第3174話 2023/12/07

大宰政庁Ⅱ期創建年代のエビデンス (2)

大宰府政庁Ⅱ期の創建年代を通説では八世紀初頭としており、自説(670年頃)とは約四半世紀以上の差がありました。わたしの知るところでは、通説の根拠と論理は次のようです。

(a) 政庁Ⅱ期整地層出土土器(須恵器坏Bなど)の編年が七世紀末から八世紀初頭であり、政庁の造営はそれ以後である。
(b) 同じく政庁Ⅱ期北面築地塀の下層から出土した木簡に「竺志前」と書かれたものがあり、これは『大宝律令』により筑前と筑後に分割された筑前国を意味することから、同遺構の造営は『大宝律令』(701年成立)以後となる。
(c) 政庁Ⅱ期に先行する太宰府条坊の成立が藤原京と同時期の七世紀末とされており、政庁Ⅱ期は八世紀初頭頃の造営となる。

上記の根拠のうち、特に重要なものは(b)の「竺志前」木簡です。この木簡が出土した層位は「大宰府史跡第二六次調査 B地点(第Ⅲ腐植土層)」とされるもので、政庁の築地下の北側まで続く腐植土層です。そこから次の「竺志前」木簡が出土しました。

(表) 十月廿日竺志前贄驛□(寸)□(分)留 多比二生鮑六十具\鯖四列都備五十具
(裏) 須志毛 十古 割郡布 一古

『大宰府政庁跡』(九州歴史資料館、二〇〇二年)では次のように解説しています。

「本調査で出土した木簡は、大宰府政庁の建物の変遷を考える上でも重要な材料を提示してくれた。これらの木簡の発見まで、政庁が礎石建物になったのは天武から文武朝の間とされてきたが、八世紀初頭前後のものと推定される木簡2の出土地点が、北面築地のSA505の基壇下であったことは、第Ⅱ期の後面築地が八世紀初頭以降に建造されたことを示している。この発見は大宰府政庁の研究史の上でも大きな転換点となった。そして、現在、政庁第Ⅱ期の造営時期を八世紀前半とする大宰府論が展開されている。」『大宰府政庁跡』422頁。

この「木簡2」が「竺志前」木簡です。こうした資料根拠(エビデンス)と論理(ロジック)により通説が成立しており、一見すると有力です。(つづく)

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