第2629話 2021/12/06

水城築造年代の考古学エビデンス (7)

 水城第35次調査で、基底部から出土した敷粗朶の炭素年代測定値に200~400年のひらきがあるため、パリノ・サーヴェイ株式会社の報告書(注①)の最後には、「各1点の測定であるため、今後さらに各層の年代に関する資料を増やし、相互に比較を行うことで、各層の年代を検討したい。」とありました。そこで、その後の追加調査報告を探したところ第38次調査報告書(注②)にありました。
 第38次調査で水城から出土した木杭(SX181)の外皮1点を測定する際に、第35次調査で検出した敷粗朶サンプル3点を追加測定したものです。既に測定していたサンプルの測定値も含めて、下記の通りです。

○第35次発掘調査(2001) 東土塁南側下成土塁
 敷粗朶層サンプル中央値 660年(最上層)、430年(坪堀1中層第2層)、240年(坪堀2第2層)
 (第38次調査出土木材測定時に追加測定)
 暦年較正年代(1σ) 粗朶540~600年、葉653~760年、葉658~765年

 このように、追加サンプルの測定値は6世紀から8世紀を示しています。従って、240年や430年を示すサンプルは、「古い時代の流木が積土中に混入した」(注③)と見てよいようです。
 ちなみに、第38次調査で出土した木杭の測定値は8世紀から9世紀を示していることから、水城完成後の修理や補強で使用されたものと思われます(注④)。

○第38次調査(2004) 西門北西平坦面・西土塁丘陵取付部
 暦年較正年代(1σ) 木杭(外皮)777~871年

 更に第40次調査で基底部から出土した木片(敷粗朶)と炭化物の測定も行われており、いずれも7世紀後半から8世紀前半の測定値を示しています(注⑤)。

○第40次調査(2007) 西門木樋吐水部・外濠部
 暦年較正年代(1σ) 敷粗朶木片675~719年(41.7%)・742~769年(26.5%)、炭化物675~718年(42.0%)・743~769年(26.2%)

 以上の様に、水城築造時の考古学エビデンスとなる堤体内出土木材・炭化物の測定値の多くが7世紀後半以降を示しており、土器編年とも整合しています。従って、水城を5世紀「倭の五王」時代の築造とする仮説には、安定したサンプリング条件に基づく確かな考古学エビデンスはなく、成立困難と言わざるを得ません。(おわり)

(注)
①『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅱ』九州歴史資料館、2003年、142頁。②『水城跡 下巻』九州歴史資料館、2009年、327~332頁。
③『大宰府史跡発掘調査報告書Ⅱ』九州歴史資料館、2003年、135頁。④同②。
⑤同②。

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