関川尚功さんとの古代史談義(2)
―古墳の巨大化は畿内から―
6月19日の古代史講演会後の関川尚功さん(元橿原考古学研究所員)との古代史談義の一つに、〝古墳の巨大化〟についてがありました。関川さんによれば、古墳が巨大化するのは大和からであり、弥生時代の先進地域である北部九州ではないとのこと。なぜ大和で最初に古墳が大型化したのか、その理由の解明が必要とされました。
おそらく、通説では大和で自生した大和政権(後の大和朝廷)が箸墓古墳などの大型前方後円墳を造営し、全国に影響力を拡げたということになるのですが、古田説(九州王朝説)ではこの現象をあまりうまく説明できていません。従来は、高句麗との交戦状態にあった九州王朝(倭国)には、大型古墳を造営する余力がなかったためと説明してきました。古田学派内ではこの説明で納得してもらえるのですが、通説を支持する人への説得力は残念ながら有していません。なぜなら、〝列島内最大規模の巨大古墳群を造営できる大和・河内の勢力こそが列島の代表王朝〟とする単純簡明な論理構造が「頑強」だからです。
関川さんは、通説とも異なる視点でこの問題を考えておられました。畿内大和の箸墓古墳などを造営した勢力は、北部九州の鉄器製造技術を受容し、東海地方や吉備の土器も多数出土することから両地域の影響も色濃く受けています。他方、古墳を大型化する〝文化・風習〟は山陰・北陸などの弥生時代の大型墳丘墓の影響を受けたのではないかとされました。
こうした古墳時代前期の大和の考古学的事実は、どのような歴史的背景の存在があって成立したのか、多元史観・九州王朝説による説明が必要です。(つづく)