第3213話 2024/01/31

「新年の読書」二冊目、

   清水俊史『ブッダという男』(4)

 清水俊史『ブッダという男』には、「現代の我々が、二五〇〇年前に生きたブッダを女性差別者と指摘することはたやすい。だが、それは不公平な指摘でもある。そもそも古代インドにおいては、男女が同権であるというような意識はまったくなかった。初期仏典から導かれるブッダの女性観は、当時の一般社会におけるものと大差がない。」とあり、その根拠として次の例をあげています。

〝初期仏典のうちには、女性が男性を堕落させる原因であると執拗に説かれている。

  貪欲が邪な道と呼ばれます。貪りが諸々の教えの妨害です。昼夜に尽きるのは若さです。女は清浄行の垢であり、人々はこれに耽溺します。 (『相応部』一章八品六経)

 〔中略〕
これらの発言とほぼ同趣旨の主張が、バラモン教側の宗教的・社会的規範を記した『マヌ法典』(前二世紀―後二世紀ころ)においても確認される。

  この世において、男たちを堕落させることが女たちのこの本性である。それゆえに賢者たちは女たちに心を許さない。
女たちは、この世において愚者のみか賢者をも愛欲と怒りの力に屈服させ、悪の道に導くことができる。〔中略〕

 このように、女性は男性を堕落させる原因であるというのが古代インド一般の理解である。初期仏典もその理解に従い、男性の修行の妨げになるという点から、女性が批判されるケースが最も多い。逆に、女性の修行の妨げになるという点で、男性が批判されることはない。〟

 そして、著者はブッダの男女観を次のように結論します。

〝初期仏典からうかがい知れるブッダの男女観も、これから遠く離れたものではない。〔中略〕
ブッダが女性差別をしていたという結論を、現代人の多くは受け入れがたいかもしれない。しかし、ブッダは現代人ではない。我々はブッダに自らの願望を語らせることも、現代的な価値観から一方的にブッダを批判することも避けなければならない。〟

 こうした著者の初期仏典の解釈は、初期仏教研究の権威の説や通説とは反するため、アカハラ(教育機関におけるハラスメント。著者の場合は出版妨害)を受けたことは容易に想像できます。こうした傾向が仏教学界にとどまらないことを、わたしたち古田学派の研究者はよく知っています。

 〝「師の説にな、なづみそ」。本居宣長のこの言葉は学問の金言です〟という古田先生の言葉とは真逆にある日本の学問の危うさを深く考えさせられた「新年の読書」の一冊でした。

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