第3121話 2023/09/23

中国史書「百済伝」に見える百済王の姓 (4)

 中国史書「百済伝」の百済王の名前を精査していて不思議に思ったのが、「扶餘」や「餘」の姓を持たない次の二人の百済王でした。

○『南斉書』:「百済王牟大」、「牟都」(牟大の亡祖父)。
○『梁書』:「牟都」(慶の子)、「牟太」(牟都の子)。
○『南史』:「牟都」(慶の子)、「牟大」(牟都の子)。

 理由はわかりませんが、この牟都(慶の子)と牟大(太)は姓が記されていません。また、牟都の父である百済王「慶」も何故か当該「百済伝」には姓が見えません。しかし、「慶」の父は「百済王餘映」(『宋書』)とあり、姓は「餘」です。そして、「牟太」の次に見える百済王は「王餘隆」(『梁書』『南史』)とあり、「餘」姓に戻っています。この件、引き続き中国史書を精査したいと思いますが、これら百済伝の記述を信用すれば、同一血族王権内での王位継承者(百済王)であっても、史書に「姓」が掲載されなかったり、中国風の名称表記と百済語名の漢字表記とで、史書上での扱いが異なるということかもしれません。

 百済王の名称表記や王統系図については異説もあり、今回の調査をもって、倭国の王姓理解について結論が出るわけではありません。古田学派での検証や論争、史料精査の動向に注目したいと思います。

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