の会・北海道)と合流し、和田氏が待つ石塔山へ向かった。相変わらずサービス精神旺盛な喜八郎氏は遠来の私たちにその隕石をはじめ様々な遺物を提示された(隕石はその重さなどから隕鉄のように思われた)。
【転載終わり】

(注)
①古賀達也「洛中洛外日記」3076話(2023/07/22)〝昭和26年、東奥日報が山岳遺跡発見を報道〟
②古賀達也「平成諸翁聞取帳 天の神石(隕石)編」『古田史学会報』10号、1995年。
「続・平成諸翁聞取帳 『東日流外三郡誌』の真実を求めて」『新・古代学』3集、新泉社、1999年。

【写真】昭和26年8月28日付「東奥日報」

昭和26年8月28日付「東奥日報」

【写真】昭和26年8月28日付「東奥日報」 八百年前の隕石 飯詰村 和田君保存

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