第3212話 2024/01/30

「俾弥呼(ひみか)の墓」の最有力候補、

     「須玖岡本山」の新情報

 今年、福岡市(九州古代史の会)と京都市(古田史学の会)において、「吉野ヶ里出土石棺と卑弥呼の墓」というテーマで講演しました。その内容は、俾弥呼(ひみか)の墓の最有力候補地は、春日市の須玖岡本遺跡にある熊野神社社殿の下とするものです。当地の旧地名は須玖村・大字岡本・小字山であり、この小字名「山」が、邪馬壹国の「邪馬」の淵源とする古田説も紹介しました。その上で、熊野神社の立て替えなどがあれば、その地を金属探知機で調査して欲しい、できれば関係者に発掘調査をはたらきかけてほしいと、講演で参加者にお願いしました。

 そうしたところ、福岡市での講演会に参加された鹿島孝夫さん(古田史学の会・会員)から須玖岡本遺跡の思い出や近年の調査状況についての情報が届きました。メールの関係部分を要約して転載します。

【以下、要約転載】
古賀様
もう十年以上前から古田史学の会に参加させて頂いているのですが、ずっと受け身で会報や書籍を楽しみに読むに留まっていたのですが、九州古代史の会に最近入会しました。古賀さんの卑弥呼の墓の話は特に興味深く拝聴させて頂きました。

 何故かと言うと私は須玖岡本遺跡のすぐ前にある春日北小学校の出身でして、いつの頃かその小学校のグラウンドの下には卑弥呼の宮殿が埋まっていると言う話を聞いていたからです。先日久しぶりに「奴国の丘歴史資料館」を訪ねましたら、その小学校のグラウンド下を近く発掘する計画があり、事前のレーダー探索で大きな建物があるのが分かっているそうです。まあ、ただの倉庫かもしれませんし、例え宮殿跡が出てきても奴国王の宮殿とされるのでしょうが、二、三年後になるかもしれませんが発掘結果を楽しみにしています。

 私は関西在住も長かったので友人も関西に多く、出来れば古田史学の会の関西例会に一度は顔を出したいと思っています。その際は宜しくお願いします。
鹿島孝夫
【転載おわり】

 このように大変興味深く重要な情報でした。その後のメールでご教示いただいた、春日市による市民向け須玖岡本遺跡調査報告(奴国かわら版)を読んだのですが、「俾弥呼(ひみか)の墓」周辺の調査が進んでいることを知り、驚きました。(つづく)

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新春古代史講演会 2024年1月21日(日)
第一講演13:40〜15:00

正倉院花氈の素材の定説がくつがえる
— それはカシミヤではなくウールだった 本出ますみ

第二講演15:10〜16:30

吉野ヶ里出土石棺と卑弥呼の墓
―国内史料に見える卑弥呼伝承 古賀達也

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